目も耳も口も節穴だらけの烏合の衆

渋沢栄一翁の銅像が鎮座する私の中学校。
その中学時代の恩師に加藤柳治先生という先生がいました。
加藤先生は音楽の先生で、私は音楽と体育はからきしダメだったんですが、今、自分の人生を振り返る時に、中学生の時に出会った加藤先生という先生が、一番私のことを理解してくれていた先生だと思いますし、私は、この加藤先生から、人間として大切ないろいろなことを教えてもらったと思います。
中学生の時の私はとにかく電車が好きで、教科書を忘れても時刻表は忘れないという生徒でしたが、あるとき、加藤先生に呼び出されました。
何だろう、怒られるのかなと思いながら先生の所へ行くと、
「鳥塚、こういうものが実家にあったんだけど、君にこれをあげるよ。」
先生はそう言われて小さな紙切れを私にくれました。
先生のご実家は愛知県で、里帰りした時に見つけて、私にあげようと思って持ち帰られたとのことでしたが、先生から手渡されたその紙切れを見て、私は驚きました。
昭和39年10月1日の、新幹線ひかり号の食堂車のレシートだったんです。
驚いた私が先生に尋ねると、先生はニコニコしながら、
「君はこの紙切れの価値がわかるんだな。そういう人に持っててもらった方が良いな。」
とおっしゃいました。
昭和39年10月1日といえば、東海道新幹線が開業した日で、その日の食堂車のレシートがあるということは、
「先生、この電車に乗られたんですか?」
私が訪ねると、
「私の親父が乗った時の物だよ。」
そう答えられました。
先生のお父さんは、国鉄からこの開業の日の新幹線にご招待されて乗られたということでした。
私が中学生というのは昭和48年か49年ごろの話ですから、東海道新幹線が開業してから10年経つか経たないかの時期ですが、開業日の食堂車のレシートというのは大変貴重なものだと私は思いました。
先生としても、そういう、一般の人から見たら何の価値もないただの紙切れに目を輝かせる中学生に、未知の可能性を見つけてくれたのかもしれませんが、世は偏差値全盛の共通一次第1期生の私の時代に、一般人が理解しないようなことをありがたがる私を評価してくれたのは、後にも先にも、加藤先生ただ一人でした。
(ちなみに成績は音楽と体育は5段階の3でしたが、それ以外は図工も含めて全部5でしたので、お間違いのないように。)
さて、この加藤先生のお父さんという人は、壺作りの名人と言われていて、子どもだった私は、先生に、「実家に帰ったら、失敗作でも良いから、壺もらって来てよ。」などと生意気なことを言っていたのですが、実はこのお父さんが作られた壺が、大事件を巻き起こしたことがあるのです。
あるとき、数百年前の壺が出土したといううわさが広がって、専門家の偉い先生方がその壺を鑑定したところ、「これは確かに昔々の貴重な壺だ。大発見だ。」ということで、国の重要文化財に指定されて博物館に収められました。
ところが、それからしばらくして、加藤先生のお父さんが、
「あの壺は私が作ったんだ。」と言い出したから、世の中はひっくり返るような大騒ぎになりました。
結局、その壺にお墨付きを与えた専門家の偉い先生方が大恥をかいたわけですが、それから、加藤先生のお父さんは、その実力が世に認められて、世界的な陶芸家の地位に君臨することになったのです。
私は、今でもこの話を思い出すたびに、あっぱれというか、痛快というか、そういうお父さんの血を引く加藤先生が、私の埋もれていた才能に気づいてくれて、
「君は、自分が思ったように生きて行きなさい。」
と言ってくれたことを、大変誇りに思っているのです。
当時の世の中は、大らかというか、清濁合わせ飲むといった、懐の深い人たちがたくさんいたということですね。
さてさて、あれから40年の時を経て、紅顔の美少年も50を超えるオヤジになりました。
するとどうでしょう。
世の中は、偽物だらけだと大騒ぎする時代になりました。
食べるものも、何を食べているのかわからない。
聴いている音楽だって、何だかわからない。
そして、周囲の人たちは、自分たちは被害者であるかのように、表記と違う食材を使って料理を出していたレストランをバッシングし、現代のベートーベンともてはやされた音楽家を、自分たちが勝手にもてはやしていたにもかかわらず、袋叩きにしようとしています。
でもね、私は思うんです。
どんな食材を使おうと、食べておいしい料理を出せば、それを評価するべきだし、誰が作ろうと、聴いて素晴らしい音楽であれば、それを評価するべきだと。
何で作ろうが、誰が作ろうが、おいしい料理と素晴らしい音楽を楽しめれば、それで良いじゃありませんか。
そういうことを感謝しなければいけないと思います。
だいたい、真相を聞くまでは、そのお料理を皆さんおいしいと思っていたわけだし、音楽だって、作った人はどうであれ、すばらしいものであることは変わらないわけです。
実際に、歌手だって口パクはいっぱいいますし、エアー何とかなどと、弾いてる真似だけのギターを持ったり、敲いてないないドラムだったりで平気でステージに上がっている芸能人もいるわけでしょう。
「私たちはすっかり騙されていた。」と声を上げて怒っていらっしゃるみなさんへ申し上げます。
恥ずかしいからお止めなさい。
物事の本質を理解できず、肩書や宣伝だけでありがたいと思っている、目も耳も口も節穴だらけの烏合の衆であることを、自分から認めることになるんですから。
ベートーベンだってシェイクスピアだって、本当はどうだったかわかりませんよ。
でも、そんなことはどうでも良いじゃありませんか。
作品が素晴らしいと、自分がそう思えばそれで良いんです。
一枚の古びたレシートに歓喜した中学生は、40年後に、オンボロディーゼルカーに特別料金とって観光列車などと言って、ローカル線を走らせているんです。
「房総のムーミン谷」なんて大嘘ですよ。
ムーミンなんていないんですから。
でもね、私には見えるんです。
ムーミンファミリーが仲良く遊んでいる中を、古いディーゼルカーが走っていく姿が。
40年前、中学生だった頃、キハ52はすでに走っていたんです。
ムーミンがテレビアニメで放映されていたんです。
その時と同じものが、今でもここにある。
私は、その時代を再現していて、それに価値があると思っている。
高いお金を出してする体験ではなくて、本当に小さな、つまらないものでも、本質をとらえることが出来さえすれば、何だって素晴らしいし、ありがたいんです。
いすみ鉄道は、それに共感していただける皆様方にいらしていただければ、それで良いんです。
加藤先生は今どうされていらっしゃるのでしょうか。
もう、80歳近くになられるのではと思います。
お元気でしたら、いま一度お会いして、ご指導いただいたお礼を申し上げたいと考えています。
何を食べてもおいしく感じることができる人。
いい音楽を心から良いと感じることができる人。
いすみ鉄道でお待ちいたしております。