夜行列車の需要 その2

夜行列車というのは「飛行機の最終便より遅く出発し、翌日の始発便より早く到着する」というところに存在する意義があると申し上げました。
ビジネス出張にしろ観光旅行にしろ、「寝ている間に移動できる」ということは、目的地に着くまでの時間を節約するわけですから、最終の飛行機よりも先に出発したり、始発の飛行機よりも遅く到着するようであれば、飛行機に軍配が上がるわけです。
では、飛行機とのタイミングで負ける場合、絶対に利用者がいないかというとそうでもなくて、実際に「高速バス」というものが存在するわけで、これは何かといえば、時間よりも「安さ」に価値がある旅行者に選択される存在であるわけですが、今どきの寝台列車は、その「安さ」にも対応できなくなっています。
寝台列車が「時間」と「安さ」のどちらにも対応できなくなってしまったのは国鉄の赤字問題が表面化した40年近く前にさかのぼります。
皆様ご存じのように、鉄道の切符は大きく2つに分けられます。
1つは目的地までの距離に応じた「運賃」で、もう1つは受けるサービスの違いによる「料金」の部分。特急に乗るための「特急料金」や、特別車両の「グリーン料金」、「寝台料金」などがその料金に当たる部分で、特急寝台に乗る場合、運賃の他に特急券と寝台券が必要になります。
例えば東京からサンライズで岡山まで行く場合、運賃は10190円、特急料金3150円、寝台料金6300円の合計19640円かかります。
1万円の運賃に対してほぼ同額の料金がかかるわけですが、なぜこのようなことになったかといえば、国鉄改革に際して行われた度重なる値上げが原因なのです。
当時の法律では、移動のための基本料金となる「運賃」を改定するためには国会の承認が必要でした。当時の社会がインフレだったこともありますが、赤字を理由に初乗り運賃がわずか10年ほどの間に20円から120円まで6倍にるようなことが起こりました。ところが、毎年毎年運賃値上げをするためには国会を通さなければならず、「これだけ値上げしてもまだ赤字が改善されないとは何事だ! 内部努力が足りない!」とやぶ蛇になる始末でした。
そこで当時の国鉄幹部が目を付けたのが、国会の承認が要らない「料金部分」。これは、早く着く(特急料金)、ふんぞり返って旅行ができる(グリーン料金)、寝て行かれるなど(寝台料金)など、言うなれば「贅沢部分」でしたから、国会の承認もいりませんし、国鉄としても国民に理解を求めやすかったわけです。
前回も申し上げましたが、当時は寝台特急は最上級の豪華列車で、その下には急行寝台があり、急行の座席車があり、夜行の各駅停車もありましたし、変わり種としては各駅停車の寝台なんてのもありましたから、「高いお金を払いたくなければ、他の列車にお乗りください。」と言えたわけです。
これが1970年代から80年代にかけての特急列車の大増発になり、大して所要時間は変わらないにもかかわらず、急行列車がどんどん特急化されて行き、効率化の観点から列車も短距離運転が主体となってきて、お客様が自分の懐具合と相談して列車を選ぶことができなくなりました。
ちなみに昭和47年の時点での寝台特急「瀬戸」で東京から岡山まで行く場合、運賃は2500円、特急料金1200円、寝台料金は1100円(B寝台上中段)、1200円(B寝台下段)でしたから、今と比べると寝台料金が約6倍と「狙い撃ち」のように値上げのターゲットとされていたことがわかります。
今の時代、ビジネスホテルもチェーン店化され、安く快適に宿泊できるようになりましたので、今どき6300円も払って窮屈なB寝台で一晩過ごすぐらいなら、新幹線や飛行機で行って1泊した方が、身体も楽だし時間的余裕がもてるし良いわけです。
これに対して、新幹線はというと、同じ東京―岡山間で見るとのぞみで16860円。
飛行機では約30000円ですが、特割などを使えば14000円程度になりますし、高速バスでは1万円を切るぐらいの価格になります。
これでは夜行列車にお客様を呼び戻すことはできません。
「寝て行かれる便利さ。」「時間の節約」と寝台列車もてはやされたのは早や40年も昔のこと。
特急、急行、各駅停車という列車種別で選択できた時代ならばともかく、飛行機、バスなど、コンペティターがそれぞれ知恵を絞って努力している現在では、旧態然としたサービスや運賃、料金に対する考え方では市場には通用しないということなのです。
(つづく)