いすみ鉄道沿線にもあるんです。

宮城県の栗駒で昭和の自動車が集まる「みんなでしあわせになる祭り」が行われ、いすみ市からみんなで訪ねて行ったお話をさせていただきました。
このお祭りを今年5月には国吉地区でも行いましたし、来年もまた同じように第2回目としていすみ鉄道沿線で行いたいと考えていますが、このお祭りのメインとなったボンネットバスは、全て個人が所有して、ボランティアで走っているものです。
昭和の旅をプロデュースするいすみ鉄道としましては、キハを増強し2両編成とすることで、更なる乗客のUPと、沿線地域の町おこしに貢献したいと考えていますが、昭和の旅に必要なのは、国鉄時代のディーゼルカーだけではだめで、そのディーゼルカーが走るにふさわしい駅前から続く古い町並み、そしてボンネットバスですね。
だから、いすみ鉄道としてはのどから手が出るほどボンネットバスがほしいわけです。
で、ココだけの話ですが、実は、もうすでにボンネットバスがいすみ鉄道沿線にあるのです。
「ボンネットバスがあったら良いなあ。」
そういう私のつぶやきを耳にした栗原駅長が、
「社長、ありますよ。持ってきます。」
と言って、遠く宮城から私費で運んできちゃったのです。
スゴイでしょう。彼の熱意。
そもそも夷隅地区で「みんあでしあわせになる祭り」が開催できる(「みんなでしあわせになる祭り」という名前が使用できる)のも、栗原駅長のおかげなのですが、彼の熱意が、すでにいすみ鉄道沿線にボンネットバスを運んできてしまったわけです。
こういうことは、個人の熱意、かかわる人の熱意が動かしているんだ、という典型例かもしれません。

で、このバスを見た応援団の仲間たちは
「えっ、これ?」
と、その姿に驚いていましたが、私の眼で見る限り
「おっ、すごいじゃん。これは上物ですね。」
と、なったわけなのですが、その私の言葉を聞いた栗原駅長が、にっこり笑って
「社長にはわかっていただき、ありがとうございます。」と言ってくれました。
今の時代、これだけの上物はもう手に入らない。それがボンネットバスの世界ですからね。

昭和42年3月製の富士重工ボディー。
昭和42年は私が板橋第2小学校に入学した年。
赤羽線(現:埼京線)には72系の茶色い電車が走っていて、板橋駅ではD51が貨物の入換をしていました。
50才以上の皆さんは昭和42年に何をしていましたか?
と、昭和の旅を提案することで、皆様方それぞれが瞬間的にその時代にタイムスリップすることができるのです。
ところで、このボンネットバスですが、修繕のお金がないので、時間があるときに仲間が手作業でチマチマと直していくことになるのですが、駅長に「業者に頼んで修理するとしたらいくらかかるの?」って聞いたら、
「1000万か1500万はかかりますよ。」 とのこと。
個人としたら天文学的大金ですが、観光資源になると考えれば、大した金額でもありませんね。
いすみ市、大多喜町、勝浦市、御宿町(旧夷隅郡市)の観光協会の皆さん、このボンネットバスが自分たちの町で走る姿を想像してみてください。
旧型のディーゼルカーから乗り継いで昭和の旅ができる地域になれば、テレビの取材はもちろんですが、映画やドラマの撮影も来ますよ。
だれか、どこか、お金を出してくれるところを探しています。
そうしたら、その地域優先でこのバスが走ることになります。
数年がかりの気の長い計画ですが、一緒に育てていただけるスポンサーを探しています。
今はお金がなくても、興味があって、何とかしたいという熱意がありさえすれば、きっと道は開けます。
いすみ鉄道沿線は、そういう典型的な地域にしたいと思っています。
私は、ローカル線を使った地域活性化のモデル地区を目指しているのです。
皆さまどうぞよろしくお願いいたします。