私がいすみ鉄道の社長に応募したのは、いすみ鉄道や沿線地域には素晴らしい可能性があると思ったからです。
そして、その気持ちは、実際に勤務してみるとますます実感してきました。
いすみ鉄道沿線は、養老渓谷、温泉、大多喜城、城下町、行元寺などの歴史、そして海があります。
考えてみたら、観光地として必要なものが全部そろっていて、それらを結んでいるのがいすみ鉄道なわけですから、「どうしてこの鉄道を廃止する必要があるのだろうか」と考えたわけです。
地元の人たちは、車社会ですから、一般的には鉄道を利用しません。
じゃあ、廃止にしようか、という議論になると、廃止反対となる。
乗りもしないのに廃止には反対する。
そんなのは田舎の人のエゴだ。
国鉄のローカル線廃止問題から30年以上の間、日本人はずっとそういう感覚で物を見ていたのです。
でも、田舎の人が、乗りもしないのにどうして「廃止反対」というのかということを考えたり、話し合ったりすることは今までなかったのです。
私は鉄道が好きで、ローカル線の小さな列車が故郷の風景の中を走っていくのを見るのが好きです。
いすみ鉄道も国鉄木原線時代から80年も走っているわけですから、地元の人にとってみれば、「故郷の風景」になっているわけです。
だから、その「故郷の風景」を失いたくはない。
乗らないけれど残ってほしい、という気持ちは、言うなれば故郷を思う郷土愛だと言えるのです。
でも高度経済成長以降の日本では、こういう観点からローカル線を考えた人はいなかったのです。
ローカル線を交通機関としてまじめに議論する。
そしていろいろな社会実験を行う。
そうすると、必ずバスに軍配が上がるようにできている。
まじめな人たちは、そうやってローカル線を残したいと思ってやった取り組みがあだになって、ローカル線を廃止に追い込んできたのですが、私から見れば、もっと素直に「鉄道のある風景が好きだ」と言えばよかったと思うのです。
鉄道が走る故郷の風景が好きだって素直に言えるような社会ならば、
その風景を守ることにみんなが取り組めるような社会ならば、
地方の疲弊なんて怒らないと思うのです。
私はまじめな人間じゃないので、ローカル線を交通機関として正面から捕えていない。
そりゃ、交通機関は交通機関ですけど、他の使い道を探しているのです。
赤字を税金で負担してもらっているのだから、もっとまじめに取り組め。
そういう人も少なからずいらっしゃいます。
でも、税金で負担してもらっているから、その分鉄道が地域の広告塔になって、その地域が全国区になって、たくさんの人が来るようになるのですから、私は間違っているとは思いませんし、それで地元が納得して、故郷の風景も守ることができるのですから、外部の人間が「正論」を言っても聞く必要はないと思っています。
地元にも廃止賛成論者はいました。
私は、その人たちの考えは当然だと思っています。
交通機関として考えたら、きっとバスで十分なわけですから、そんな鉄道にいくらお金をつぎ込んでも無駄なわけです。
でも、今、いすみ鉄道沿線で「廃止」云々を言う人はいなくなりました。
皆、本当は鉄道が好きで、いすみ鉄道が走る地元の風景が好きだからだと思います。
それともう一つ。
旧国鉄時代からローカル線を廃止してバス転換した路線が今どうなっているか。
バス転換すると、数年でそのバスは廃止される運命にあるのが現実です。
そして、交通機関を確保するために「地域バス」などのコミュニティーバスを行政が走らせることになります。
鉄道だったら皆さん黙って駅まで歩きますが、バスになると、それも行政が絡むバスになると、「家の前まで来てくれ」となる。
だから、東回り、西回りなど、たくさんのコースを作らざるを得ない。
そんなことをやっていると、鉄道に補助金を出していた時以上に地元負担が増えていることに気づくわけですが、その時にはもう遅いのです。
社会実験だなんだと言って、いろいろ相談(ていうか営業)に来ていたコンサルや学者と呼ばれる人たちはどこかへ行ってしまって知らん顔だし、鉄道をいまさら作ることもできない。
いすみ市や大多喜町は、他の地域でそうなっている現状を見て知っているから、いすみ鉄道を残そうと思ったわけで、だけど、赤字の垂れ流しも何とか食い止めなければいけない。
そういうジレンマがあったところへ、よそ者である私が、ヒョイと飛び込んだのであります。
最近のコメント