もう一度この写真


前回のブログでご紹介したこの写真について、せっかくですからもう一度、詳しくお話します。
国鉄形気動車は(特急用は別として)、急行形と一般形の各系列を混成して列車の編成を組むことが可能でした。
房総地区の列車も、電化前は、特に夏の繁忙期など車両が不足すると、いろいろな形式の車両が混ぜ合わさって使用されていて、車幅も、車高も違うのでデコボコ編成で走っていました。
私は勝浦のおばあちゃんの家に毎年出かけていましたから、千葉の鉄道を身近に感じていましたので、各種形式が混ざり合ってデコボコで走っている列車に、とても興味を持っていました。
クハ201+モハ205+モハ204+クハ208
今の電車で例えるならば、こんな編成が普通に走っていて、もちろん塗装も1両ごとに違っていたのですから、次は一体何が来るか、とても楽しみだったのです。
1972年に外房電化が完成し、1975年には銚子電化が完成すると、千葉県のほとんどからディーゼルカーが姿を消して、このような雑多な編成を見ることができなくなってしまいましたので、池袋に住んでいた私は、川越線に転出したキハ35-900番台などを見に行っていました。
この大糸線の写真は、自動車の免許をとってすぐに、友達と一緒に車で白馬へ行ったときに撮影したもの。
一緒に行った友達が鉄道ファンではなかったので、あまり長いこと道草ができなかったのですが、国道沿いに鉄橋を見つけて、せっかく大糸線まで来たのだから「ちょっと待っててくれ。」と言って撮影したカットです。
前回のブログでは キハ26+キハ17+キハユニ26と申し上げましたが、よく考えれば大糸線ですから、
キハ55+キハ51+キハユニ26 のはずですね。
3両編成で5台のエンジンを稼働させて糸魚川からやってきた列車は、電化区間まで乗り入れてきていました。
この頃の大糸線と言えば、スカイブルーのクモハ60を始めとした戦前の20m3扉車が最後の活躍をしていましたし、同じくスカイブルーに塗られた湘南型のクモユニ81などという珍車も健在でしたが、当時の私は、鉄道から航空機へと、少し軸足を動かし始めていたころでしたから、このデコボコ編成を撮影しただけで、それなりに満足して、黒四ダムのトロリーバスや白馬の雪渓などを見に行っていたのです。
だから、まだネガを全部スキャンしていないけれど、たぶん旧国の写真は1枚もなし。今考えればもったいない話ですが、若かりし頃の移り気な自分を悔やんでみてもはじまりません。
その代わりと言っては何ですが、今ではもう乗れない全日空YS11やB727-200、ヘリもベル47KH4なんていうのにさんざん乗ったから、それはそれで良しとしましょうかね。
ところで皆さん、この写真の編成、
キハ55+キハ51+キハユニ26 の3両編成がやってきたら、あなたならどの車両に乗りますか?
私だったらもちろん先頭のキハ55。
急行形ですから乗り心地良いですし、座席もゆったりとしていますからね。
でも、待てよ。
2両目のキハ51も貴重な10系気動車。
背もたれは低く、狭苦しいかもしれないけれど、車内は白熱灯だから雰囲気がある。
いやいや、最後部のキハユニ26だって、客席は半室だけで、あとの半分は郵便室と荷物室になっている珍しい車両ですから、乗るならやっぱりこれカモ。
こんなことを考えているだけで、楽しいのですね。
鉄道趣味は、これだからやめられないのです。

後追いをパチリ。
通り過ぎる列車を見ていたら、郵便車にも職員が乗っていたのを思い出しました。
考えれば良い時代でしたね。
私は19歳でした。
いすみ鉄道は、こんな筋金入りの人間が社長をしております。
だから、楽しい鉄道なのです。
キハ52に久留里線のキハ30を連結したらデコボコで絵になるかなあ。
28・58で使えそうなのはもうなさそうだし・・・
独り言ですから、ご質問、お問い合わせはご遠慮ください。(笑)