国鉄の等級廃止と日本人

かつて国鉄には1~3等の等級制が存在していました。
1等車は往年の特急「つばめ」「はと」に連結されていた展望車などの超特別車両。
2等車は今のグリーン車。
3等車は普通車。
今でも形式にイロハという記号が残っているのがその証拠で、モハやクハ、キハなどの「ハ」が旧3等車の流れをくむ普通車で、クロやサロの「ロ」が旧2等車、つまりグリーン車なのです。
国鉄が3等級を2等級に変更したのが今から50年前の昭和35年。私が生まれた年でありますから、私には3等級の記憶はありません。
その後、昭和44年に1等がグリーン車へ、2等が普通車へ(寝台はA・B表記)改められ、「等級」は完全に廃止されました。
子供のころ、切符には2等と表記されていましたが、いつのころからその表記が消えたのを覚えています。
なぜ国鉄が等級制を廃止してグリーン車(車両の窓下に緑の帯があったことから)、普通車に変更したかは不明ですが、当時は学生運動が盛んで、「みんな平等であるべきだ」というような考え方が主流になっていましたから、そういった国民感情に配慮したことも一因かもしれません。
それからというもの、乗り物に乗ることをはじめとして、私たち日本人の日常から「等級制」というものが消え、バブル崩壊まで「1億総中流意識時代」が続くことになるわけですが、船舶には今でも等級制が残っていますし、飛行機にも「クラス」(等級・階級)が残っていますから、私たち日本人の意識にはなくても世界的に見ても等級制は歴然と存在しています。
私は航空会社に20年以上勤務しましたが、バブルが崩壊する前には羽振り良くビジネスクラスやファーストクラスに乗っていた人たちが、バブル崩壊とともにエコノミークラスに乗らざるを得なくなった光景を目の当たりにしてきました。
会社が出張にエコノミークラスの切符しか買ってくれなくなったのですから、出張に行かされる本人としては歯ぎしりしながら狭い座席で我慢するしかないわけです。
そういった人たちがラウンジ接待どころか窓側、通路側の希望もかなわなくなったことに腹を立てて
「今日はエコノミーに乗っているが、俺を誰だと思っているんだ!」とか、
「お前たちはお客を差別するのか!」といった捨てゼリフをはいて出張に出かけていたことを思い出します。
「クラス」というのはお客様がご自分で選ばれたものであって、航空会社側が「あなたはエコノミーですよ」と指定したものではないですから、差別ではありません。でも実際にはお支払いただく金額が違いますから、航空会社が提供するサービス上の区別はありますよ。ということが、日本人には理解できない、または理解したくないものなのだということを考えさせられました。
同じエコノミークラスでも、欧米では「エコノミーに乗っているときは文句を言わない」という認識がありますので、基本的に「俺を誰だと思っているんだ!」的なクレームは発生しませんし、自分が誰だかは自分が一番良く知っているのですから、そういう人は最初から自分からビジネスクラスのお金を払って乗っているのです。
航空会社が一番営業をやりやすい地域ってどこだと思いますか?
日本では、上級クラスを売るのは至難の業ですから一番営業がやりにくい地域ですが、一番やりやすいのは、意外にもインドです。
これは経済成長が今のように高くなる以前からのことですが、インドではカーストと呼ばれる階級制度がありますから、自分は上級のカーストにいると思う人は、やせ我慢をしてでもビジネスクラスやファーストクラスを買うわけです。間違っても自分より下層の階級の人たちと席を隣になることなどないわけです。
それが良いとか悪いとかは別にして、実際の世界ではこうなっていて、この点が日本人が全く知らないというか、日本人の考え方と一番異なる点かもしれません。
今でもあるかどうかは知りませんが、パリの地下鉄には1等車が連結されていました。運賃は5割増ぐらいだったと思います。しかし1等車と言っても内装の壁の色が違うだけで車内設備は全く同じ。
「どうして1等車が付いているのか」と不思議に思い、知人に尋ねると、
「1等車ならば変なヤツが乗ってこないから安心できる」ということでした。
パリも移民問題に頭を抱えていた時期で、窃盗集団などが地下鉄を根城に暗躍していた頃ですから、納得させられました。
今、時代はLCC(Low Cost Carrier・格安航空会社)に向かっているようです。でも、私は日本人の感覚にこのLCCが合っているのかどうか、はたして受け入れられるかどうかという点で、とても不安に思っています。