ローカル線への想い

齢(よわい)50を数える季節を迎え、人を恋うる気持ちなど遠のむかしにどこかに置いてきてしまった自分が、今、鉄路を想う気持ちが日を追うごとに高まってきているのを感じる。
鉄路と言っても、効率一辺倒の新型車両が得意げに闊歩する首都圏の幹線ではなく、風雪に耐えた頑固オヤジのような面構えの車両が余生を送るローカル線。それも電化されていないディーゼルカーの路線となれば、要素としては完ぺきである。
以前にもお話ししたが、数年前にさいはてのローカル線、北海道の釧網本線の茅沼駅の土地を入手した。
釧路湿原の中の無人駅。
ぽっかり空いた時間にふと訪ねた一人旅でその土地が売りに出ていることを知った。
奇遇にも時を同じくして、四国の徳島でC58型蒸気機関車の動輪をゲット。
貨物列車ではるばる北海道まで運んで、手に入れた茅沼駅の土地にその動輪が鎮座した。
昭和49年まで、釧網本線で活躍したのと同じC58型の動輪。
何かに導かれたような不思議な縁と言うしかない。
日本で唯1か所、タンチョウ鶴が飛来する駅として有名な茅沼駅には今も私の土地に私の動輪が居る。
「私の」と言ったところで、そんな土地、そんな鉄の塊に、経済的な価値は何もない。
しめて300万の大いなる無駄遣い。
でも、私にとってみれば、想いを馳せる場所を手に入れた。
茅沼駅が大切な心のふるさとの駅になったのだ。
ある冬の夜に天気予報で「本州付近は西高東低の冬型の気圧配置に覆われ、北海道では大荒れの天候です。」などと耳にすれば、
「ああ、今夜は吹雪いているのだろうなあ」などと心がさわぐ。
今夜は快晴と聞けば、「きれいな星空だろうなあ」と心がはやる。
なかなか乗りに行くことはできないけれど、ローカル線には元気で走っていてほしい。
それが正直なところではないだろうか。
今までは、そんなことを言うと、わがままだ、身勝手だと思われてきたけれど、
物事を効率や経済性だけで判断すれば、確かにそうかもしれないけれど、
田舎の汽車は、ふるさとと同じ。
「遠くにありて想うもの」
都会の人たちにはそういう対象であってもいいと思う。
自分にとってふるさとと思えるローカル線があれば、たとえ行ったことがなくても、乗ったことがなくても、「いつかはきっと」と思うだけで毎日が元気になれるし、幸せな気分を味わえる。
時刻表を見ながら、「今頃、どこを走っているかなあ」と考えるだけで、やさしい気持ちになれる。
ローカル線は心の栄養剤になることができる大切な存在だと思う。
我々が考えなくてはならないのは、「だったらどうやって残すか」ということ。
車の利用者からみれば確かに「いすみ鉄道は不便だ!」と言われても仕方ない。
でも、待たずに列車に乗れるようにすることなど不可能だし、もしそうしたとしても、設備投資に見合うほどお客さんが増えるわけでもない。
第一、待たずに乗れるようになったら、ローカル線じゃなくなってしまう。
だから不便さを楽しめる非日常、脱日常の場所として考えてみてほしい。
今、いすみ鉄道は存続の危機に立っている。
でも、良く考えると、存続の危機は今だけではない。
経営基盤が弱く、元来乗る人がいない路線だから、たとえ存続が決まったとしても、今後もずっと存続の危機は続く。
だから、私が社長でいるうちに、乗らなくても残せる方法を考えなくては。
日々の都会での生活に疲れた人々が、いすみ鉄道に想いを馳せるだけで幸せな気分になれる、明日からもまた元気で働くことができる気持ちになれるような、そんな「心の栄養剤」になることでも、鉄路としての存在意義があっても良い。
そうやって鉄道をとらえ、残していくシステムを作ること。
そうでなければ、いすみ鉄道の経営危機はいつまでも続く。
いすみ鉄道だけではない。
どんな大きな会社でも、きちんとした経営理念の下、常に前進し、発展していかなければ、いつだって経営危機と隣り合わせ。
民間とはそういうものだ。
いすみ鉄道の経営危機を救うために民間から公募で選ばれたのがこの私。
だから、これが、たぶん、きっと、私の 「天命」 なのかもしれない。