音楽は苦手!?

いつも都内からいすみ鉄道を応援していただいている方に、「社長のブログには音楽の話はほとんど出てきませんね」、と言われた。
「音楽は苦手ですか?」 と。
小学校の音楽の時間、みんなで演奏する時に「始めは休み!」って先生に言われので、
「先生、なんで始めが休みなんですか? 休んだ次を始めにすればいいじゃないですか?」と質問したことがある。
学校だって、日曜日が休みだったら、次の月曜日が一週間の始まりなのだから、休んだ次を始まりにすればよいと真剣に質問したのに、それには答えてもらえずに、
「とりづか君はいいからね。」と言われた。
だから、私は音楽は嫌いではないけれど、音楽の方から私になじんでくれないと思っていた。
私の世代は、お兄さんやお姉さんががいる友達は、ビートルズから音楽との付き合いが始まった人が多い。
父親、母親の世代(大正末期から昭和一けた生まれ)は音楽といえばド演歌があたりまえだったが、私の母はエルビス・プレスリーの大ファンだった。
グループサウンズでは、タイガース、テンプタ―ズ、ブルーコメッツなどなど。
これらはリアルタイム。
ジャニーズ系の始まりはフォーリーブス。
とし坊はマグマ大使にも出ていた。
先日、文化放送のラジオに出させていただいたときに弘兼憲史さんから質問された最初に買ったレコードは南沙織の「早春の港」。
(このリンクを開いて、一番下まで下がってください。7月2日分です。)
清潔感があるロングヘアーの彼女はとにかく素敵だった。
それからフォークソングに入って、かぐや姫、チューリップ、よしだたくろうなら、だいたい全部わかる。
22歳の別れ、なごり雪はイルカじゃなくてかぐや姫の伊勢正三(しょうやん)。
襟裳岬は森進一ではなくてよしだたくろうが私にとっては正統派。
谷村新司が売れる前、バンバンと一緒に深夜ラジオのセイ・ヤングに出ていて、「天才・秀才・バカシリーズ」を夜中の1時半に毎週聞いていた。
燃えよドラゴンの音楽で始まるこのコーナーは、彼らが話し始める前からおかしくて、おなかを抱えて笑った。
アリスが売れる前にバンバンの「いちご白書をもう一度」がヒットして、ラジオの中で谷村が地団太踏んで悔しがっていた。
ムーミンの版権元の社長さんは、当時、フォークの女神と呼ばれた小林啓子さん。
彼女が歌うレールウエイ・ララバイは国鉄のキャンペーン、「一枚の切符から」のテーマソングになって、日本中で流れていた。
「いちまいの、きっぷ~・・・」というフレーズは、今でもときどき口ずさむ。
汽車旅小僧だった私の青春のテーマソング。
小林さんとはもう何年も家族ぐるみでお付き合いさせていただいているので、ときどき、「ねえ、歌って」とおねだりすると、ギター片手に目の前で歌ってくれる。
すごいご縁。
カラオケは好きじゃないけれど歌えと言われて歌うのは郷ひろみか西城秀樹。ときどき大滝詠一。
同席の女性に西島美恵子の池上線を歌ってもらうと涙が出る。
キャンディーズは美樹ちゃんのファンで、ピンクレディーだったらやっぱりケイちゃん。
サザンがデビューした時には青春まっただ中で、足寄発の松山千春も同じころ。
そして竹内まりや、ユーミンも人生のBGM。
ビートルズもだいたいわかるけど、ウイングスの方がリアルタイム。
リンダも亡くなってだいぶ経ちますね。
ベイシティーローラーズって知ってます?
シェリーに口づけ、ホリデーズのミッシェル・ポルナレフは全部わかる。
外人は白人! 金髪! って思っていたから、スージー・クワトロとか、ハート・オブ・グラスを歌うブロンディーのデボラに恋した。
マドンナとか、マイケルジャクソン、シンディーローパーはデビューしたころはよく聴いた。
デュランデュランのリズムは聴き心地満点で・・・
あと、忘れているのはないかなあ?
そうそう、百恵ちゃんと太田裕美。
百恵ちゃんはイミテーションゴールドか夢先案内人。
「緑の中を走りぬけてく真っ赤なポルシェ・・・」もいいね。
「バカにしないでよ!」って言われてみたい。
太田裕美なら木綿のハンカチーフよりも、やっぱ、赤いハイヒールでしょう。
カッコいいと思ったのは逆光線、闘牛士を歌うCHAR。
一緒に北海道旅行へ行った木村君はCHARに似ていた。
おふくろ達おばさん世代が可愛いって言っていた原田真二はアイドルではなくて拓郎が広島から発掘してきたアーティスト。
私の世代はこんな時代に育ったから、決して音楽は苦手ではないのであります。
さてさて、いすみ鉄道応援団が主催するフォークソング列車。
いよいよ31日に運転されます。
団長さんによれば大好評ですでに満員御礼とのこと。
高校時代、私の担任の先生は当時25~6歳のお兄さんで、ビートルズに傾倒していたバリバリのアイビー・ボーイ。私たち生徒も音楽とファッションに関しては少なからず先生の影響を受けたけど、風の噂では、還暦を迎えた今でも、私の同級生たち教え子とバンドを組んでビートルズナンバーを歌っているようだ。
若者の象徴だったロックやフォークが、なんだかアッという間におじさんからおじいさんにかけての人たちの歌になってしまいましたが、ご本人たちはいたって元気ですから、みんなの雄たけびを聞くのも面白そうですね。
フォーク列車といったって1曲ぐらいクイーンやっても悪くないかも。
僕も乗りたいな~。
(30代以下の人たちにはおそらく意味不明の日本語の羅列でしたね、今日のブログは。わからないところは、先輩か親にでも聞いてください。)

[:up:] 2008年 来日した DURAN DURAN のメンバーと。この後、サイモンからサインをもらってうれしかった。(帰国の時、成田空港で)