ビジネスとしての夜行列車

昨今では夜行列車の引退話がダイヤ改正ごとに話題になっています。
「あけぼの」の定期列車がなくなったのは今年の春でしたが、数年前を思い出してみると、「富士」「はやぶさ」「出雲」「あさかぜ」「銀河」「きたぐに」などなど、つい最近まで夜行列車がたくさん残っていたのは記憶に新しいところです。
なぜ、このような夜行列車が次々に廃止されていくか、一言で言えば需要の変化が原因で、昭和の時代は「寝ている間に移動して朝目的地に着く」ということがとてもありがたくて、夜行列車は便利な存在だったわけです。
そんな夜行列車ですから、日本人は誰もが利用していましたので、特急もあれば急行もあるし、はたまた各駅停車の夜行列車なんていうのもありました。寝台もあれば座席もあるし、グリーン車もあれば自由席もある。つまり、貧乏人から金持ちまでみんな夜行列車に乗っていたということです。
ところが、新幹線が遠くまで伸び、飛行機が一般化し、高速道路を走る夜行バスが格安切符を出すようになると、お客様にとっては選択肢が増えたわけですから、時間優先、待遇優先、お値段優先など、好きな手段を選べるようになって、もともと商売というのに向いていない人たちが集まって運営していた国鉄や、その流れを汲んでいて、20数年前ににわかに商売を覚えて「これが正しい商売だ。」と信じている親方日の丸出身の人たちでは、衰退の道筋を変えることができなかったというのも一つの事実なのです。
簡単に言えば、2段式B寝台の寝台料金がなんで6000円もするのかというのは国民であれば当然の疑問で、15年以上もデフレが続いた日本では、6000円と言えば朝食付きのビジネスホテルの個室に泊まれる値段だし、翌朝の始発の飛行機で行けば夜通し走って行く夜行列車よりも早く着くわけですから、マニア以外には乗らない列車になったわけです。
いや、正しくはマニアだって乗らない列車で、廃止が決まると葬式鉄が俄かに話題にするだけなんですね。
では、そのような夜行列車ですが、反面では廃止が決まるとテレビやマスコミが大々的に取り上げて大騒ぎになります。
これはどうしたことかというと、何も葬式鉄のマニアの行動がニュースになるのではなくて、夜行列車が廃止されるということは、国民の誰もが関心が高い話題性があるニュースなわけで、だからテレビやマスコミが取り上げるということなのです。
こういう現象を見て、鉄道会社の人たちは「ふだんはガラガラなんですよ。だから廃止になるんです。」と当然のごとく言い放って、「知りません」状態なんですが、これがにわかに商売を覚えた人たちのセリフだと私は思うわけで、なぜなら、夜行列車という需要を開拓する努力を全くせずに、利用者減のテコ入れもしないで、利用しないのはお客さんのせいだと言っているからなんです。
例えばスーパーマーケットの経営者が自分の店の売り上げが落ちているときに何をするか。
一生懸命工夫をして売り上げを伸ばす努力をするのが当たり前なのが商売なんですが、夜行列車の廃止はテコ入れも何もしない商店経営者が、「地域の皆さんがうちの店で買ってくれないから、うちは閉店します。」と言い放っているのと同じではないかというのが私の見方で、新しくコンビニを始めたから多少高くてもそこで買ってください。スーパーマーケットのような品揃えは面倒くさいのでもうやめます。客単価が高いコンビニだけでもうちの会社は経営が成り立ちますから、と言っている。そのコンビニというのがすなわち新幹線なわけなのです。
でも、私は、夜行列車の廃止が決まると、どうしてマスコミが大騒ぎするのだろうかと考えて、そうだ! と気付いたのです。
「夜行列車というのは郷愁を誘う乗り物で、なくなると寂しいからだ。」ということに。
つまり、「夜行列車に乗ってみたいなあ。」という需要は必ず存在するはずで、そういう需要であれば、別に寝ている間に移動して朝に目的地に到着する必要もないわけですから、いすみ鉄道でも夜行列車が可能だし、そういう需要があると判断したのです。
これが需要の開拓、需要の掘り起こしで、私がいつも言っている「いすみ鉄道沿線にはお金が落ちている。だからみんなで拾いましょう。」ということなのです。
だからいすみ鉄道の夜行列車はどこにも行かないで、同じ線路を行ったり来たりして2往復半走れば朝になる。そして、朝まで列車の中で過ごしてみたい。夜通し走って目的地には着かないけれど、列車の中で朝を迎えるという夜行列車のだいご味は味わえるわけです。
まして、お一人様1ボックスを専有できるプランですから誰に気兼ねする必要もなく、マイペースでゆったりできるわけですから、私はそこそこ需要があるだろうということは確信していたのです。
ところが、昔からSLホテルというような、廃車になった寝台車を持ってきて「ホテル」にした宿泊施設はいくつもあって、そのほとんどが利用者がいなくなって姿を消してしまったという事実もあるわけで、そう考えて思い当たるのが、やっぱり列車は置いてあるだけじゃなくて、走ってこそ列車ですから、公園の保存車両に泊まるんじゃだめなんですね。どこへも行かないけど走らなきゃダメ。
これが、いすみ鉄道の夜行列車なわけです。
でも、考えてみれば遊園地には必ずと言ってよいほど汽車が走っていて、じゃあ、あの汽車がどこへ行くかと言えばどこにも行かないわけで、ディズニーランドの汽車だって一周回って乗ったところへ戻るだけなんですが、それでも汽車が走るということは必要なことなんです。
だから、いすみ鉄道の夜行列車は、ゆっくり走って朝になったら「はい、おしまい。」でどこにも行かないけれど、やっぱり走らなくちゃ意味がないわけです。
わかるかなあ、わかんねえだろうなあ。(昭和のギャグ)
(つづく)