インターネットの時代、AIの時代

20世紀から21世紀になるころでしたでしょうか。
世の中にインターネットなるものが出回り始めました。
私は30代でしたか、当時のおじさんたちは
「インターネット? なんだそれ?」
という感じで、皆さん頭の中が「???」の状態でした。

昭和の少年たちは本屋さんやコンビニでレジのお姉さんたちの目を気にしながらエッチな週刊誌を買わなくてもよくなりましたから、私も含めて同世代は皆さんのめり込んでいきました。

「インターネットは儲かる」
などと言うタイトルのビジネス書がいっぱい出たりして、今考えるとおかしいですよね。
だって単なる設備装置の話ですからね。

でも、なんとなく皆さん納得していたのです。
なぜならば当時のおじさんたちは昭和中期に電話の普及というのを経験していたからです。
それまでは手紙で連絡を取っていた時代でしたから、電話が身近になった時には「これは便利だ」と誰もが思いました。
ただ、電話は今のように通話料金が安くはなくて、長距離通話は2.5秒で10円の時代でした。
自販機のコーラが1本50円の時代です。
1分話したらコーラが5本飛んでいくような時代でしたから、近距離ならともかく、長距離電話を掛けるのは誰しもがはばかられました。

寅さんの映画の中で、さくらが時計を見ながら
「そろそろお兄ちゃんから電話来る時間だわ」
というシーンがあります。
そしてそのすぐ後に電話が鳴る。

若い人はどうしてさくらが電話が来ることがわかったのか不思議だと思いますが、実は当時、夜の8時を過ぎると通話料金が安くなったんです。
だから遠くへ旅に出ていた寅さんは、通話料が安くなる時間帯を待って柴又の家に電話をしていたのですが、ではいくらだったかというと、日中時間帯は2.5秒で10円でしたが、8時を過ぎると4秒で10円。
ずいぶん安くなるものですが、それでも1分話をするとコーラが3本飛んで行きました。

当時の50代以上のおじさんたちはそういう電話の普及を経験していましたので、「インターネットは儲かる」と言われても頭の中は「???」ですが、なんとなく理解できたのです。

蕎麦屋さんだって電話を入れれば注文が増えるわけで、会社の仕事だって、電話があれば打ち合わせもスムーズですから売り上げも上がる。
これと同じことが多分インターネットの世界でも起こるんだろうなあ。
実態はつかめないものの、なんとなくそんなおぼろげな感じだったと思います。

さて、そんな時、当然ですが航空会社もインターネットを取り入れました。
対お客様サービスで最初に取り入れたのが「事前座席指定」だったと思います。
当時は同じエコノミークラスでもいくつもの種類があって(今も同じですが)、お支払いいただいた航空券の金額によってランクが決まり、エコノミークラスで事前座席指定が可能な航空券は格安航空券の部類ではありませんでした。

じゃあ、皆さんご希望の席を取るにはどうしていたかというと、とにかくできるだけ早く空港へ行って、チェックインカウンターのオープン前から並ぶのです。
それが当たり前でした。
そこへ、航空会社が「24時間前からインターネットで事前座席指定ができますよ。」というサービスを始めたのです。
どんな格安航空券でも前日になれば座席を選ぶことができる。
今では当たり前のそんな制度ですが、当時としては画期的でした。

で、格安航空券で旅行する若者たちは、自分の好きな座席を空港に来る前から指定するようになりました。

ところがこれに乗り遅れたのがおじさんたちでした。
ここからは上級カードを持った常連のおじさんのお話です。

ある時、私がカウンターに上がるとそのおじさんはチェックインが始まる前に列の一番前に並んでいました。
そしてチェックインがスタートします。
女性職員が対応します。
するといきなり怒鳴り声が聞こえました。

「いったいどうゆうことだ。一番前に並んでるんだぞ!」

私はそのカウンターに向かいました。
お話をお伺いすると、非常口の前の足が伸ばせる席が欲しくて一番前に並んだのに、女性職員から「その席はすでに埋まっています。」と言われてブチ切れたらしい。

そうですか、そうですかとお話をお伺いしましたが、当時の私はまだ30代半ば。
カウンターの責任者とは言え、おじさんから見たら若造です。

「この間からインターネットで事前座席指定という制度がスタートしまして、お客様は前日からお好きな座席を選ばれていますから、一番前に並ばれてもすでに取られてしまっているのですよ。」

私がそう説明すると、その方は

「お前までインターネットって言うのか! どいつもこいつもインターネット、インターネットって言いやがって!」

あぁ、確かにそうなんだろうなあ。
当時50歳前後の方だったと思いますが、会社で部下からいつもインターネットって言われていて、なかなか自分ではキャッチアップできなかったのでしょうね。
そこへもってきて若造の私から「インターネット」と言われたものですから、火山が大噴火したのでしょう。

考えてみたらこの方は月に1度ぐらいロンドンへ出張へ行かれる方で、よくお乗りいただく常連様です。
確か以前はビジネスクラスでした。
でも、バブルが崩壊して出張は行くけどビジネスは乗れなくなってしまった。
そういう方が当時はたくさんいて、出張へ行くたびにイライラしていたのでしょう。

そんな時に若造から「お客様、今時はインターネットの時代ですから」と言われたのですから、気持ちは理解できますね。
エコノミークラスがオーバーブックしていたら、上級カードの会員様はアップグレードの対象になりますが、その時はそんな状況ではありませんでした。
そして非常口前の座席どころか、通路側も窓側もほとんどふさがっていて、残るは真ん中の席しかないという虫食い状態でした。
東京からロンドンまで12時間。
観光ならともかく出張で行くのですからエコノミーの真ん中の席はきついでしょう。
まして、以前はビジネスが当たり前だったのですから。

でね、私は申し上げたのです。

「5万円でビジネスクラスはいかがですか?」と。

航空券というのは運賃制度です。
日本の国鉄も昭和44年まではそうだったのですが、当時の1等車に乗るためには1等の運賃が必要で、2等は2等の運賃です。
航空券もファーストに乗るにはファーストの運賃が必要で、ビジネスに乗るにはビジネスの運賃が必要です。

今はJRは料金ですよね。
グリーン車に乗るためには乗車券にプラスしてグリーン料金を払えば乗れますが、1等車の時代は最初から1等の乗車券が必要でした。
航空券もビジネスクラスは料金ではなくて運賃ですから、エコノミークラスの人がビジネスに乗りたいと言ってもビジネス料金というものが設定されていませんでしたから、本来の切符の差額を計算して航空券そのものを変更しなければなりません。
でも、格安航空券の場合、団体のバラ売りのような航空券ですから、いくらで買ったかの表示自体がないのです。
だから、差額の計算の仕様がありません。

で、私は考えました。
今何が問題で、どうしたら解決できるかを。
問題は目の前のお客様にご満足いただくことと、そしてその解決方法で会社も儲かること。
この2つを同時に実行できるのですから、航空券のルールはある程度無視していることを承知で、
「5万円でビジネスクラスに乗りませんか?」
とオファーしてみました。

するとどうでしょう。
そのおじさんの顔が変わりました。
今までさんざんビジネスクラスで出張していた方ですから、ビジネスクラスの切符がいくらか知ってます。
そして、自分が会社から渡されたエコノミーの格安航空券の価値もわかります。
5万円でビジネスへ変更できることは、超格安お買い得のチャンスです。

でも、今から30年前の5万円ですよ。
500円も出せばお昼ご飯がふつうに食べられた時代です。
5万円といえばサラリーマンのひと月の小遣い以上でしょう。

ここで、心の中の葛藤が始まります。
5万円がもったいないから黙ってエコノミーの真ん中の席に座っていくか。
それとも、5万円払ってビジネスに乗るか。
航空会社に対してけしからんと怒り心頭だった自分に、「さぁ、どうします?」といきなりボールを渡された感じでしょう。

時間にしてわずか数秒だったと思いますが、
「よし、ビジネスにしてくれ」
そう言われました。

驚いたのは航空券の係りの女性で、
「鳥さん、そんな発券できませんよ。」
まぁ、そりゃそうだね。
私は、
「サービスチャージとしておいてくれ」
と言って、おじさんに5万円をお支払いいただき、おじさんはニコニコ顔で出発していきました。

さて、フライト後、デブリーフィングの時にいろいろと話し合いが持たれました。
人によっては航空券のルールを無視した行為だ。
また、人によってはああやったらおじさん黙るのね。
最初にかみつかれた当の本人は「鳥さん、ありがとう。」

まぁ、航空会社のチェックインカウンターになぜ男性職員がいるのか。
それはクレーム対応のためのようなものですから、私は防波堤であり、時としてサンドバッグだったのです。

空港というのは最後の関所でありますから、ここでいくら稼ぐかが会社の業績を左右します。
また、飛行機の座席という商品はドアを閉めて出発した瞬間に商品価値を失います。
今日売れ残った商品を明日また売る商売はたくさんありますが、飛行機の座席はお刺身などと同じで、今売らなければ価値が無くなるという性質ですから、出発前にあといくら稼ぐかが空港の管理職には求められます。

そして、空港はお客様の救済場所でもありますから、いろいろな事情を抱えたお客様に対して、ある程度ルールを柔軟に解釈して対応する場所でもあります。
ということで、私が責任者の時は、座席のトラブルがあると女子職員も、「お客様、5万円でビジネスクラスはいかがですか?」と案内するようになりまして、ホステスさんが太客にドンペリを勧めるように、5万円のアップグレードが頻繁に行われるようになったのです。

5万円のお客様をレジカウンターにご案内するとき、
「アップグレードの方です。お願いします。」
そう言いながら私に向かってウインクしていく女子職員の笑顔を思い出しますが、今考えてみたらチェックインカウンターでの私は高級クラブの黒服のような存在だったのだと思います。

そして、今思い出すと、「お前までインターネットって言うのか!」とかみついてきたおじさんたちも皆さん80歳ぐらいになられているのでしょう。
そういう方はほとんど少数派になりましたが、皆さんどうしていらっしゃるのかな。

と懐かしむ場合ではなくて、すでに次の時代がやってきています。
どうやら今度は私の番のようです。

「どいつもこいつもAI、AIって、お前までAIって言うのか!」

そうならないように気を付けないと、ですね。

いつのときも時代は繰り返すのです。