大井川鐵道の夜行列車はこの冬は12系客車で運転します。
その12系客車が夜行列車に使用され始めたのは昭和52~53年ごろだったと記憶していますが、それまで旧型客車だった上野発の夜行列車が、12系に変わっていったのが今から50年ほど前ということになりますね。
当時高校生だった私は、もちろん旧型客車ファンで、夜行列車が12系に変わっていくのをなんとなく悲しい気持ちで見ていたことを思い出します。
その夜行列車が5年もすると旧型客車からすべて12系客車に変わってしまい、大都市圏を発着する夜行列車から旧型客車が完全に淘汰されたのが多分昭和55~57年ごろだったでしょうか。
だから、今50代の方は皆さん夜行列車といえば12系という世代だと思います。
大井川鐵道にも12系が導入され、この冬の夜行列車が旧型客車から12系になったことを考えると、なんとなく昭和50年代の変遷を思い出すのですが、ちょうどその頃でしたでしょうか。演歌のヒット曲を歌う歌手が千昌夫、新沼謙治、吉幾三と、皆さん東北出身だったことが私の夜行列車の記憶と重なります。
誰かのインタビューだったでしょうか。
誰だったかは記憶していないのですが、こんなことを言っていたことを思い出します。
「東京からの夜行列車に乗って故郷の駅に降り立つ時には、グリーン車から降り立っていた。」
どういうことかというと、就職で東京に出た自分が里帰りするとき、家族や友人たちが駅に迎えに来ているかもしれないから、そういう時はグリーン車のドアから降り立つ。
そうすると、「あいつは立派になった。」と故郷のみんなに思ってもらえる。
もちろん、乗っているのは普通車の座席車ですけど、自分の駅が近づいてくると車内を移動して、到着前にグリーン車や寝台車へ行って、そのドアから降りるのです。
故郷に錦を飾るというのでしょうか。
駅やホームに迎えに来てくれている家族や友人たちに、いいところを見せたかったのでしょうね。
見栄っ張りですよね。
グリーン車や寝台車から降りてくる自分を見た友人たちは、「あぁ、あいつは立派になったなあ。」と思ってくれるからでしょう。
そんなインタビューがあったことを思い出しました。
今、大井川鐵道の夜行列車を実質的に企画運用しているのは30代のスタッフです。
彼らは昭和を知りませんし、夜行列車もほとんど経験したことがありません。
そういう彼らにいろいろとアドバイスをするのが私の役目ですが、そんな時手にするのは当時の時刻表です。
全国各地で走っていた急行列車の夜行列車。
八甲田、十和田、津軽、鳥海、越前、能登、きたぐに、ちくま、さんべ、雲仙、西海、かいもん。
そんな時刻表をめくっていたら、急に「故郷に錦を飾る」話を思い出しました。
故郷の駅にグリーン車のドアから降り立つ。
今の人たちが聞いたら「だから何なの?」と言われるかもしれませんが、みんな貧乏だった昭和の時代ってなんだか悲しかったですね。
かく言う私は、会社の経費で出張するときは普通車ですが、自分でお金を払う時はグリーン車に乗ることが多いのです。
でも、新潟では違いました。
東京から上越に帰る時、よく利用していたのが東京駅18時の「はくたか」。
かれこれもう6~7年前の話になりますが、18時の「はくたか」に乗っていると、地域の皆様方によくお会いするんです。
皆さん、東京からの出張の帰り。
18時の「はくたか」はちょうどよい列車なんですね。
で、グリーン車に乗っているでしょ。
私がグリーン車に乗る時はもちろん自腹ですよ。
でも、地域の皆様方から見たら、「税金で補填されている赤字会社の社長がグリーン車に乗ってる。」って思うのではないか。
数回、地元の皆様方に「はくたか」の中でお会いして以来、ちょうどコロナが始まって列車がガラガラになった時期でもあったので、私は「はくたか」のグリーン車に乗るのをやめました。
逆見栄ですかね。
地元の人たちに、いらぬ疑いを持たれたくない。
そんな気持ちだったと思います。
ところが昨今では、新幹線はグリーン車をよく利用します。
もちろん、百円玉数個の差額で乗れる安い切符で乗っているのですが、さすが天下の東海道。
「赤字会社の社長がグリーン車に乗りやがって」
と思う人もいないのでしょう。
あまり気にせず、グリーン車でお仕事をしながら自分の駅に降り立つのです。
とにかく私は貧乏性ですから、普通車だと寝る。
だけど、グリーン車だともったいなくて寝ませんから、その分お仕事がはかどるのです。
まぁ「こだま」のグリーン車は安い切符で乗れるというのもあるのでしょうけど、昭和の時代も今の時代も、貧乏性の私にとって、グリーン車というのはなんだか悲しい乗り物なのであります。
あぁ、昭和。
されど、昭和。
今となってはあまり思い出したくないのが昭和ですが、その昭和を商品化するという矛盾と闘っている今日この頃であります。

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