ファーストクラスのサービスをプランする その2

7月10日のブログの続きです。
日本という国は過去40年以上にわたって大都市至上主義、東京至上主義でやってきました。
だから、田舎の人たちは、東京には絶対にかなわないと思っています。
サービスだって、最高の物は東京にあると信じて疑わない。
そんな時に、弱小なローカル線が、地元の産品を引っ下げて、田舎を代表してファーストクラスのサービスを始める。
そうすれば、田舎の人たちも、自分たちの地域に誇りを持てるようになるのではないか。
これが、いすみ鉄道がファーストクラスのサービスをプランしようと考えたきっかけです。
何しろ、いすみ鉄道沿線には東京だけじゃなく、世界のファーストクラスに用いられている食材がたくさんある。
世界を相手にして十分に勝負ができる地域だ。
私は、そう確信していますから、地元の人に、もっと地域に対して自信を持ってもらいたいのです。
私は、長年にわたって東京とロンドンを結ぶ路線で、ファーストクラスのお客様を見てきました。
彼らがどういうサービスを求めていて、どういう思考回路があるかもだいたい把握しています。
その上で、いすみ鉄道のような資本もない弱小会社でも、ファーストクラスのお客様をお迎えできると考えているのです。
なぜなら、ファーストクラスのお客様というのは、最新の豪華設備を売り物にしなくても、ボロの車両でも十分に勝負できる、ご理解いただける方々だからです。
ファーストクラスのお客様というのは、それなりの方々です。
それなりというのは、お金があるとか、会社での地位が高いとか、そういう判断基準ではなく、目が肥えていて口も肥えているというのでもなく、実は、物事の本質をご理解いただくことができる本物志向の方々です。
その人が、ファーストクラスのお客様になるまでには長い長い人生の過程があって、その中でいろいろな知識や経験を身につけて、人生を上手に歩んでこられた方々です。
そういう方々にお客様になっていただくことは、自分たちのサービスを高めることができるし、ひいては最高のローカル線を目指すことができる。
これが私が考えるファーストクラスサービス導入の理由です。
決して、高い料金をいただいて売り上げを上げるためではありません。
なぜなら、ファーストクラスのお客様は、本質を見抜く力のある方々ですから、売り上げ増や自社のステータスを上げるためだけのサービスでは、すぐに化けの皮がはがれてしまうからです。
だから、私は列車の中でお食事をサービスするレストラン・キハには自分が乗務する前提で考えているのです。
JRでも最近では新幹線にファーストクラスをつけて走らせています。
グリーン車の倍以上の料金ですから、まさにファーストクラスです。
おそらく飛行機を意識してこういうサービスを始めようと思われたのでしょうが、私から見ると、車両が新品で座席が豪華な素材でゆったりとできているだけで、あとは上級のサービスといえるものはありません。
例えば、車内に入るとアテンダントのお姉さんが温かいおしぼりを持ってきてくれます。
グリーン車は紙おしぼりですから、温かいタオルのおしぼりはワンランク上のサービスなんでしょうけど、どうしてビニール袋に入れたまま渡すのでしょうか。
ファーストクラスでしたら、ビニール袋から出して、おしぼり受けを添えて出すのが普通だと思います。
ビニール袋に入ったおしぼりを受け取った、どこのオヤジかわからないようなおっさんが、「ポン!」と叩いて割ろうものなら、それだけでファーストクラスの空間が場末の喫茶店になってしまいます。
べつにダメ出しをするつもりはないのですが・・・
先日、この新幹線のファーストクラスに乗っていた時のこと。
大宮を出て車掌が検札に来ました。
私は一人掛けの席でしたが、通路を挟んで反対側の2人掛けの席のお客様に車掌が声をかけています。ご存知のように指定席車両では、指定された席に座っていれば検札で声をかけられることはありませんが、そのお客様は通路側の切符を持っていて、隣の窓側に座っていたのです。
「お客様は通路側のお席ですね。こちらにお座りください。」と車掌が言いました。
窓側ではなくて通路側の指定された席に座れと指示をしています。
列車はすでに大宮を出て、次の停車駅は仙台です。そして、そのお客様は仙台までのご乗車だということは車掌もわかっています。
東京からご乗車されたそのお客様は、テーブルを出して、車内で配られたお弁当を食べている状態です。
まして車内は半分以下の乗車率で、空席がたくさんあるという状況ですから、お客様は「さっきアテンダントの方に、今日は空いているからどうぞ、と言われたんですよ。もう大宮を出て、今この席のお客さんが乗ってなければ仙台まで来ないでしょう。」と言いました。
でも、車掌は譲りません。
「この席をお持ちのお客様が、他の車両にご乗車されていて、列車の中を歩いてこちらに向かって来られる途中かもしれません。だから、指定された通路側にお座りください。」
私は自分の耳を疑いました。
これはプロレタリアのブルジョアジーに対するささやかな反抗ではありません。
こういうことを日本語で「屁理屈」というのです。
言われたお客様は開いた口がふさがりません。
その席が売れているかどうか、車掌なら手元の機械で分かるはずだし、もし、本当にこの席の人が他の号車に乗車されていて、しばらくたってから車内を歩いてこの席にやってくるとしたら、わざわざここに2人並ばせて座らせるより、いくらでも空いている座席に座ってもらえばよいし、第一、それをご案内するのが車掌の仕事でしょう。
その座席のお客様はあきれて相手にしませんでしたが、テーブルを出してお弁当を食べているし、飲み物もあるから隣の席に移動する様子はありません。
「お客様、窓側にお座りになりたいのでしたら、今度から、窓口で窓側の座席をちゃんととってきてください。」
車掌はそう言って次のお客様の検札に移りました。
これは捨てゼリフですね。
プロレタリアが、なぜ自分が今の世の中でプロレタリアたるかを思い知ったかどうかはわかりませんが、ブルジョアジーにみごとに完敗した瞬間です。
こういう光景を目の当たりにすると、私はファーストクラスのサービスってなんだろうか?と思うわけです。
ファーストクラスのサービスを提供するということは、ファーストクラスのお客様がお乗りになるということです。目の前にいるお客様がどこの誰かはわからなくても、少なくてもファーストクラスのお客様なわけです。
ワンランク上のサービスを提供するというのは、豪華な座席で豪華なお弁当を出すということではないはずですよね。
この時は幸い、お客様の方が車掌を相手にしていませんでしたから、喧嘩にはなりませんでしたが、だいたいファーストクラスのお客様というのは、あまり細かいことを杓子定規に主張する人種ではありませんし、どちらかというとフレキシブルで、臨機応変に対応される方が多いのです。
つまらぬ規則を盾に、理屈をこねくり回すような杓子定規な考え方では、現実の社会でファーストクラスに乗れるような社会的地位を得ることが不可能なのですが、そういうことをすら理解していない車掌が、逆に食って掛かっている。それをお客様の方がサラりとかわしてしまったのです。
そして気が付いたのが、アテンダントとして最高のサービスを心掛けている若い女性たちのサービスをこの車掌が台無しにしていること。
彼女たちが、たとえビニール袋に入ったおしぼりでもニッコリ笑って最高のサービスを提供しようとしている。
その彼女たちが、実は派遣社員か子会社の契約社員で、サービスを台無しにしている車掌が鉄道会社本体の正社員だとすれば、これが正に現代版女工哀史、と言っては大げさかもしれないけれど、現代版プロレタリアート。現代社会の大きな構造が見えることに気が付いて、私は「こういう世の中はいけない。」と思ったのであります。
私がこういうことを書くと、ハチの巣をつついたような大騒ぎになる会社があるかもしれません。
高速バスが2分早発した、10分早着したと書いたら、「あの社長は何日の何時のバスに乗ったのか。」と運転日報まで調べて、「そんな事実はない。」と大クレームを受けたこともありますが、私は過去30年以上にわたって自分が乗った車両や飛行機などの番号と実際の運行時刻を手帳に記載していますし、ブログに書いていることは事実ですから、私にクレームの矛先を向けるんじゃなくて、どうやったらサービスが向上するかを考えることが、その会社の仕事だと思います。
もっとも、いすみ鉄道だって適当な仕事しかしてない人間もいるし、くだらない屁理屈をこねくり回すことを自分の仕事だと思っている職員もいるかもしれないし、時には態度の悪い職員もいる。この新幹線の車掌も、たまたま虫の居所が悪かったのかもしれませんが、私は一般のお客様相手ではなくて「ファーストクラスのサービス」というポイントでお話をしています。
何も考えなければどんなにお金をかけて鳴り物入りで登場したとしても、単なる箱モノを提供するだけのファーストクラスになってしまいますし、そうすれば、遅かれ早かれ利用率は低迷する。なぜなら、ファーストクラスのお客様は、新幹線ばかりでなく、飛行機も乗るし、国内だけでなく、世界を経験しているから、金メッキはすぐに見破られてしまうということなのです。
スーパードメスティックな大企業ではありがちかもしれませんが、たぶん、現場の管理者あたりでは私が言っていることは一生理解できないでしょうし、それが一番の問題なのですが。
ファーストクラスというのは、豪華な座席や、お食事を提供する場所ではありません。
そう思っているのは、エコノミークラスの人たちなわけですから、そういう人たちがサービスを考えると、そのようになってしまうということなんです。
(つづく)