煙分補給の旅

今日は「やまぐち号」のD51の列車に乗ってきました。

昨日、京都の大江に行きましたが、先週急に思い立ったんです。
せっかく大江に行くのなら、ついでに足を延ばして山口へ行こうと。

京都から新山口まで「のぞみ」で2時間ですから、ちょっと寄り道・・・
寄り道にしては遠回りですが、この3連休ぽっかりスケジュールが空いてしまいましたので、「鬼と会ったら寄り道」と出かけました。

朝の新山口駅です。
バス乗り場の向こうにD51の煙が上がっています。
テンション高まりますね。

D51はボイラーが太いから煙もたくさん出ますね。

それにしてもSLの人気はすごいものがあります。
こんなにたくさんの方が乗車されてました。

山口線でSLが復活したのが昭和54年(1979年)。
大井川鐵道が昭和51年(1976年)ですから、大井川鐵道のSLブームにあやかろうと当時の国鉄がもくろんだことは間違いありませんが、なんで山口線なのか。

その理由は東京や大阪から遠いからなんです。

東京から遠いところで走らせれば、新幹線に乗ってもらえる。
SLだけでは儲からないかもしれないけれど、新幹線に乗ってもらえればトータルで儲かる。
というのが当時の国鉄幹部の本音です。

私は学生でしたが、国鉄はなんて意地悪なことをするのか、と思いました。

なぜなら学生の身では山口はとても遠いところで、とてもじゃないけど行けない場所でしたからね。
今なら飛行機でビュ~ンというのもありでしょうけど、ていうか、山口へは私はほとんど飛行機で飛んでますが、当時の山口宇部空港はプロペラのYS11が1日に2本飛んでいるだけでしたから、国鉄としては眼中になかったのでしょう。
新幹線だけじゃなく、寝台特急というのもたくさん走っていましたからね。
当時はSLが消えてまだ数年でしたから、機関区や転車台など各地に残っていましたので、わたし的にはもっと東京から近いところ、例えば八高線あたりで走ってくれたらありがたいなあと思ったものです。

まぁ、商売のセンスとしては、SLだけじゃ儲からないので新幹線もセットでというのは、半世紀近く前の親方日の丸の役人の考え方としては見上げたものがあると私は今更ながらに感心しますが、JR西日本という会社をよく知る今となっては、「SLだけでも儲かっている」はずで、じゃなければ客車を新造するはずはないと思うのですが、東京から新幹線に乗って来てもらおうという考え方は今も変わっていないようで、新山口10:54発という時刻は、東京を6:15に出る「のぞみ3号」にしっかりと接続するダイヤになっています。

津和野について入換をするD51です。
寒くなってきたので、白い煙がよく目立って、単機の入換だけでも迫力ありますね。

かく言う私は実は今日はトンボ返り。
津和野駅滞在約40分で反対側からやってきた特急に乗車して新山口に戻ります。

津和野駅で知り合いの町役場の職員の方に声をかけられて、「お忍びですか?」
良かった、内緒の美女と一緒じゃなくて。(爆)

津和野駅で昼食に仕入れた駅弁。
からあげ弁当、700円です。
今時700円で駅弁を売ろうなんて心意気がうれしいじゃないですか。

途中の篠目駅で友人たちが駅の美化活動をしている姿を通過する特急列車の車窓から見ながら、「今回は急に思い立ってトンボ返りの旅なので連絡せずにごめんなさい。」と思いつつ、新山口に着いたらなんだかお腹が減って来て、やっぱ、700円の駅弁じゃ満腹にならなかったみたい。

ということで乗り換え待ち時間に駅構内の居酒屋さんでプハ~。

昼のみ大歓迎、生ビール、ハイボール半額!
ってのに釣られて、いい気分になって名物の瓦そばをいただいて「のぞみ」の中で爆睡。

すでに静岡のお家に戻っております。

ていうか、まんまと昭和の国鉄の罠にハマって、京都から大きな迂回コースで新山口まで往復新幹線に乗ってしまった私でありました。

滞在時間10数時間。
山口県というところはきれいな女性が多いので長居は危険が伴います。

良い子は早くお家へ帰りましょう。
の旅でした。