今日は敬愛なる南正時先生がいらっしゃいました。

南先生は今から14年前にキハ52を導入した当初から懇意にしていただいておりまして、何度も取材にいらしていただきました。

もう10年以上前ですが、こんな記事を週刊誌でご紹介いただいたり、あるいは、

レストラン列車を取材していただいたり、



南先生はSL時代はもちろんですが、その後、ブルートレイン大人気時代を築かれた方です。

まぁ、もう皆さん50代でしょうけどね。

先生はヨーロッパの鉄道を日本に紹介された第一人者でもあります。
武田鉄矢さん主演のヨーロッパ特急という映画がありましたが、ヨーロッパの鉄道の写真を撮って歩く武田鉄矢さんの役は、実は先生がモデルなのです。
日本の鉄道ファンはスーパードメスティックな人たちが多く、日本の鉄道のことは車両や線路の隅々まで知識を競い合っていますが、外国のこととなるとほとんど知らない人たちが今でも多いですが、そんなスーパードメスティックな鉄道少年たちに海外の鉄道を紹介したのが南先生で、私も子育て中にTEEはじめ、外国の列車の本を子供と一緒に読んでいましたが、その第一人者が先生なのであります。
ということで、今日は直江津以来久しぶりに先生にお会いしまして、ちょうど作業が何もなかったので車庫や駅の中をご案内させていただきました。

間もなく出場予定のC10はピカピカ。



若手スタッフと記念撮影。
多分彼らは南先生がどれだけ偉大な方か、わかってなかったと思いますが、

幹部職員の伊藤さんは私が先生と歩いているのを見かけて、
「もしかして、南正時先生でいらっしゃいますか?」
と声をかけてきました。
はい、先生の特急図鑑で鉄道にはまった昭和の少年であります。

「おぉ、いいですね、これ」
そう言われてシャッターを切る先生です。
私が小学生、中学生のころはSLブームがありまして、テレビも雑誌もSL写真であふれかえっていました。
チョコレートでもガムでも、中には野菜でもSLの絵を付けると売れた時代です。
そのころ、プロのカメラマンの皆様方は真っ黒い煙を吐いて驀進するSL写真を撮られていましたが、先生の写真は人が写っていたり、道祖神や柿の木など、人々の生活に密着した写真が多く、私はそれらの先生の写真を見て、田舎のローカル線の情景にあこがれたものです。

これは朝の米沢駅。
米坂線のキューロクの列車が着いて職場へ向かう人たちです。

こちらは先生が撮影された京都市電。
三十三間堂前です。
高校生だった私は、そんな先生の手法にあこがれていまして、こんな写真を撮ったりしてました。

昭和52年、17歳だった私が撮影した京都市電、三十三間堂前。
同じ場所なんですけど、全然技量が違いますね。(笑)

先生のご著書ですが、この裏表紙の写真。
確か小海線だったと思いますが、この柿の木と古い民家。
昭和40年代に東京の子供だった私が憧れた景色なんです。
この当時、SLが走る田舎に強いあこがれを持ったのが多分きっかけになったのでしょう。
今でもローカル鉄道にかかわっているのがその証拠です。
「そう言えば社長、C11-312の写真、ボクは会津で撮影しましたよ。雪の中でした。」
C11-312というのは、今、門出駅の中に保存してある機関車です。
ネットで探したら、東洋経済の記事に出ていました。

只見線の会津坂下ですね。
やっぱり先生の写真は人間の生活が写っているんです。
半世紀も前からこうした写真を撮影されていらっしゃるのですから、すごい方なのです。
ということで、先生とお話しさせていただいていると、次から次へと当時の自分が感じていたことなどを思い出すから不思議ですね。
写真の持つ力とはそういうものなのでしょう。
今はスマホの時代になりましたが、50年後に残る写真が果たしてどれだけあるのか。
そう思うと、昭和の1枚の写真が語る力は偉大だとあらためて感じさせられた次第であります。
先生、本日はお越しいただきましてありがとうございました。
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