今日は米野さんにお会いしました。

今日はお時間をいただきまして米野磐(よねのいわお)さんにお会いしました。

米野さんは鉄道マンとしての大先輩。SL時代のお話を直接お聞きしたくて、米野さんのご自宅にお邪魔させていただきました。

米野さんは昭和10年生まれ。
大原のご出身です。

昭和28年に国鉄に入り、千葉鉄道管理局で機関車一筋に活躍されてきた方で、蒸気機関車が無くなるまでハンドルを握られていらした方です。

そんな米野さんから、今日は面白いお話をいろいろとお伺いすることができました。

そのうちの一つ、大変興味深かったのはいすみ鉄道の前身、旧国鉄木原線の貨物列車のお話です。

木原線には昭和41年まで蒸気機関車が牽引する貨物列車が走っていましたが、その機関車はC12型。今、真岡鉄道で走っているSLです。
それも、1台の機関車が1日おきに千葉から久留里線、千葉から木原線と貨物列車を引いていて、それも大網-土気間の急こう配を貨物を引いて越えていたというのですから驚きですね。

そして、もっと驚いたのは米野さんが機関助士としてそのC12の貨物列車に乗務されていらしたというお話し。

皆さん、興味ありませんか?

ということで、米野さんのFacebookページに書かれていますC12の貨物列車のお話です。
どうぞご一読ください。


▲大多喜駅に停車中のC12牽引の木原線貨物列車(昭和31年9月 写真提供 村樫四郎氏)

房総東線の貨物列車は勾配の関係で、佐倉から東金線経由の運転でした。

その中で房総東線で、大網・土気間を運転する唯一の貨物列車・・・
それは私が機関助士時代、木原線と久留里線を一日おきの不定期運転で、牽引定数は160トン。C12にとって、余裕のない可なり厳しいモノがありました。

千葉機関区のC12、出区時は運転室の中は石炭の山で、足の踏み場も無いほど積み込みます。
(炭水車のないC12。千葉から大原を経由して上総中野までの往復に使用する石炭を積むには)炭庫だけでは不足するから、(機関車の運転室の中まで山のように石炭が積まれます。)乗務員の作業環境も考えずに狭くて暑苦しい運転室・・・。
石炭の山に登っての投炭作業は、鎖にぶら下がる様なスタイルで足元の石炭を掬っての投炭でした。

大原に着く頃は運転室の石炭も使いきり、スッキリとした状態で勝浦機関区の乗務員と交代します。彼等が上総中野を往復して来る間は自分の時間です。

(帰路)勝浦の乗務員から引継ぎバック運転の機関車が機関区方向に向くと作業はいよいよ大詰め、大網の坂が待ち受けています。
大網では転車台に乗らず前向きの運転です。

大網到着時、水面計缶水8分目・蒸気圧12キロ(C12の使用圧力13キロ)。
機回り線経由で到着反対側に連結して発車待ち。
発車準備は発車5分前に・・・先ずバックとサイドに充分に投炭ブロワー全開。
発車と同時に定圧、此処が難しい・・・
定圧になるまで発車見合わせ・・・
機関助士の意地で慣れるまでは、中々こうは行きません。

いよいよ発車・・・順調に加速。
発車間もなく機関助士側の大カーブにさしかかると、機関士の「前!」指令・・・
(機関士側からは前方注視ができないため、機関助士が列車前方を注視します。)

機関助士は投炭出来ず前方注視・・・此処で蒸気が下がってはNG・・・其の為にも発車準備は大切です。機関車は煙突が張り裂けんばかりのブラスト。

途中40Km/h・45Km/hの制限があるも、この際目を瞑り懸命に走るのみ・・・
直線から曲線の入り口付近は空転の発生率が高く、機関助士は要注意です。
空転すると火床面積の小さい機関車は火床が裏返しになります。そうならない為、機関助士は空転と同時に焚口戸を開き火種が持って行かれない様注意を払います。

焚口戸を開くのが遅いと先ず持って行かれます。
小さい機関車独特の現象です。

今まで煌々と燃え盛っていた火床が真っ暗・・・前途運転不能となります。
こうならない為にも機関士・機関助士は土気を目指しモクモクと自分の持分・・・
真剣勝負です。

途中トンネルを出て土気の遠方信号機が見えてくる辺り、最後の要注意地点です。此処を無事通過すると、機関助士は両方の注水器を掛け給水開始、土気3分早着位が順調で定時運転では可なりの悪戦苦闘です。

蒸気機関車で空転せずに山登り・・・此れだけでも一冊の本になりそう。
一度空転すると、機関士は再粘着させる為加減弁閉塞、再度加減弁を開きます。
その結果慣性でボイラーの缶水が移動、動輪上の軸重が変化して再び空転、と悪循環を繰り返し・・・とどのつまり停車してしまいます。

空転させない運転操作・・・此れは長くなりますので後程・・・。

蒸機が無くなりこの線区も新しい線路に切り替わり、大網のスイッチバックは解消され、牽引機もDE10に変わりました。しかしこの線区DE10には重荷で、トンネル出口付近で水温注意の警報が出ます。条件が悪いと水温高となり、アイドル運転となり力行不能となります。旧線の方が機関車向けの線路でした。遠い昭和の思い出です。


▲昭和40年頃。蒸機機関士時代の米野さんです。

米野さん、本日は貴重なお話をありがとうございました。

本日お伺いした米野さんのお話は、明日、YAHOOニュースに書かせていただきたいと考えております。
皆様どうぞお楽しみに。