たかがお茶、されどお茶

静岡に居るとお茶に接する機会が多いです。
毎日の通勤路も茶畑を抜けていきます。

「お茶なんて」

そういう方もいらっしゃるでしょうね。
確かに、食堂に入ればタダで出てきますからね。

「お茶おいしいですよ。ぜひ、静岡へいらしてください。」

そう宣伝したとしても、わざわざお茶を飲みに静岡へ来る人はいないでしょう。

でも、お寿司屋さんに入って最初にお茶が出てくるでしょう。
最初に出るお茶は「でばな」。最後に出るお茶は「あがり」と言いますが、その最初に出るお茶がまずかったらどう思いますか?

きっと、そのお店の寿司ネタすべてから輝きが消えるでしょう。

「なんだこのお茶は?」

そう思った瞬間にそのお店のお寿司そのものが「大した事なさそうだな。」と思われてしまいます。

新潟に居た時もそんなことを思いました。
それはお米です。
新潟のお米は本当においしいです。
でも、「おいしいお米を食べに新潟にいらしてください。」と言ったとしても、わざわざお米を食べに新潟へ行く人はいませんよね。
だけど、新潟で、少なくとも上越でお昼ご飯を食べに入る定食屋さんなどの食堂で、「なんだここの店のご飯は?」と首をかしげるようなお店には当たりませんでした。
私がよく行く大陸の人がやっている台湾料理のフランチャイズ店。
ああいうお店ってお米おいしくない印象があるんですけど、新潟ではおいしいご飯を出していました。
「ご飯がおいしい」だけではお客さんは来てくれませんが、ご飯がおいしくなければその店のお料理も引き立ちませんし、そんなお店はすぐにたちいかなくなります。

新潟ではお米、静岡ではお茶。

どちらも地域を代表する名産品ですが、それだけではお客様を呼ぶことはできません。
でも、それが無ければお料理そのものが輝かなくなるという点では、無くてはならない名わき役なんです。

ということでお茶の話。

島田市を流れる大井川には蓬莱橋という木造の橋としては世界最長と言われる長い橋が架かっています。

この蓬莱橋を渡った向こう側には丘陵地帯が見えます。
手前側は焼津、藤枝、島田とずっと平地が続いているのですが、大井川を越えたところから山が始まります。
電車で大井川鐵道にお越しになられる皆様方は、東海道線の電車が大井川の長い鉄橋を渡ったところから上り勾配が始まり、金谷の駅で山に突き当たってトンネルになるのをご存じだと思います。

そう、大井川を境にそこから西は山越えになります。
この山は牧ノ原台地と呼ばれていて、広大な大地に延々と茶畑が広がるお茶の名産地です。

で、私はこちらへ来てから気が付いたのですが、大井川を渡って牧ノ原台地を境に静岡県の文化が変わるのです。
牧ノ原台地から東と西です。
人に聞くと、巨人を応援する人たちと阪神、中日を応援する人たちの境目だという人もいますが、私が気づいたのは「お茶」が違うのです。

静岡県は全国有数のお茶の産地ですが、大井川を越えて牧ノ原台地から西は、「深蒸し茶」と呼ばれるお茶が主流です。
東側は浅蒸し茶。
どう違うかというと、摘み取った生の茶葉を蒸す時間が違うらしい。
深蒸し茶の場合は、通常のお茶の2~3倍時間をかけて蒸しているそうで、急須から入れてみると色が違うのです。

左が深蒸し茶、右が浅蒸し茶。
深蒸し茶は色が濃く出ています。

お前さんはそんなことも知らなかったのかと言われそうですが、緑茶もウーロン茶も紅茶も元になる葉っぱは同じで、日本茶は発酵させない、ウーロン茶と紅茶は発酵させる度合いで決まるらしいのですが、いわゆる煎茶に比べて深蒸し茶はまろやかで少し甘みがあっておいしい。
味覚音痴の私の舌でもわかりますから、お味の感度の良い方でしたらすぐにおわかりいただけると思います。

東海道本線を西へ向かって、金谷の次は菊川、その次は掛川ですが、たった1駅2駅でお茶が変わるのです。
牧ノ原台地は金谷から掛川までで、掛川を過ぎるとまた平野がずっと浜松の先まで続いていますから、牧ノ原台地は糸魚川から続く「糸魚川―静岡構造線」の終点の一部のように感じますが、この地形のおかげで東と西でお茶が違うのですから、地域っておもしろいなあと思います。

私は掛川に住んでいますので、毎日この牧ノ原台地を越えて西と東を行ったり来たりしています。
お茶については好みの問題もあるので、浅蒸し、深蒸しどちらが良いかは一概には言えませんが、ご飯の時やお茶の時間、朝飲むのか夜飲むのかによって、いろいろとの見分けられる楽しみがありますね。

そうそう、静岡県の人がどれだけお茶にこだわっているか。
菊川市役所の給茶器です。

私は冷たい菊川茶を押しましたが、しっかり深蒸し茶です。

ね、すごいでしょう?

「のぞみ」で右から左へ通り過ぎている皆さん、たまには途中下車してみませんか?
静岡県にはいろいろな発見がありますよ。
住んでいると毎日がわくわくの連続なのであります。