子供の頃はブルートレインがあこがれの列車でした。
もちろん新幹線にも食堂車が付いていて、それはそれで風格があってカッコいいんですけど、東京駅で並んでいても、新幹線はひっきりなしに発着しているのに対し、ブルートレインは夕方決まった時間帯に何本か出るだけで、それも新幹線よりも遠くへ行くのですから、「いつか乗ってみたい」と思いつつ、塾の帰りに山手線を大回りして東京駅にブルートレインが出ていく姿を見に行っていました。
でも、昭和の小学生にとって、ブルートレインはなかなか乗る機会は無いんですよね。
今のように気軽に遠方まで旅行できる時代ではありませんでしたから。
昭和47年3月に寝台急行「銀河2号」に乗ったのが記憶にある私の初めての夜行列車。当時の「銀河2号」は10系寝台車が10両ぐらいついていて、一番後ろに2両だけスハ43系の座席車が指定席として連結されていて、もちろん私が乗ったのはその一番後ろのスハ43。
それでも、何日も前から夜行列車に乗れるとあってワクワクしながら指折り数えて待って、いざ東京駅のホームに上がってみると、有楽町方から入線してきた列車の先頭に立っていたのはEF65じゃなくてEF58でした。
それも屋根から白い煙を吐きながら。
今思えば蒸気暖房用の湯気だと思いますが、夜行列車だからEF65が先頭に来るとばかり思っていた私はがっかりしました。
当時のEF65は500番台と呼ばれていて、今はPとかPFなどと呼ばれているようですが、私の時代は500番台、1000番台。
東京駅発のブルートレインの先頭に立つ500番台の姿は本当にかっこよかったんです。
それに比べるとEF58は何だか旧式であまりカッコ良いとは思えなかったんです。
次の年、「桜島・高千穂」に乗った時も牽引機関車はEF58でした。
そこで私は理解したのです。
EF65-500番台は特急用、EF58は急行用だと。
さらに次の年、山陰本線のD51に乗りに行こうと計画を立てて、下関から入ろうと思いまして、当然東京発の「さくら」「はやぶさ」「みずほ」「あさかぜ」「富士」辺りを狙ったんですが、春休みでしたがブルートレインはことごとく全滅。
寝台券が取れないんです。
当時、新幹線は岡山まででしたが、「こだま」から新大阪乗り継ぎで「彗星」の寝台が取れたので、しぶしぶその行程で行こうと。
でも、ブルートレインだから今度こそEF65-500だろうと期待していたら、新大阪駅のホームに入ってきた列車の先頭に立っていたのはまたしてもEF58。
ことごとくPには縁がない私でした。
その旅行の帰りは山陽本線の「かもめ」(多分キハ82)で大阪まで来て、急行「銀河」で今度は10系寝台に乗りましたが、先頭の機関車はやはりEF58。
次の年に急行「天の川」、そして特急「北星」に乗りましたが、結局みんなEF58で、がっかり。
で、私の記憶の中にはEF65-500が引く列車に乗ったことが無いんです。
その後、大人になってからブルートレインには良く乗りましたが、すでにEF66になっていて、「出雲」だったか「瀬戸」だったかはEF65でしたが、1000番台でしたから、あぁ、結局500番台は憧れのまま、終わってしまった気がします。
1000番台は貨客両用でしょう。
だからC62じゃなくてD52って感じ。
C62が来ると思ってたらD52だったり、あるいは急行用のC57だったりすると、やっぱりがっかりするでしょう。
昭和40年代はそんな感じでした。
そうそう、山陰本線で早朝、朝飯前に国民宿舎を抜け出して撮影に行ったんです。
C57の列車が来るとダイヤ情報に書いてあったので。
そうしたら、なんと、先頭に付いてきたのはDF50でした。
もう、超がっかり。
今思えば、EF58もDF50も貴重ですけど、当時はそんな感じでした。

そんな私が、あれから50年以上が経過して、今、「やっぱりEF65は500番台でしょう。」と思うのです。
世の中の皆様的には「なんちゃって」かもしれませんが、私にできるのはここまで。
あとは皆様方がどのように楽しんでいただけるか。
つまり、ボールは皆様方にあるのです。
この機関車はふだんはSL列車の補機として金谷方に連結していますから、金谷発着のSL列車に乗ろうとすると、金谷駅で改札口を入った瞬間に、EF65-500が待っているのでありますから、その時はぜひ記念写真を撮ってくださいね。
何度も言いますが、私はこどものころからの憧れのボールを投げて、今、そのボールは皆様方にあるのですから、楽しめるも楽しめないも、あとは皆様方次第なのであります。
文句言う暇があったら乗りにおいでよ。
人間は行動して初めて納得がいくのだと、私は思います。

皆様のお越しをお待ちいたしております。
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