今日は久しぶりの休みでした。
朝6時にいつも通りに目が覚めて、「今日は休みだからもう少し寝よう」と思いまして、次に8時に目が覚めて「まだ寝られるかな?」と思って、9時に目が覚めてうだうだしてたら10時過ぎ。
ひと月ぶりぐらいにお部屋を掃除器をかけて、お昼ご飯を食べに行って、帰って来てYoutubeで昭和の松竹映画、小林旭と倍賞千恵子を2本見たら気づいたら夜になっていました。
でもって、最近考えることがあるんです。
それは、引き際のタイミングです。
今日見ていた映画は昭和30年代の映画ですが、そこに出てきている役者さんのほどんとが皆さんあちらの世界へ行ってしまっている。
ということは、私も遅かれ早かれ同じようにあちらの世界へ行くことになるわけで、だとすると、どうやって引き際を自分で決めるかということが、実に重要なポイントになるのです。


大井川鐵道ではSLが大人気で、春の観光シーズンとあいまって、毎日のようにたくさんのお客様で賑わっています。
で、なぜSLがこんなに賑わっているのでしょうか。
鉄道マニア系の人で賑わっているのならわかりますが、ご覧の通り、皆さんマニア系ではありません。
ごく一般の、ふつうの人たちが、たくさん来てくれているんです。
まぁ、SLは郷愁を感じるものですから、ある程度の年齢の人たちに刺さるのはわかるのですが、これだけたくさん賑わっているのはちょっと不思議ですね。
でもって、昔、10代から20代の頃に考えていたことを思い出してみたのです。
それは、「あと10年、いや、せめてあと5年SLが残っていたらなあ。」ということ。
何度かお話ししていますが、日本の国鉄からSLが消えたのが私が中学3年生の時。
受験が終わって晴れて高校生になって、「さあ、これからいろいろ旅行するぞ。」となった時に、目的がなくなってしまったのです。
その時私は「あと10年、いや、せめてあと5年、SLが残っていてくれたら、全国いろいろと旅をして、いろいろなところのSL列車に乗れたのになぁ」と思ったのです。
結果として、その経験があったから、私は「絶対に後悔したくない」という気持ちを持って、先手先手で人生を過ごしてきたのですが、最近では、逆にもし本当にSLがあと10年生き延びていたらどうなっていたのでしょうか。ということを考えるようになりました。
SLというのは産業装置の一つです。
車や飛行機、工場など、いろいろ文明が発展していく中の一つであるわけですが、SLがあと10年残っていたらと考える時に思うのは、いろいろな産業装置が発展していく中で、鉄道だけが、SLだけが取り残されていたかもしれないということです。
1970年代というのは日進月歩で私たちの生活を取り巻くものが進歩していきました。
マイカー、電化製品など、生活の質がどんどん向上して行った時代です。
そんな時、鉄道だけがいつまでも煙を吐いて走っていたらどうだったでしょうか?

汽車が発車するたびに日本全国でこんなにたくさんの煙を吐いていたとしたら、とてもじゃないけど国民から受け入れてもらえることはできなかったのではないかと考えるのです。
昭和40年代のSLブームというのはすさまじいものがありました。
猫も杓子も蒸気機関車。
テレビをつけても雑誌を見ても、とにかく蒸気機関車。
蒸気機関車(SL)の絵柄を付ければ何でも売り上げが上がる。
そういう時代でしたから、私はこれほどまでに国民から人気があるSLというものを、赤字で悩む国鉄が親の仇のように次から次へと廃止して行くことが疑問でした。
「なんでもっとSLを上手に使って、赤字を解消しないのだろうか?」
子供心にそう考えていたのです。
でも、最近その考え方が少し変わってきました。
あの時、もしSLを廃止しないで、あと10年SLを使い続けていたらどうなっていたか。
おそらく、SLが世の中の嫌われ者になっていたでしょう。
あれだけ煤煙をまき散らして走っていくものが、あと10年生き延びていたらとてもじゃないけど受け入れられなかった。
だとすれば郷愁どころではありませんからね。
ということは、惜しまれながらいち早くなくなってしまったからこそ、今でも人気があるのかもしれない。
そう考えるようになりました。
つまり、引き際ですよね。
SLは引き際を間違えていなかったのです。
だから、栄光が残って、廃止から50年近く経過した今でも、皆さんから愛される存在になっているのだと思うのです。
で、60も半ばになってくると、今度は自分自身の引き際も考えるようになるわけで、これは仕事はもちろんですが、友人関係や夫婦関係、親子関係など、今まで脈々と築き上げてきたものも、はたしていつまでこのままでよいのだろうか。
そろそろいろいろなところで始末をつけなければいけないのではなかろうかと考えるようになってきたのです。
昨今、断捨離ブームだと言われています。
断捨離とは皆さんたまりにたまったガラクタ類を処分することだと考えていらっしゃるようですが、実は物の処分だけではなくて、人間関係全般について、そろそろどうにかしましょうよ、ということだと私は考えています。
ということで、物の処分はもちろんなのですが、自分自身の周囲の環境についても、いろいろ考えなければいけませんよということを、毎日目の前で見ているSLから教えてもらっているように感じるのです。
最近では年寄りが皆さん長生きしますね。
でも、私としては、ある程度のところで今生からサッサとお暇(いとま)することの美学を持ちたいなと思うわけで、今の会社を何とか再生軌道に乗せるまでは頑張りますが、それが一段落したら、余生などとはいわず、どうやってさっさとお仕舞にするかを考えなければならないと、そんなことをSLから教えてもらって考える今日この頃であります。
難しいですね。
生きていくことって。
でも、まだまだ頑張りますよ。
大井川鐵道を次の百年続く会社として目処を立てるまではね。
そしてまだ、美女と南の島のビーチでゆったりとした時間を過ごす夢もかなえてないしね。
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