今日も取材を受けました。
今日は新聞と雑誌の2つ。
このところ週に何社もの取材をいただいております。
それも全国的なものです。
ありがたいなあ。
鉄道会社だからいらしていただけるんですよね。
でもって、今日いらしていただいた新聞の記者さんはなかなか勉強をされていらっしゃる方で、私のブログもよく読んでくれていましたので、「静岡県は観光に対する感覚が鈍い」というようなお話になりました。
まぁ、静岡だけじゃなくて、新潟もそうですが、豊かな地域というのは基幹産業がしっかりしていますから、「別に観光なんかやらなくても良いでしょう。」という感覚があるように感じます。
だから、極端な場合、観光って遊びだと思っている。
田舎の町の議員さんなんかと話していると(静岡じゃないですよ)、「観光って遊びだろう。なぜ税金を使って遊びをやるんだ。」的な認識しかない人がいます。
そういう人って、つまり勉強していない。
観光なんて遊びでしょう。
とか、
観光なんかやってどうするの?
というような地域の人たちは、観光について勉強していませんから、つまりは観光に関しては偏差値が低い。
これに対して、特段の産業もなく、必死になって観光で身を立てて行こうという地域の人たちは、観光とはどうあるべきだとか、今時の観光はどういうものが流行っているかなどなど、一生懸命勉強をしているから当然偏差値は高い。
これが私が唱える観光の偏差値でありますが、つまり、豊かな地域は偏差値が低いのであります。
前回のブログではここまで書いたのですが、実はこの話には続きがありまして、今日は新聞記者さんに、その続きのお話をさせていただきました。
どういうことかというと、私は受験戦争真っただ中の偏差値世代ですが、その後に進学塾の先生もしてきました。人生のある時期にそういう生活を送ってきた身としては、「偏差値は大事だよ。」と言うと皆さんは思うかもしれませんが、私は逆で、「別に勉強なんかできなくたっていいんじゃないの?」と思っています。
というのも、学校で言う偏差値って、国語、算数、理科、社会、英語ができるかどうかですよね。
でも、体育が得意な人も居れば、図画工作が上手な人も居る。音楽が得意な人も居し、どれも得意じゃないかもしれないけれど、やさしくて多いやりがある子だっているわけですから、何も学校の5教科で勝負する必要なんかないんですよ。
結局ね、自分の人生を振り返って見ると、一生懸命勉強して高い偏差値を取って、人もうらやむような大学へ行った人たちが、その後どういう人生を送って、結局どうなったかをよく見てきているわけですから、正直申し上げて私はかなり早い時期にその偏差値競争を離脱して、人が歩むべきとされている競争が激しい道をそれて、できるだけ楽しくて、好きなことをやって生きてくる道を選んだわけですから、観光についても偏差値が低いからダメだと言っているわけではありません。
ただ、私が思うのは、良いものを持っているんだから、磨きをかけなければもったいないよ、ということでありまして、例えば静岡県といえば皆さんすぐに思い浮かべるのは富士山ですが、静岡県は富士山の観光にあまり熱心ではない。
担当者は「一生懸命やっているぞ」と向きになるかもしれませんが、全国レベルで見ると富士山観光に熱心なのはどう見たって山梨県であり、神奈川県なのであります。
そういう意味では大井川鐵道も観光的にはスーパーコンテンツであることは間違いありませんから、その大井川鐵道に対して、「一民間企業を行政が支援するのはいかがなものか」などと言う意見をもっともらしくおっしゃっていると、
「あぁ、この人は偏差値が低いんだなあ。」
と、笑われますよということなのです。
では、元の話に戻って、偏差値が低いとダメなのかというと決してそんなことはありません。
例えば、新潟も豊かなところですから決して観光政策に熱心ではない。
で、その新潟で経験したんですが、地元の皆さん方は口をそろえて、
「観光客からお金を取ったらいけないでしょう。」
とおっしゃるのです。
なぜならせっかくいらしていただいたお客様なのですから、と言います。
つまり、豊かな地域というのはガツガツしていないんです。
観光地へ行くと、いわゆる観光地物価とかあるでしょう。
観光客は「一見(いちげん)さん」ですから、そういう人からできるだけふんだくろうとか、あるいは「一見さんお断り」とか。
でも、新潟も静岡も、その前の千葉もそうでしたが、観光が主たる産業ではない地域は、そういう「観光客ズレ」しているような現象はほとんど見られないんです。
つまり、皆さんのんびりしていて、温かい。
これ、都会から来た人たちが見たら、「なんていい人たちなんでしょう。」って感じるんです。
こういう県民性とか、地域性というのがあるのが「観光偏差値が低い地域」の特徴なんです。
実はこれって大事なことなんですよ。
なぜなら、こういうことは一朝一夕ではできないことなんですから。
おそらく50年、100年かけなければ、そういう県民性や地域性ってできません。
そういうものが備わっているのが豊かな地域の特徴なんです。
これに対して、今あるものを利用した観光のコンテンツ作りって、それなりのやり方をすれば5年もあればできるんですよ。
だから、どちらが大切かと言ったら、のんびりしていて、温かく、いい人たちがたくさん暮らしていることの方がはるかに大切なんです。
そしてそれが、観光の偏差値が低い地域には備わっているんですから、私はもったいないと思いますし、観光のコンテンツである大井川鐵道をもう少し磨きましょうよ、と申し上げているんです。
5年もあればピカピカになりますからね。
ということで、東海道もそうですし北國街道や加賀街道もそうですが、江戸時代から人や物が右から左へ行き来しているような地域というのは、よそ者に対する排他的なところもあまりないというのも事実です。
豊かで、のんびりとしていて、人々が優しくて温かく、よそ者を受け入れる土壌があるのが「観光の偏差値が低い地域」の特徴でありますから、私はこうして65歳になるというのに、単身赴任でこの街でお仕事をさせていただいているのです。
ていうか、上越の人たちも皆さん良い人たちばかりで、雪国ですからきれいな女性もたくさんいますので、私は上越に住みたいなあと今でも思っていますし、静岡と上越を行ったり来たりする仕事がしたいなあと思うのであります。

フジはハレタリ、ニホンバレ。
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