「キ印」の列車

3か月に一度の定期通院のために千葉の家に帰ってきています。

特にすることが無いので書架から昔の時刻表を取り出してみました。

今から60年前の1964年、昭和39年11月号のポケット時刻表です。
昭和39年10月に東海道新幹線が開通してわずかひと月後の時刻表。
当時私は4歳ですから時刻表など読めるはずもありません。
ではなぜ家にこんな時刻表があるのかというと、古い記憶をたどれば確か中学生の頃、商店街の古本屋さんで買ったんです。
私が中学生というのは昭和48年~50年の3年間ですから、つまり、当時はまだ新幹線が開業してから10年しかたっていなかったということになります。
この時刻表も30円か50円といった程度の金額だったのでしょう。
古本屋で見つけた中学生が「とりあえず買っておこう」という程度の気持ちで買える値段だったのです。

で、ぺらぺらとめくってみると、おもしろい表記がありました。

「キ印」と「気印」です。

若い皆様方はご存じないと思いますが、頭がおかしい人のことを昔は「き〇がい」と言って、今では放送禁止用語になっているようですから私も〇を使いますが、私が若いころでもあまり良い印象の言葉でなかったので、直接的に「き〇がい」というようなことがせずに、皆さん「気印」「キ印」と呼んでいたことを思い出します。

その「キ印」が当時の時刻表にあるのです。

房総西線(現:内房線)の時刻表。
千葉を16:12に出る121列車と17:23に出る123列車、そして両国を17:20に出る125列車に「キ」の印がついています。

上り列車を見てみましょう。
館山を4:56に出る122列車と5:35に出る124列車、そして6:36に出る126列車の3本に「キ印」が付いています。

ではいったいこの「キ」というのは何なのでしょうか?

目次を見てみましょう。

「キ」とは、ディーゼルカー運転路線中で蒸気またはディーゼル機関車による列車。
となっています。

つまり、当時の房総西線は基本的にはディーゼルカーによる運転区間だったのですが、時折蒸気機関車が引く列車が走っていたということになります。

では、なぜこんな記号があったのかというと、当時の国鉄は「無煙化」が最大のサービスとされていて、煙の無い旅を全国展開することを目標にしていたからです。
だから、房総の路線のように当時から気動車化されていた路線にもかかわらず時おり黒い煙を吐く機関車の列車がやってくると、「なんだ、話が違うだろう」とクレームにでもなったのでしょうね。

だから、あえて「キ」という印をつけて、「この列車は汽車ですよ。煙を吐いて走りますよ。」と予告していたのです。

で、賢明なる読者の皆様方はお気づきになられると思いますが、夕方の下り列車と朝の上り列車に集中していることがお分かりになると思います。
これはなぜでしょうか?

実は、通勤通学輸送用です。

通勤通学輸送というのは基本的には一方通行です。
朝は都会に向かう需要が多く、夕方は田舎へ向かう需要が多い。
これは60年前から見られていたことで、館山や木更津の皆様方が朝、千葉、東京方面へ出かけて行って、夜になると木更津、館山方面へお帰りになる。
つまり輸送のピークです。

では、なぜその輸送のピークにわざわざ蒸気機関車を使うかというと、その理由は長編成化できるからです。

当時、まだ国鉄は車両不足に悩んでいて、各車両にエンジンや運転台が付いているディーゼルカー(気動車)は高価でなかなか数を増やすことができませんでした。
これに対し、機関車にけん引されるだけの客車であれば動力も運転装置も付いていませんから安価です。

だから、朝夕の高需要時間帯にはそういう安価な客車をたくさん繋げた列車を走らせるために蒸気機関車が使われたのです。
機関車であれば、日中時間帯は貨物列車に使うことができます。
そして安価な客車であれば、日中時間帯に車庫で昼寝をさせていても気になりません。

ところが高価なディーゼルカーであれば、朝夕だけの使用であとは車庫で寝かせているようなことはできませんからね。

つまり、機関車が引く列車というのは需要に応じて編成を容易に変えることができて、閑散時間帯に遊ばせていても惜しくない安価な客車を使っていて、さらに、機関車1台あれば旅客も貨物も両方使えるというスグレモノだったのです。

おぉ。
時刻表からここまで読み解くのが正しい時刻表の使い方なのですよ。
皆様、わかりますか?(笑)

さて、転じて成田線(我孫子-成田)のページ。
今度は「気」と書いてあります。
つまり、成田線のこの区間は気動車化されていたということです。
同じ「き」でも「キ」と「気」では大違いですね。
でも不思議なことに列車番号にDは付いていません。
当時はそういう表記が統一されてなかったのでしょうか?
そんな中で2821列車と821列車、825列車には「キ」の印が付いています。
つまり、この列車は蒸気機関車ですよということになります。
やはり、朝と夕方ですね。

ここで、信越本線を見てみましょう。
今から60年前の信越本線。
目に留まるのは上野を23:01に出る直江津行の普通列車。
この列車には「キ」と付いていませんね。
たぶんですけど、走行距離が長すぎるので電気機関車になったりディーゼル機関車になったり、あるいは蒸気機関車になったりしていたのでしょう。
おそらく3:04の軽井沢からはD50だったのではないでしょうか。
そして30分停車の長野では機関車を交換してD51の重連で直江津まで。
直江津ということろは前日の23時に上野を出て朝8時に到着するところだったのです。

で、おもしろいのは新井を5:35と7:11に出る列車は「気」のマークがついていますから、気動車ということになります。
ということは、ここまで来ると蒸気機関車が当たり前だったのであえて「キ」とは表記せず、気動車列車を「気」として表記することで動力近代化で無煙化していますという努力感をアピールしていたのではないでしょうか。

ということで、妙高を含めた上越地域の皆さん、皆さんのお父さんお母さんの時代までは、上越というところは上野から夜行列車で8時間9時間かけてくるところだったのです。
それが新幹線ができたおかげで2時間弱で結ばれて日帰り可能な地域になったのです。
ありがたいことではありませんか。

そう、国が新幹線を作ってくれた恩恵というのが、今、とてもありがたいことであって、それって当たり前のことではないのです。
だったら、新幹線と引き換えに「自分たちでちゃんとやります。」とお約束をした並行在来線も、きちんと予算化してちゃんとやらなければならないのです。

新幹線はありがたいけど、並行在来線は要らない、などということは言ってはいけないのです。なぜなら、皆様方のお父さんお母さんが、新幹線を作ってもらうために国とお約束したことだからです。

本日は、皆様方が知らない60年前の時刻表から、今の鉄道の在り方を読み解いてみました。

知らないからと言って、やらなくても良いということではないということを、もう知ってしまったのですから、よろしくお願いいたします。