3か月に一度の2日間の通院。
やっと終わって家に帰ってきて、ガサゴソと自室の箱の中をのぞいてみたらいろいろな写真が出てきました。
私は学生時代に大阪に憧れていました。
日本には大きく分けると東と西の文化があって、自分は東京生まれの東京育ちですから片方しか知りません。
日本人である以上は両方の文化を知る必要がある。
まして、大阪の文化というのは東京のようないわゆる気取った文化ではなくて、本音の文化だと感じていましたから、ぜひ大阪へ行っていろいろ勉強したいと思っていました。
で、高校生の頃から「京都で市電がなくなる」とか「梅小路でイベントがある」とか、そういう話を聞くと出かけて行って、京都や大阪を歩き回っていたのです。
そして、1980年ごろの話ですがなんとなく目的もなく大阪に1週間滞在してみたのです。
今日は家をガサゴソしていたらその時の写真が出てきました。
一部は以前にもお店したことがあるかもしれませんが、こんな写真です。
南海電車のDC急行「きのくに」。
2両編成で難波を出て、和歌山で国鉄のDC急行と併結して紀州へ向かっていた列車です。
まだ紀勢本線が全線電化されていなかった時代ですね。
国鉄の急行列車も気動車だったから、こんな列車が走っていたのです。
キハ26の2両編成で、私にとっては貴重な列車だと思っていたのですが、カメラを向けている人はいませんでしたね。
天王寺から病院の前の大通りを動物園前の方に降りてきたところに踏切がありました。
南海電車の天王寺から天下茶屋へ行く線路が通っていて、その踏切で電車待ちをしている時に写したバスの写真です。
なぜ、バスの写真を撮ったかは不明ですが、ドアが前と後ろにある都会では珍しい車体だったからでしょうか?
当時フィルムは貴重だったので、今のデジカメのようにやたらにシャッターを切ることはしませんでしたから、何か意味があって撮ったのだと思いますが、今となっては覚えておりません。
この時はその南海電車に乗って、天王寺から天下茶屋へ行きまして、天下茶屋の駅もまだ地上駅時代で数枚写真を撮ったのですが、今回は見つかりませんでした。
大阪と言えば地下鉄。
大阪中の地下鉄を乗り回しました。
当時は飛行機の勉強をしていたので八尾空港へも行きました。
横山やすしさんが飛行機に乗っていたころと言えばおわかりになる方もいらっしゃると思います。
この写真は千日前線ですね。
ピンクの電車が可愛くてパチリ。
どこの駅かは不明です。
大阪駅へ行くと福知山線の列車が停まっていました。
DD51を先頭にした旧型客車の編成で、思わず乗ってみたくなりました。
当時の福知山線は宝塚辺りまで電化されていましたが、そこから先は非電化区間。
首都圏では珍しくなっていた旧客の列車が堂々の編成で大阪駅へ入ってきていました。
カセットデッキを持って1号車に乗車して走行音を録音しました。
そのカセット、どこかにあるはずなんですけど。
宝塚から旧線に入って武田尾の駅で上下列車交換のために数分間停車した写真です。
山間の小駅だった武田尾にDD51けん引の2つの列車がすれ違うシーンは圧巻でしたよ。
こちらは山陰本線の嵯峨駅。
キハ47・48の列車が入ってきましたが、まだ新車でした。
この列車に乗り込んで京都へ向かいましたが、二条の駅でDD51けん引の普通列車とすれ違いました。
福知山線も山陰本線の京都口もまだまだ旧客の天下でしたね。
今思えば懐かしい光景です。
で、私が興味を持ったのは鉄道だけでなく、実は上方漫才でして、梅田花月に漫才を見に行ったのです。
まだ、吉本興業が関東に進出する前で、東京の人間にとって、上方漫才というのは未知の世界でした。
間寛平などという名前は東京では聞いたことが無い時代でした。
当時の花月はガラガラで、30人ぐらい入っていればいい方だったと思います。
私は一番前の席に座って、横から見ていました。
すぐ目の前で初めて見る漫才に圧倒されて、その面白さにハタチのボクは腹を抱えて笑いました。
そうしたら、中田カウス・ボタンの顔の長いお兄さんが、一番前の席にいる私のところへやってきて、腹を抱えて涙を流しながら笑い転げている私を見て、「兄ちゃん、そんなにおもろいか? 笑ってくれてありがとうな。」と言ってくれました。
いわゆる客席をいじるというヤツですかね。
広い劇場にまばらな観客。
最前席で大笑いする兄ちゃん。
目立ったんでしょうね。
私にとってもいい思い出です。
これからしばらくして吉本興業が東京へ進出して上方漫才の芸人さんたちもメジャーになってきましたが、この当時は時々テレビで見る程度でしたから、とても新鮮だったのを覚えています。
これが今日久しぶりに出てきた写真を見た私の感慨です。
こういう懐かしい写真を見ると私はいつも思うのです。
今、一生懸命写真を撮ったり動画を編集している若い皆さんたちも、必ず将来の財産になる時がくると思います。
私たちの時代と比べて今ははるかに媒体が多く、いろいろな作品が残せると思います。
これからの時代の皆さん方は私たちの時代と比べると、たくさんの可能性が秘めていると思います。
私は若いころからこうして鉄道に親しんできて、今でも鉄道の仕事をさせていただいています。
自分の人生を振り返って見ると、今、鉄道会社の仕事をしていることは当時では考えられないことですが、今となっては「なるほど、こういうことだったか。」と思うことしばしです。
人生というのは、無限の可能性を秘めているだろうなあと、64歳になって思うのです。
信じる道を思いっきり突き進んできた私がそう思うのですから、たぶんそういうことなのでしょう。
おじさんたちはさておいて、若い皆様方に一生懸命頑張って、無限の可能性の未来を切り開いていただきたいなあと、40数年前の写真を見て考えた今日でした。
今、キハとか455に夢中になっている皆さん方の40年後が今から楽しみですね。
その時私はこの世に居りませんが、皆さん頑張ってくださいね。
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