昨日は夜行列車の話をしました。
昭和の時代はどこへ行くにも鉄道が主役でしたから、遠くに行くためには長時間かかります。
だから、必然的に夜行列車が当たり前だったんですね。
昭和の長距離列車、夜行列車を再現するために私は観光急行や夜行列車をやっているわけですが、でも、実はその理由は私がマニアだからではないのです。
前職で夜行列車を始めたのはもう10年以上も前ですが、そもそも論としてキハを導入したのも、マニアだからではありません。
まぁ、当然、マニアックなスパイスがなければ古い車両を買っても集客は無理です。
ではなぜ私がキハを導入しようと考えたからかというと、車両が足りなくなったからです。
当時6両あった車両を新車に置き換えるにあたって、5両にするという事業計画でした。
16メートルの小さな車両から18メートル車両になる。
そして、高校生の数も減ってくるから今まで2両で走らせていた時間帯の列車も1両で足りる。
県、沿線市町との経営会議で6両から5両へという置き換えが決まりました。
そして、車両を4年がかりで置き換えることにしたのです。
でも、時間が経過するうちにお客様が増えてきました。
今までいなかった観光客という種類のお客様が増えてきたのです。
第3セクターという会社はお堅い人たちの集まりです。
つまり皆さん慎重です。
そういう人たちが陥りやすいのはお金を節約することはできるけど、お金を投資して需要を増やそうとはしません。
なぜならばコストを下げることはすぐに結果が出ますが、お金をかけて投資しても本当にお客様が増えるかわかりません。
だから、6両ある車両を減らすことはしますが、増やすことはしないのです。
でも、私はそういう人たちができないことをするために依頼された再生請負人でしたから、6両を5両にして、浮いたお金を使って、観光用の車両を走らせようと思いました。
ところが、車両は発注してから設計、工事、導入まで3年近く必要です。
車両の定期検査は学校が休みで通学輸送がない夏休みにやっていましたが、観光客が増えるということはその夏休みに車両が必要になってきます。
だから夏休みに検査のために減車することもできません。
まして3年なんて待つことはできません。
そんな時に聞こえてきたのがJRが古い車両を廃車にするという話でしたので、それだったら次のシーズンから走らせることができますから、「買います!」と手を挙げたのです。
ましてスクラップにするような車両ですからタダ同然です。
当時ディーゼルカーは1両新車で2億円近くしていました。
3年待って2億円払うのと、タダ同然で次のシーズンには走り始めるのと、皆さんならどちらを選びますか?
当然、安くてすぐ手に入る方になりますよね。
だって、乗客はどんどん増えてきているわけですから。
ところが、そこで議論が沸き起こったのです。
「そんな古いものを買って、本当に客が来るのか?」と。
だから私は「大丈夫です。」と答えて、「全責任は自分で取りますから。」と言って、導入したのです。
なぜなら私は鉄道ファンの顧客心理がわかりますから、つまり列車を走らせるときにスパイスを効かせることができるからです。
当時、意地の悪い人たちもいましてね、「社長、本当に責任とるんだな。」「もし失敗したらお前さんは首だぞ。」と言ってニヤニヤしているんです。
で、ふたを開けたらこの状態です。
押すな押すなの大行列です。
意地の悪い人たちはきっと面白くなかったでしょうね。
何しろ当時の私は50歳。
田舎じゃあ若造ですから。
よそ者の若造は排除される対象ですからね。
でも、数字は正直ですから。
で、次に私は夜行列車を考えたのです。
この車両で夜行をやれば、昭和の夜行列車の再現ができる。
スパイスを効かせれば、高額商品だって可能です。
そして始めたのがどこへも行かない夜行列車。
同じ線路の上を行ったり来たりするだけの列車です。
当時は「お前は馬鹿か?」と言われました。
でも、私は思ったのです。
JRがどんどん夜行列車を廃止にしていたころでした。
つまり、夜行列車に乗って一晩かけて目的地に行くという需要はもうない時代でした。
でも、夜行列車に乗ってみたいという需要はあるかもしれません。
そういう夜行列車に乗ってみたいというだけの人たちにとって、夜上野から乗った列車が朝秋田や青森に着いていたら、とんでもないことです。
上野から乗って、朝、上野に戻ってきていなければ困りますよね。
だって、どこにも行く用事は無くて、ただ、夜行列車に乗ってみたいというだけなのですから。
どういうことかというと、目的地へ行くために乗るのが一般の列車ならば、乗ることそのものが目的なのが観光列車ですから、乗ってみたいだけで、どこへも行く必要がないからです。
ディズニーランドの汽車だって、どこにも行かずに戻ってくるでしょう。
でも行列作って満員じゃないですか。
つまり、観光列車として夜行列車を走らせれば、行ったり来たりで朝になっても構わないのです。
馬鹿な理論だと思うでしょう。
10年以上前にこんなことを言ったのですから、「お前は馬鹿か?」と言われるのも当然なんですが、ではなぜ私がそんな馬鹿なことを始めたかというと、航空会社に勤めていたからなんです。
当時は国際線といえば成田でしたが、成田を夜9時過ぎに出て、朝6時ぐらいに戻ってくる飛行機がありました。
私たちはビーチ便と呼んでいましたが、グアム、サイパンへ行く便です。
夜9時過ぎに成田を出て、片道3時間飛んで真夜中にグアム、サイパンについて、乗客を入れ替えて朝成田に戻ってくる。
つまり、夜皆さんが寝ている間に飛行機に働いてもらうのです。
これを鉄道でやってみたらどうか。
夜車庫で眠っている車両を働かせてひと稼ぎできれば、同じ車両数で売り上げが上がるじゃないですか。
今でこそ「ナイトタイムエコノミー」などという言葉がありますが、当時私が夜行列車をやろうと思ったのは、こういう理由からなんです。
安く買った車両をすぐに納車してもらって、日中も夜間も稼働させることで売り上げを伸ばします。
職員の中には安い給料に満足していない人たちもいますから、そういう人たちにアルバイトがてらに乗務してもらって超過勤務手当を払えば、稼ぎたいと考えている人は自らの意思で手を上げるでしょう。
そういう考えでした。
私が育った東上線の大山というところには、1970年代でしたがNHKテレビ番組の名前が付いた深夜営業の喫茶店があって、不良たちが集まっていました。
当然私もその中の一人でしたが、深夜に喫茶店に行くと、昼間は250円だったコーヒーが350円とか400円になっている。
同じものでも夜になると高いんです。
でも、誰も文句は言いません。
夜は高いというのが世の中の常識です。
だったら、同じ列車でも、夜なら高い料金を取れる。
そう考えたのが夜行列車の始まりなんです。
つまり、マニアだからやってるというだけではなくて、もちろんそれは商品にスパイスを効かせるという点では必要なことですが、それ以前に、お金がない会社がどうやったら売り上げを上げることができるか。しかもお客様も職員もみんなハッピーにならなければなりません。なぜなら、そうじゃなければ続かないからです。
時は過ぎて、えちごトキめき鉄道に就任してすぐに夜行列車を企画しました。
当時はまだ国鉄急行形はありませんでしたので、ET122型を使用しました。
えちごトキめき鉄道はご多分に漏れずギリギリの車両数で運用しています。
だから、臨時列車を走らせるには車両のやりくりが大変です。
「社長、車両がありませんから無理です。」
これが幹部連中の口癖でした。
でも、終列車から始発列車までの時間帯であれば、「車両がありません」という言い訳は使えませんよね。
車両がなければ走らせる時間を変えればいいんです。
そこで「夜行列車を走らせる」と言ったら、皆さんぽか~んと口を開けている。
「この人はいったい何を考えているんだろう。」って感じでね。
でも、ノーリスクでしょう?
だったらやらないと。
「そんなんでお客さん来るんですか?」という意見が出ましたが、それは自分たちの経験のなさと無知から来ることばです。
だから私は「やるぞ!」と言って企画を進めました。
なぜなら私はさんざんやってきていて、他社の路線でも企画集客のお手伝いをしてきていたのですから。
でも、当時の職員はそういうことを知りませんし、どうやったらお客様が来るかもわからない人たちですから、だから私が居るわけなので、「企画も集客も全部やりますから」ということでえちごトキめき鉄道の夜行列車を始めることになりました。
で、12月の寒い時期でしたけど、ネットで発売したら20ボックス40人分が1分で完売です。
あの時の驚きようは見ものでしたね。
「信じられないものを見た」というのでしょうか?
だって安くないんですよ。1万円以上しますから。
でも、私は当然埋まると思ってましたし、赤字の会社でギリギリの車両数しかないのなら夜行列車しかないと考えていたのです。
▲2019年12月 初めて運転した夜行列車。ちびっ子たちは大喜び。
たぶん職員の皆さんはこの辺りで一発カウンターパンチを食らったんでしょうね。
観光急行導入の時も、コストをセーブすることしか数字を示せない人たちは反対しましたけど、社内の幹部連中は異論を唱える人はいなかったと記憶しています。
なぜならば、タダ同然の車両で、すぐに納品してもらって、すぐに稼ぎ始めることができるわけですから、私はお金のない会社としてはそこしかないと考えていましたし、別に失敗する心配もありませんでしたからね。
最終的には取締役会で導入をOKしてもらったんですが、まあ、タダ同然の車両ならば、車検の残りの期間使って、あとは車内をレストランにでもすればいいんじゃないですか? ってことだったんです。
でも、私はそんなことは考えていませんでした。
なぜなら、タダ同然の車両であれば、稼いだら稼いだだけ利益になりますから。
2年の車検の残りを使って、稼げることを証明すれば、当然車検を取り直してもっと稼ごうとなりますからね。
2021年7月、コロナの真っ最中に運転開始しましたが、1年ちょっとで「これは行ける」という数字を出して、とりあえずクハ455を延命させて、クラウドファンディングでさらに数字を出して、残りの2両を延命させることができたのは、皆様方のおかげでありますが、私なりにきちんとした戦略とビジネスプランがあったからなのです。
ちなみに観光急行3両編成で夜行列車をやった場合の利益率って67%です。
お一人様2万円以上いただいて満席にして、利益率67%ですから、観光急行の夜行列車は最高の商品なのであります。
JRがこの夏は夜行列車をやるって言いだしましたね。
つーことは、私たち弱小鉄道はもっと何か別のことを始めなければなりません。
何か面白いことをやらないといけませんね。
わくわくするようなことを。
最近のコメント