人はなぜ旅行するのか

最近の若い人たちは旅行に出ないという話を聞きます。
これだけいろいろな情報がスマホの中で手に入るのですから、わざわざ行く必要はないというのはわかります。

私が学生の頃、パリに行ってみたい、凱旋門が見てみたいと思いましたが、実際に気になっていたのは、凱旋門の写真はいくらでもあるのですが、その後ろ側、つまり凱旋門に向かってカメラのシャッターを押したその人の背中側にどのような景色が広がっているかが見たかったから、というのが大きな理由でした。
今でいう、ガイドブックに載っていない情報ですね。
そういう情報は、実際に自分で足を運んで、自分の目で確かめなければ手に入りませんでしたから、「行ってみたい」という気持ちが、何かのきっかけで「行くぞ!」となりました。

でも、今の時代はネットで全部わかりますからね。
若い人たちが旅行しないのはそういう理由なのでしょうか。

私はそういうことはもちろんあるとは思いますが、他にも旅行しない理由があるのではないかと考えます。

日本人が旅行をする歴史というのは江戸時代のお伊勢参りが起源だと言われていますが、街道が整備されて参勤交代の大名行列が街道を行きかうようになると、大きなお金が沿道に落ちるようになりました。
大名の規模によっては数十人から数百人まで、大勢の人たちが「下に下に」と言って何日、あるいは何十日もかけてお江戸へ向かったのですから、大きな経済効果ですね。
もっとも徳川の将軍様は大名に散財させるのが目的でしたから、結果的には今でいうところの観光経済が始まったのです。

歴史の話はさておき、戦後は昭和30年代に国民の健康増進を目的として、各地に国民宿舎や国民休暇村というのができました。
私もいろいろなところの国民宿舎に泊まりましたが、和室、トイレ風呂共同、食事は食堂でというスタイルで、今となってはわざわざそんなところに泊まりたいとは思いませんが、当時はワクワクしながら泊まりました。

どうしてかというと、当時は庶民の生活が貧乏でしたから、鍵のかかる個室、和式と言えども水洗トイレ、大浴場と、その程度でも庶民としては、一生懸命働いて、お金をためて、「ヨシ、行くぞ!」と気合を入れて出かけていたのです。
数か月も前から予約してね。

小学校4年生の時に大阪万博がありまして、少年雑誌でも毎週のように万博特集。
行ってみたいのは山々でしたけど、クラスで万博に行ったのは1人か2人ぐらい。
東京から大阪ですよ。
たったそれだけのところでも、1970年には遠いところでした。

ブルートレインもそうですけど、乗ってみたくても乗るなんてことは庶民では無理でした。
だから、東京駅のホームに見送りに何度も行っていたんですけど、逆に言うと、そういう「できなかったこと」がモチベーションになって、中学、高校、大学と、とにかくお金を稼いでは旅行ばかりしていました。

まあ、そういう旅好きな人間は別としても、やっぱり昭和の時代は皆さんどこかへ行きたがってました。
毎年勝浦のおばあちゃんちへ行ってる私を、近所の人は「いいわねえ、海に親せきが居て」とうらやましがっていました。
親戚が居れば泊るところには困りません。
もちろん、おばあちゃんちと言えども、親父がある程度のお金を持たせて行かせていたことは覚えていますけど、当時は宿泊施設も満足にありませんから、そもそも泊るところがない。
そんな時代に親せきが居るというのはうらやましがられるわけで、私も妹も、近所の人からお願いされて、それぞれ友達を連れて勝浦へ出かけていました。

何しろ貧乏長屋でしょ。
冷房なんて家にはないんですから。
勝浦の家にも冷房なんてありませんでしたけど、田舎へ行けば涼しい。
と思っていくわけです。
行ったら行ったで、やっぱり暑いんですけど、それでも東京とは比べ物になりませんからね。

そういう旅行をしていたことを思い出すと、やっぱり日本が全体的に貧乏だったのと、狭い家、貧しい暮らしを少しでも忘れたい、そのための非日常体験ができるのが旅行なのだと思います。

私が若いころ、子供を連れてホテルに泊まるでしょ。
ホテルはベッドですから子供たちは大騒ぎ。
「わ~い、わ~い」って、ベッドの上で飛び跳ねて喜んでましたから、つまりはそういう体験が旅行だったのです。

そう考えると今の人たちはどうでしょうか?
住宅環境は昭和に比べると格段に進歩しています。
家の中で個室もあるでしょう。
情報はスマホで手に入ります。
欲しいものはたくさんありますから、旅行に行くお金があったら他に使いたい。
人に会うのも面倒なので、自宅、あるいは普段の自分のテリトリーの中に居たい。

そんな感じなのかなあと思います。

昭和の時代は遠くへ行くことがなかなかできませんでしたから、房総半島の海に海水浴に出かけるのが年間目標みたいなところでした。
その後、1972年に沖縄返還されて、1975年に海洋博。
国内線にも大型飛行機が飛び始めると皆さん沖縄の海を目指すようになりました。
そりゃそうでしょう、房総半島よりも沖縄の方が誰が考えたって良いですからね。

そして海外旅行ブーム。
もう、房総半島なんて忘れ去られてしまっていました。

そんな中でも、実は最近は新しい形の滞在施設が増えてきているようです。

地域のお爺さんたちが昭和の時代の海水浴ブームを思い出して、「昔はよかったんだぞ」と自慢してるだけで、何の策もないから、衰退するばかりだと思っていた房総半島ですが、なんだか最近、新しい時代の幕開けを迎えるような気がします。

▼例えばこの施設
ISUMI Gramping Resort

いつの間にかこういうのができています。
プレハブとテントを並べただけのような施設ですが、演出がおしゃれですから「行ってみたい」となる人たちが多いのではないでしょうか?

以前だったら、海外へ行くか、沖縄のリゾート地へ行かなければこういうところはありませんでしたけど、これが房総半島にあるのですからね。

そして、お値段は一人1泊2万円以上。
結構お高めですけど、飛行機に乗って遠くへ行くことを考えれば、近場でゆっくりする方が良いという考えもあるでしょう。

遠くへ行くことを競っていた時代ならともかく、今は自分なりの楽しみを見つけることが主流のようですからね。

この場所は、羽田に降りる飛行機が「当機、最終の着陸態勢に入りました。どなた様もお座席のベルトを今一度お確かめください。」の場所ですから。
そういう場所にこれだけの施設があれば、これから人生の旬を迎える人たちならば、絶対にお楽しみいただけると思います。

宣伝ではありませんよ。
驚きなんです。
なぜなら、私はここから直線距離で数百メートルのところに住んでいましたから。
自分がよく知っている場所がこうなっているということに驚くのはもちろんですが、当時私が「こういう施設があったら絶対に人気になりますよ。」と言っていた施設が実際にできていて、それも、いいお値段で商売をされていらっしゃるようなので、自分の考えが実証されていることに驚いているのです。

房総半島が再度注目を浴びる時代がやってきたと思います。
それも、かなり客単価の高いお客様にいらしていただくことができる場所として。

いかがですか、皆さん。
飛行機に乗らなくても、新幹線に乗らなくても、房総半島でリゾートをお楽しみいただけるのであれば、友人やファミリーで、楽しい思い出を作ることができるのではないでしょうか。

若い人でも、ここなら行かれるでしょう。
めんどくさい電車の切符の予約とか要らないし。

私?
私は人生の旬を過ぎていますからねえ。
行くとしたら妙齢の綺麗な尾根遺産同伴のお忍び旅行でしょうね。
だとすれば他の人には顔を見られたくはありませんから、ここへは行きません。

▼行くとすればここかな。
https://kakureyado.jp/

お一人様ご予算5万円コースですから2人で1泊10万円。
こういうことろは2泊3日が良いですね。

この手の隠れ家としてはお安い方ですし、飛行機や新幹線に乗らなくて済むのですから、お手頃ではないでしょうか。
領収書などと野暮なことを言ってはなりませぬぜ。

バブル経験者のおじさんたち、いかがですか?

サザンを聞きながらポンコツの中古車でナンパに出かけた房総半島が、今、秘かなブームを迎えています。