富の創造 その4

さて本日は最終章。

 

サラリーマンが労働者である以上、下層階級に位置しているというのが資本主義社会の構造でありますから、「俺はこれでいいや」という人は別として、何とか這い上がりたいと考える人たちにとって、抜け出す方法はないものか。貧乏な環境で生まれ育った私は20代のころからそんなことをずっと考えてきているのでありますが、そういう目で世の中を見ているといろいろ気づくことがあります。

その気づいたことの最大の現象というのが、実は、産業資本主義経済の構造そのものが変化してきているということです。

 

学校の教科書に書いてある経済学のお話しでは、資本家が工場や働く場所を用意する。労働者はそこで働かせてもらうことで賃金を得るというのが原則とされています。だから、「会社は誰のものですか?」という問いに対して、「会社は株主のものであり、資本家のものである。」という答えが用意されています。社員というのは有限無限を問わず責任社員のことで、それは株主のことを示すもので、従業員はたとえ正社員であっても社員ではありません。というようなことを学校で教わった人も多いでしょう。そして、そういう株主や資本家が働く場所を提供して、そこで働かせてもらっている従業員が製品を作り出す。これが富の創造であって、その富から得られる利益の多くは株主や資本家の手元に入るようになっているのが産業資本主義経済の原則です。従業員に支払う給料が安ければ安いほど、株主や資本家が利益を得られるような構造になっていると教科書に書かれているのです。

 

でも本当にそうなっているのでしょうか?

100年以上前の時代ならともかく、今の時代は教科書通りではないのではないか。

私はそんな疑問をずっと抱いてきていました。

 

例えば、私が勤めていた航空会社はどうかというと、資本家が飛行機という装置を大きなお金を出して購入します。この飛行機という装置は富を作り出す装置です。従業員として、例えばパイロットやキャビンクルーがいて、そういう人たちはその装置のオペレーションをすることで賃金を得ています。働けなくなったら収入の道が無くなるという点では、たとえ国際線の機長といえども労働者階級です。でも、逆に考えると、たとえ資本家が飛行機を購入しても、オペレーションを担当して働いてくれる人がいなければ、その飛行機が富を生み出す装置にはなりえません。つまり労働者は奴隷ではなく自由意志を持っているということです。

 

1960年代ごろ、労働者たちはこういうことに気づきました。「俺たちが居なければ会社は動かない。」と声を上げて労働運動が盛んになりました。ストライキというやつですね。

で、どうなったかというと、労働運動の成果として1970年代以降労働賃金が上昇し、労働者たちの生活は向上しました。

でも、経営者たちは、労働者に払う賃金が高くなると自分たちの取り分が減って利益が出なくなりますから、業種によってはそれだけ高い労賃を払って生産しても割に合わないということで、工場が次々と閉鎖されていきました。労働運動の結果として、労働者たちは仕事を失って行ったのです。

 

経営者たちは労賃が高くなった日本で生産しても割に合わないからと、台湾に工場を作り安い労賃で生産を始めました。でもやがて経済発展した台湾の労賃が上がると今度は韓国へ。韓国の労賃が上がると今度は中国へ。中国が経済発展して労賃が上がるとベトナムへ、そしてミャンマーへとどんどん生産基地を移して行って現在2017年になっているのです。

 

航空会社だって、経営が困難になって倒産したり、あるいはLCCなどという会社ができてきて、今までのような経営ができなくなってきています。

つまり、どういうことかというと、産業資本主義が壁にぶつかって行き止まり状態になって、産業界全体がもがいているのです。

それは、労賃の上昇によって差異が無くなり、資本家が資本を提供するだけでは産業が成り立たなくなってきているからです。

 

工場を近代化し、できるだけ人件費を抑えるために機械化を進め、トヨタ生産方式にみられるような世界的に見ても究極の生産方式と言われるところに既に到達している。そうなってみて気が付くのは、出来上がった商品に差異がないということなのです。

トヨタも日産もホンダも三菱も、どのメーカーの自動車もこれと言って大きな差はなくなっている。

家電メーカーの製品もほぼ同じ。

だから商品で差がつかなくなっているんですね。

 

昭和40年代までの日本のように、農村にたくさん人がいて安い労働力が豊富に得られた時代であれば、資本家が工場などの働く場所を用意するだけで、できる製品価格と労賃の差を収益とすることができていたところが、労賃が高くなるとその差が生じなくなる。そして出来上がった製品もどれも同じようなものになってしまった。では、消費者に買ってもらうためには誰がどうやって差異をつくって、どうやって消費者に自分の会社の製品の優位性を知ってもらうかという作業が新しく発生してきているのです。

そして、こういう時代になると、もはや会社の主役は株主でも資本家でもなく、そういう差異を作ることができる従業員ということになります。

 

例えば、自動車であればどういうCMを作るか。どういうイメージ広告を出すかといったことが問われるし、自動車そのものの性能に違いが無くなってくると、外観デザインをどうしようかといったことになるでしょう。あるいはこの会社はこんな社会貢献をしている。どうせ買うのであればそういう会社の製品を買いましょう、ということが差異になります。こういう時代になってくると、資本家がいくらお金を出して立派な最新式の工場設備を作ったところで意味が無くなりますから、「会社は株主のものだ。」という教科書に書いてあることそのものが根底から覆される時代なのです。

 

つまり、簡単にひと言で申し上げるとすれば、この差異作り出すことができるのは従業員ですから、従業員こそが富の源泉だということなのです。

もはやお金でもなく機械でもなく、人間が最も価値がある時代になったと私は考えています。

 

そして、その差異を作り出すということは、働いている自分の会社の周りを見渡すと、何も営業や広報、マーケティングといった部署ばかりではなく、窓口や販売場といったカスタマーフロントにだってある。同じ食料品を販売するのだって、売り方やディスプレイひとつで売り上げが全然違ってくる。だとしたら、その窓口や販売場の接客職員その人が、すなわち富の源泉となるのです。

 

だったら、皆さんにだってチャンスがありますよね。お金をかけなくたって、考え方ややり方をちょっと変えて工夫してみるだけで、売り上げが大きく変わったり、ましてやSNSの時代ですから、そういうコツをちょっとつかむだけで、大化けに化ける可能性が今の時代にはどこにでもある。

つまり、富を作り出すことができる人間になれれば、その人は会社にこだわらなくても、どこへ行っても生きて行かれるようになれるのです。

 

少し前の時代であれば、社会人になった後でも学校に入りなおしたり、あるいは独学で勉強して資格を取得すれば給料が上がるし、もっと良い仕事にありつけると言われていました。でも、それには長い時間の勉強が必要だし、勉強嫌いな人は太刀打ちできない。だけど、頑張って資格を取ったからといって、それでどうなるものでもないということはすでに証明されてしまっています。

つまり、一部の人をのぞいて富の源泉はそこにはなかったのですが、今はモノの見方、考え方ひとつで自分自身が富の源泉になれる時代だと私は考えています。

 

もう一度、労働者階級(下層階級)の定義を思い出してみてください。

下層階級というのは、労働をしなくなった途端に生活ができなくなる人たちです。

会社をクビになったり、定年になったり、あるいは会社が倒産したりすると生活ができなくなるのが下層階級ですが、今の時代は労働者であっても、差異を作り出すことが出来さえすれば富の源泉になれるのですから、いろいろな会社から引く手あまたになる。それだけで下層階級から抜け出すことができるということなのです。

 

私はいろいろな人から質問されます。

 

「よく航空会社辞める勇気がありましたね。」と。

 

一般的に考えると、「外資系航空会社の社会的地位と待遇を投げ打って馬鹿だなあ。」ということでしょうし、それが私にそういう質問をする質問者の意図なのでしょう。でも、差異を見つけ出して商品化できれば私自身が富の源泉であるわけですから、私は別に会社に所属しなくても生きて行かれるわけで、航空会社にすがりつかなくたって平気なんです。まして当時のローカル線のような、不要なもの、価値がないとされているものであれば、付加価値がつけやすいから、差異を見つけ出して商品化することはそれほど難しいことだとは思いませんでした。

そして、そういう私がやっているのがいすみ鉄道なのです。

 

鉄道事業というのは単体ではなかなか利益が出ない業種です。でも、JRや私鉄を見ていればわかるように、トータルで考えるときちんと利益が出ている。だから、私は、地域が長年一生懸命ローカル線を守って来たのだから、トータルで考えたらそのローカル線が地域に利益をもたらせるのではないかと考えて、ずっとやってきているわけで、「もうこんなもの要らないから捨ててしまおう。」と言われていたローカル線でも、差異を見つけ出すことによってきちんと商品化できるシステムを作り出すことが出来さえすれば、富の源泉となるのです。

 

そう、私がやっているのは、あくまでもシステム作りです。

富を生み出すシステムを作っているわけで、私じゃなければできないというような個人プレーではありません。

その証拠に、こうやってやり方を全部公開して、そのやり方を取り入れたいくつもの地域や鉄道会社が、ここ数年きちんと再生してきています。

私がいなくなったら消えてしまうような個人プレーであれば、ある意味そこに抜け出せない構造があるわけですが、あくまでもシステムを作っているのでありますから、8年もやっていれば、いすみ鉄道そのものも、もはや私がいなくなっても、きちんと運営していくことができる富の源泉になっているのであります。

 

どうですか?

工夫次第では、あなた自身も富の源泉になれるのです。

 

こんど、もう少し涼しくなったら、私が主催する「富の創造セミナー」を開催いたします。

もちろん有料ですよ。そして高いです。

でも、そこで私の手の内をすべて公開いたします。

 

このブログでお話していることなど、ほんの一部分にすぎませんからね。

 

日本全国どこにでもチャンスがあって、全ての皆様方にチャンスがある。

そういう時代がすでに到来しているのですから。

 

金貨でワインが買えるなら、ワインで金貨が買えるはずだ。

 

アダムスミスの言葉を思い出してみてください。

同じことが今の時代でも言えるのです。

 

お金で優秀な人間を雇えるのであれば、優秀な人間になればお金がどんどん入ってくる。

 

面白い時代になりましたよ。

 

さあ、明日への希望に満ちて来たでしょう。

ローカル線というのは最大の可能性を持っているというのは、こういうことなのです。

 

自分の人生の今後を、どうぞお楽しみに。

 

 

 

 

                               (撮影:渡辺新悟さん)

 

イベントでもないのに山の中の終着駅が季節を問わずこれだけ賑わっています。

石破さんも前原さんも選挙には関係なくきてくれました。
これは夢でも空想でもありません。
現実です。
ローカル線が富の源泉になっているということの証明ですからね。
(おわり)