今日は5年ぶりに台湾乗り鉄の旅。
同行の伊藤さんが台湾は初めてということでしたので、とりあえず日帰りコースとして台湾鉄道の旅の準備運動的に台北から彰化を訪ねてみました。
しかし、列車は皆混んでますね。
どの列車も満席です。
台湾には自強号という特急列車と、莒光号という急行列車、そして区間車という普通列車と主にこういう列車種別で走っているのですが、自強号と莒光号は全席指定です。
その指定席が取れなかった人たちが皆さんデッキや通路にあふれていて、とにかく列車が混んでいます。
私は今回はVIP待遇ということでこんな切符をいただいて乗車しましたが、週末ということもあって、列車は賑わっていました。
さて、自強号を彰化で降りて普通列車に乗り継いでやってきたのは社頭駅。
ここには駅から5分ぐらいのところに福井食堂というお弁当屋さん兼食堂がありまして、鉄道大好き、日本大好きという陳朝強さんという方がやっています。
私はすでに数回来ていますが、このブログの中にもありました。
10年前に2014年に、皆様方をお連れして、台湾鉄道三昧の旅で来ていました。
このお店は鉄道ファンの間では有名なところで、来訪記念にしゃもじに名前を書いて行かれる方も多くいらっしゃいます。
社頭駅の隣の田中駅と姉妹駅締結しているしなの鉄道さんもここを訪ねていました。
記念のしゃもじが残っていました。
食堂の2階は資料室になっているのですが、お~ぉ、ここにもしな鉄の形跡がありました。
熱心ですねえ。
福井食堂からは彰化に戻って機関区へ行きました。
ここ、彰化には日本時代に作られた扇形庫が大事にされて今でも現役で使われています。
そこを見学できるような施設になっていて、一般の皆様方に開放されています。
私が直江津D51レールパークのお手本にしているのはこの施設で、ご覧の通り、老若男女、ファミリー層で賑わっています。
ここも以前から何度も来ていますが、いつ来てもファミリーで賑わっていて、若いお父さんやお母さんが子供たちの写真を撮ったりしています。
この2枚の写真は2015年の時のものですが、私の直江津D51レールパークの構想の原点がここ彰化機関庫なのです。
台湾は2000年代初頭まで、鉄道というのは軍事施設でした。
私の先輩たちの時代は列車の写真を撮っていると警察に連れていかれてカメラのフィルムを没収されたりすることがありましたが、私も駅のホームでカメラを構えていると、何度も駅員さんがすっ飛んできて、「撮っちゃだめだ!」と怒られました。
そういうことを知っていたので、あらかじめ台鉄本社で許可証をもらって撮影していたのですが、それでもそういう状況でした。
それが、中国との緊張関係が解けて、鉄道が趣味嗜好の対象になったのですが、つまり、まだ20年ほどの歴史しかないのです。
それでも、10年も前からこうして一般の人たちが皆さん鉄道を愛好してくれているのですから、台湾国鉄としては大変な努力があったと思いますよ。
「マニアは来なくてよろしい。」とか、「10万円払ったら撮影させてあげる」などという低レベルな対応ではないのです。
ということで、久しぶりに来ましたが、特別なイベントをしているわけでもないのに、今日もちびっ子たちで賑わっていました。
さて、機関庫を見学した後は韓国製の500型に乗って一駅。追分駅に来ました。
追分駅は日本時代の駅舎が現役で使われていて、ここも名所の一つになっています。
この隣りの駅が「成功」という名前の駅で、人生の分岐点から成功に向かうという意味でしょうか。「追分から成功へ」という切符が縁起物としてよく売れているのです。
券売機はもちろん、硬券もあるのです。
台湾では5月と7月に入学試験があるようで、その入学試験の日付の打刻をしてくれていましたが、10枚とか30枚とか買い求めている人が居ました。
しかもおばさんたちでしたので、子供たちへのプレゼントなのでしょうか。
台湾は女性活躍の社会ですが、鉄道愛好家にも女性がたくさんいるのが特徴で、昭和のおじさんとしては不思議な光景に見えますが、女性が鉄道愛好家になるということは、活性化するのだと思います。
窓口に居る女性が30枚、その次の女性が10枚ほど買われていました。
さて、追分からは台湾新幹線の乗り継ぎ駅新烏日(しんう~りん)に向かい、台湾新幹線で一気に台北に戻りました。
台湾新幹線も大混雑でしたよ。
帰りの新幹線、ネットで予約していたつもりでしたが取れてなくて、窓口で何とか当日売りをゲット。
B席でしたが、時速280キロに酔いしれて爆睡モードに入ったら、あっという間に台北でした。
往路の3時間は何だったのだろう、と思いつつ、台湾では新幹線も在来線もこんなに賑わっているのに、日本はダメだなあと、今回も思いました。
私が台湾国鉄の皆様方と親しくさせていただいてかれこれ20年近くになりますが、その時はまだ台湾には新幹線はありませんでした。
2007年に台湾新幹線の開業が決まった時に、私は彼らに質問したのです。
「新幹線が開業したら、在来線はどうなるのですか? 特急列車はどうなるのですか?」と。
すると幹部の皆様方は「?????」と不思議そうな表情でした。
そして、「今までと変わりませんよ。」と言われたのです。
私は「えっ?」と思いました。
だって、新幹線ができたら在来線の特急列車は全廃するのが日本では常識だからです。
でも、台湾は違いました。
新幹線は台湾高速鉄道という別会社が運営して、台湾国鉄はそれまで通り在来線を一生懸命運営するのです。
そうすることで、両方とも今まで以上に利用者が増えていっているのです。
ちなみに台北から台中まで、在来線の特急列車「自強号」では3時間弱。料金は450元(約2200円)。
新幹線だと1時間弱で700元(約3500円)。
それぞれに役割があって、お客様の需要が異なるのです。
でも、日本の場合は、在来線の特急列車を廃止して新幹線に乗せれば一人当たりの客単価が上がりますから儲かります。だから、新幹線をJRがやって、在来線は並行在来線化して3セクにして、特急列車を廃止してしまったのです。
結果はどうなったでしょうか。
国鉄時代に考えた昭和の役人の発想が果たして機能しているのかどうか。
そう考えたら、答えは台湾にあると私は思います。
在来線も新幹線も、そして高速バスも、台湾ではどの手段も賑わっているのですから。
それに対して日本では鉄道離れが起きていて、活性化していないんですよ。
そういうところを、そろそろ考え直した方が良いのではないかと、私は台湾に来るたびに思うのです。
日本でも新幹線は国営にして、民間鉄道会社は在来線をしっかりやればよいのです。
だって、新幹線は絶対に儲かるのですから、ビジネスのセンスがなくてもできるんですよ。だから国営で良いのです。
ところが、在来線は創意工夫をしないと利用者が増えませんから、そういう路線を民間が知恵を出してしっかりとやっていく。
そして、新幹線から上がる利益をローカル路線に分配し、あるいは他の地域への新幹線延伸に使えばよいのです。
そろそろ、制度そのものを見直さないと、鉄道はどんどんとダメになっていくのは明らかですから、皆さん、台湾の鉄道に乗りに来て、自分の目で確かめてみることをしていただきたいと、私は今日も思いました。
少なくとも鉄道の運営に関しては、日本は台湾を見習うべきだと思います。
銀行なんか始めてる場合じゃないんですよ。
でも、まあ、日本の鉄道業界関係者の98%の人たちが海外の鉄道の状況を知りませんし、海外どころか、日本の鉄道の業界のことも、自分の会社のこと以外は知らない人たちですから、そういう人たちに何度説いても、まぁ、無理でしょうね。
できるようなら、すでにこうなってはいないでしょうし。
彰化に行ったのは準備運動代わりと申し上げましたが、なんだかくたびれました。
5年ぶりということは5年分年を取っているということですからね。
今まで通りにはなかなかいかないということが、久しぶりに同じことをしてみてよくわかった本日でございました。
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