先日、3月2日に「懐かしい電車」というタイトルでブログを書きました。
小田急の電車は私の子供の頃にはあまり縁がない電車でしたが、近所の模型屋のおじさんに教えてもらって、乗ったことはないけどなんだか懐かしい電車ですという内容です。
それは、私の友人がこの電車のクラウドファンディングを始めたので、何とか成功してもらおうと応援するつもりで書いたんです。
そうしたらおかげさまでわずか2日で第一目標をクリアして、第2目標に向かって現在驀進中です。
その友人がFacebookページにこんなメッセージを乗せてくれました。
それがこちらです。
デハ1801保存会
えちごトキめき鉄道鳥塚社長とのよもやま話
先日鳥塚社長が、facebookやブログに私共のクラウドファンディングに関する投稿をしてくださり応援いただいています。
さて、鳥塚社長がなぜこのようにありがたい対応をしてくださるのか紐解きたいと思います。
わたくし、デハ1801保存会会長松葉は、鉄道ファンだけではなく、古い車好きでもあります。
特に昭和30年代から40年年代の商用車が好きで、オート三輪と言われていた三輪トラック等を何台か所有しています。
普通の趣味者なら模型とか写真なんでしょうが、なぜか本物に手を出してしまいます。
さて、私と鳥塚社長とは10年以上の浅くて深いお付き合いがあります。
ご存知のように鳥塚社長の前職は、いすみ鉄道の公募社長で多大な実績をのこしています。
2010年秋に、当時のいすみ鉄道に大糸線のキハ52がやってくるという報道がありました。
これを見た私は、私の持っているキハ52と同世代の旧車(三輪トラック)とコラボイベントをしたくて、いすみ鉄道の公式アドレスに、自分の旧車でいすみ鉄道を応援したいと言う内容のメールを送りました。
単なる鉄道&旧車マニアが鉄道会社にこのようなメールを送っても、無視されるか、担当者にご報告します程度の対応かと思っていたら、すぐに鳥塚社長直々に返信が届き「松葉さん、一緒にやりましょう。12月にキハ到着のお披露目会があるので、松葉さんの仕事の都合の付く日を教えてください。」という、想像を絶する返信が来ました。
お披露目撮影会の時は、映画「三丁目の夕日64」の撮影に旧車を貸し出していて持って行くことは出来ませんでしたが、自分は会場に出かけて行って、その時に初めて鳥塚社長にごあいさつをしました。
同世代で同じように鉄ちゃんを続けてきた二人ですから、すぐに意気投合!次から次へと妄想が広がります。
そしていよいよキハ52運転というときに東日本大震災が発生。一気に企画はしぼんでしまいました。と、思いきや、少し遅れてGWから復興応援で運転することが決まりました。
もちろん私のオート三輪も駆けつけ、大多喜駅や沿線各所に出没してキハ運転開始を盛り上げました。
社長に、私の友人のボンネットバスオーナーさんを紹介して、今度は昭和のキハと昭和の自動車のコラボイベントをしましょうと提案し、その後の「みんなでしあわせになるまつり」や「国吉駅まつり」へと繋がっていきました。
私も「いすみ鉄道応援団」に入り、関係が深まっていったのです。
鳥塚社長は新潟の地へ移ってしまいましたが、この時の絆は今でも繋がっていると感じています。
そして今回のクラウドファンディングに際して、情報をいかに拡散するかが課題の中、多くのお友達、知り合いにお願いしましたが、鉄道会社の社長である鳥塚さんにはお願いしにくく、連絡せずにクラウドファンディング開始初日を迎えました。
するとすぐに鳥塚さんご自身のfacebookにシェアしてくださり、翌日にはブログにも書いてくださいました。
驚きと感謝で飛び跳ねました、とまでは行きませんがスマホ画面を見て大きくニヤけてしまいました。
鳥塚社長、本当にありがとうございました。
イベントやビックリ企画が続くえちごトキめき鉄道では、今年のGWにも何やらたくらんでいるようですので、そちらの情報にも気にかけていただければと思います。
デハ1801保存会 会長 松葉実
2011年ですからちょうど暦が一回りしましたね。
松葉さんと私です。
松葉さんはわたしより1歳年上。
鉄道会社の勤務を全うされて先年に退職されました。
だから、制服姿も私とは違い板についていますね。
特急列車に乗っているときに、「切符を拝見」って回ってきたことがありましたが、お互いに「あれ? 何してるの? こんなところで。」って感じで。
「何してるの?じゃないでしょ。仕事ですよ。」と松葉さん。
「何してるの?って、乗客ですよ、今日は。」と私。
そんなこともありましたし、駅の構内で出会ったこともありましたね。
そしてボンネットバスもやって来て、一大イベントになりましたね。
向かって左が松葉さん、向かって右がボンネットバスの小島さんです。
今度のゴールデンウィークに直江津でボンネットバスを走らせようと企画していますが、そのバスがこれです。
昭和39年製。
そう、3輪自動車もボンネットバスも、私の講演を聞かれた方でしたらこのあたりのエピソードはご存じだと思いますが、昭和の時代には必須アイテムのこの車両たちのオーナーさんは、皆同じ志を持つ仲間なのです。
だから、私がやっているトキ鉄のイベントに遠路はるばる来てくれるんです。
だって、直江津の皆さんにボンネットバスが走る姿をご覧いただきたいですからね。
ということで、本日は松葉さんとの出会いのエピソードをお話しさせていただきました。
こういう人との出会いというものがいかに大切か。そしてそこからどんな化学変化だ起きるかわからないなと実感したのが、50を過ぎてからの私の人生なのであります。
ということで、デハ1801保存会のクラファンはまだ進行中です。
皆さん、引き続きよろしくお願いいたします。
解体危機の元小田急電車(1851号)を救いたい!僚友と奇跡の再会を
最近のコメント