ねじ式

先日漫画家の白土三平さんがお亡くなりになられたニュースを耳にしました。

白土さんはいすみ鉄道の大多喜駅の近くにある寿恵比楼という旅館に滞在しながら作品を書かれていたことが知られていて、その旅館は私の時にはすでに廃業されていましたが、まだ当時の面影を残していました。

白土さんはサスケやカムイ伝などを描かれた方で、ちょうど私の世代と言いますか、私が小学生の頃、漫画やテレビでやっていて、よく見ていました。
寂寥感がある荒涼とした作風は、サリーちゃんとか鉄腕アトムなどとは違った雰囲気で、子供心にちょっと怖い感じがしていましたが、嫌いではありませんでした。

その寿恵比楼に一緒に滞在していたのが同じく漫画家のつげ義春さんで、こちらはこちらで、またかなりシュールな作風で、梅津和夫をさらに荒涼とさせたようで、子供が見るような漫画ではありませんでした。

ずっと後になって、高校生の頃、手塚治虫の火の鳥を探して古本屋さんを歩いていた時に、ガロという雑誌を見つけてペラペラとめくった時に出て来たのがつげ義春作品でした。

高校生ですからなんとなく理解できるかなという程度に成長していたのですが、当時は例えば寺山修司とか、岡本太郎とか、個性的な人たちがたくさん活躍していましたから、「ふ~ん」と言って見ていただけでした。

ところが、大多喜で仕事をしているときにその古い旅館の話を知りまして、白土三平さんもつげ義春さんも急に身近に感じるようになりまして、地元を舞台にした作品があることも知りました。

そしてあれから数年が経過して、今回、白土三平さんがお亡くなりになられたニュースを耳にして、私の頭に浮かんだのはなぜかつげ義春さんの「ねじ式」なのであります。(ちなみにつげ義春さんはご健在のようですので、お間違いのないように。)

ネットを見ると、この「ねじ式」の画像がたくさん出てくるのですが、いろいろ調べてみるとどうやらここは千葉県の内房線の太海(ふとみ)が舞台になっているようで、ああ、そういえば見たような景色だなあと思うのであります。

というのも私は勝浦の興津というところにおばあちゃんがいて、小学生の頃は夏休みになると毎年のように両国から汽車に乗っておばあちゃんの家に遊びに行ってましたが、太海にも親戚があって、興津に飽きると汽車に乗る理由を見つけては太海の家に出かけていたのです。

当時はディーゼルカーでしたが、太海の駅に着くとだらだら坂を降りて国道に出て、すぐに左に曲がった先に親戚の家がありました。
太海の駅は駅を出ると線路が大きく右にカーブしているのですが、列車がカーブの先から信号機が見えるようにと、線路からかなり離れた畑の中に腕木の信号機のコンクリ―の基礎があって、紐でつながれた信号機が畑の中でガタン、と音を立てて上がり下がりするのが家の前から見えました。

太海の親戚の家は興津のおばあちゃんのお姉さんが嫁いだ豆腐屋で、当時まだお爺さんが健在で、私はお爺さんに連れられて仁右衛門島へ行く船着き場の回りをよく散歩しました。
お爺さんは地元の顔役で、仁右衛門島へ渡る渡し船や、できたばかりのフラワーセンターにも顔パスでしたから、私も一緒になって顔パスで歩き回りました。

太海というところは興津と違って波が荒いことで有名な場所です。
太海という名前からも波が荒いことが想像できますが、太海は駅名で地元の人は波太(なぶと)と呼んでいた場所ですから、波打ち際からすぐに背が立たなくなるほど深くなっていたりして小学生が一人で泳ぐことは許されません。
私は朝起きると路地を通って浜を一回り散歩して、漁協の下から出る渡船に顔パスで乗って、仁右衛門島に渡って、波の静かな入り江で泳いだりしていました。

漁協の職員の中には父の同級生もいましたから、多分当時は皆さん30代後半ぐらいだったと思いますが、可愛がってもらいました。

そんな情景が思い浮かんできたのですが、「ねじ式」の舞台となって描かれている場所が、まさしくこの太海の親戚の豆腐屋から漁協の下の船着き場へ行く路地でありまして、この「ねじ式」が雑誌に発表されたのが1968年でありますから、私が小学校2年生の時。多分私もつげ義春さんと同じ景色を見て、同じ場所を歩いていたのだろうと思うと、なんだか不思議な感じがするのです。


グーグルで見てみると、ずいぶんきれいになりましたが思い出の場所です。

Wikipediaでは機関車が路地から出てくるその場所が紹介されています。

私はつげ義春さんの作風に魅力は感じますが、別にファンではありません。

でも、自分が子供の頃過ごした場所が、記憶の彼方から蘇ってきたようで、なんだか不思議な気分なのです。

最後に太海の家に行ったのは興津からのディーゼルカーが鴨川止まりで、太海までのあと一駅は跨線橋を渡って黄色い101系に乗り換えた記憶がありますから、多分、昭和46年(1971年)だと思います。

あれ? 総武線(緩行電車)と同じ電車だ。と思ったことははっきりと覚えています。

あれから50年ですね。

そう考えると、トキめき鉄道で455や413が今でも走っていて、D51もいるということは、これは凄いことだと私は思うのですが。

モノの価値がわかる皆様方と、同じ時間を共有したいですね。

今度の週末はレールパークのハロウィンにお越しください。