昭和の時刻表の旅 目指せ 急行「高千穂」!!

手元に昭和47年3月号の時刻表があります。

この時はそれまで新大阪止まりだった新幹線が岡山まで伸びで白紙ダイヤ改正が行われました。

昭和47年は1972年。鉄道百年の年ですから、あと2か月ちょっとで年が明けたら50年前ということになります。
私は小学校6年生で、むさぼるように時刻表を「読んで」いました。

新幹線って東京から岡山までしかなくて、もちろん東北も上越もありません。
列車も「ひかり」と「こだま」だけで、「ひかり」は当時世界一速い列車でした。

東京駅からは九州方面への「さくら」「富士」「はやぶさ」「みずほ」「あさかぜ」といったブルートレインがたくさん出ていて、花形列車として「走るホテル」なんて呼ばれていました。

そんな中、とても地味なんですが、魅力的な列車がありました。
当時、東京駅を10時ちょうどに出る西鹿児島行の「桜島・高千穂」号です。

時刻表の編成表を見ると「桜島」と「高千穂」という2つの列車が併結されて14両で西鹿児島を目指していたことがわかります。
東京から北九州の門司までは2編成が1つになって走っていきました。
そして、門司で鹿児島本線(博多、熊本)を経由する「桜島」と、日豊本線(大分、宮崎)を経由する「高千穂」に分かれて運転です。

各列車7両編成のうちグリーン車指定席がそれぞれ1両ずつ連結されていますが、あとは自由席だけ。西鹿児島まで行くというのに食堂車もありません。
九州方面へのブルートレインが切符が取れない花形列車だったにもかかわらず、このほぼ自由席だけで、申し訳程度にグリーン車が付いている列車が走っていたとは、つまり、国鉄は「あなたの懐具合に合わせて列車を選んでくださいね。」ということだったんですね。

今は新幹線ができると在来線の特急や急行をやめてしまいますから、高い新幹線しか選択肢がなくなって、「そんなに急がなくても良いから安く行きたい。」という人はみんな高速バスに流れてしまって、若者の鉄道離れが進んでいますが、当時はこんな列車が走っていて、若者たちは当然のようにこういう列車で旅行をしていたのです。

東京駅を出発するときの機関車はEF58でした。
でも、私は小学生だったのでもちろん遠くまで乗って行くことはできません。
当時住んでいた板橋から東京駅まで30分ぐらいでしたから、塾の帰りなどに遠回りして立ち寄ったりしながら、いつも指をくわえて発車していく姿を見ているだけでしたが、中学生になったある時、意を決して東京から横浜まで乗ってみたことがあります。
でも、それ以上先まで乗ることはできませんでした。
今思うと、終点まで乗ってみたかったなあと思うばかりですが、あとは時刻表を見ながら机上旅行というのと楽しむ他はなかったのです。

ということで、ちょっと一緒にタイムスリップしてみませんか。

日豊本線回りの西鹿児島行の「高千穂」の旅のスタートです。

東京 10:00 発 → 横浜10:29 → 小田原11:16 → 熱海11:37 → 沼津11:56 → 富士12:12 → 清水12:36 → 静岡12:48 → 浜松13:51 → 豊橋14:20 → 名古屋15:19 → 尾張一宮15:36 → 岐阜15:49 → 米原通過

その下に終着10:51(日豊本線経由「高千穂」西鹿児島着14:11)と書かれていますね。
東京を10時ちょうどに出ているのですから、「桜島」は24時間51分。日豊本線経由で余計に時間がかかる「高千穂」は28時間11分かかるということです。

どちらの列車も前の日に東京を出発した列車が終点の西鹿児島に到着する前に、もう次の日の列車が東京を出発してるのです。

さて、続き。

米原を通過した列車は、大津17:17 → 京都17:31 → 大阪18:04着・18:12発
大阪で6分停まります。
すでに東京を出てから8時間が経過していますが、このあたりで皆さん夕食を仕入れていたのでしょうか。

よく見ると姫路と岡山の間に食堂車のマークがあって(「桜島」に連結)と書かれていますが、これはウソ。誤記です。
というのも、この「桜島」は1972年3月15日の白紙ダイヤ改正の前までは「霧島」という名前で運転されていたのですが、ダイヤ改正で京都発西鹿児島行の寝台特急が新設されて、その名称が「きりしま」になったことから「桜島」に改名されて、それを機に食堂車を外されたのです。

つまり、それまでは食堂車が付いていたんですが、なくなっているんです。
でもここには残っている。
つまり誤記。
今でいうところのコピペでもしたんでしょうかね。

だから、こういう列車で旅をするときは、しっかりと時刻表を見ながら、途中の停車時間に食糧を仕入れなければなりません。

時刻表の脇や下部にこうして駅弁が詳細に記載されているのは今も同じですが、お値段がかなり違いますので興味がありますね。
(拡大するとよく見えます。多分)

広島のしゃもじ牡蠣飯 250円 あなご飯 150円
柳井のドライカレー弁当 200円 というのもそそられますね。

広島には0:04着ですでに14時間経過。
9分停車ですが、当時は多分駅弁屋さんも立ち食いソバ屋さんもホームで営業していたと思います。
9分停車ならソバも食べられます。

岩国着 0:48

次へ行きましょう。

岩国を出ると柳井、下松、徳山、防府、小郡(新山口)、宇部、小野田、厚狭と停車して下関に3:57着。
5分停車で機関車を取り換えて関門トンネルをくぐり、門司4:10着。九州上陸です。

ここまで、東京を出てから18時間ですね。

門司で前方に連結されている「桜島」が切り離されて4:16に発車。
日豊本線経由の「高千穂」は4:23の発車です。

小倉、行橋、宇島、中津、宇佐、杵築、別府に停車して大分着6:46
この辺りを細かく停車しているのを見ると、京阪神からの夜行需要があったのだろうと思います。

大分では9分停車。
朝ごはんを仕入れるならここでしょう。
でも、大分での9分停車は駅弁を仕入れるためではなくて、大分から先の区間がまだ電化されていませんでしたので機関車交換がその目的でした。

延岡 9:24 → 日向市 9:51 → 東都農 10:13

日向市と東都農の間で24時間が経過です。

宮崎 11:01着、都城 12:16着

次へ行きます。

西都城、大隅大川原、北永野田、霧島神宮と、その後の急行「しいば」よりもまめに停車して隼人13:34着。
錦江湾沿いを桜島を見ながらラストスパートで鹿児島14:05着。
終点の西鹿児島には14:11着。

東京から28時間11分。
日本最長列車の旅の終了です。

ああ、すごいなあ。
こんな列車が走っていたなんて。
寝台車じゃないですよ。
旧型客車の座席車です。


▲大井川鉄道の旧型客車。
こういう客車でまる1日乗ってみたかったですね。


宮崎ー南宮崎間を走るC57けん引の「高千穂」。
東京からずっと乗って行くと、最後は蒸気機関車だったんだなあと思うと、夢がある列車だったんだと思います。

いかがでしたか?
昭和の時刻表の旅。

この昭和の長距離列車を再現しているのがトキめき鉄道の観光急行列車なのです。

おかげさまで「朝から朝まで」はすでに完売いたしておりますが、とりあえず11月20日のバル列車と夜行列車だけでも押さえておけば、あとは自由席でも行けますから、皆様、いかがでしょうか?

※ご注意
観光急行は10月23日と、11月20日は貸切の団体が入っている関係で2号車のボックス座席が指定席となります。
その他の日でも貸切が入る場合がありますのでご了承ください。