数日前にNHKのドキュメンタリー番組で「駅の子」というのを見ました。
戦争で両親を失って、行き場所が無くなった子供たちが駅に集まって路上生活をしていた。
そういう子どもたちが、今、80歳を過ぎて、当時の大人たちや社会から受けた仕打ちを、ポツリポツリと語り始めたという番組でした。
毎年、この季節になるとテレビでは戦争を特集する番組が多くなります。
私が子どものころは、大人たちはみな戦争経験者でしたから、「また戦争のテレビだ。見たくない。」という人たちがたくさんいました。思い出したくもない。そういう感情だったと思います。
そういう大人たちがよく言っていたのが浮浪児の話。
浮浪者ではなくて浮浪児。
外で遊んで泥だらけになって帰ってくると、「そんな浮浪児みたいな姿になって。」とよく言われたことを思い出します。
行き場を失った子供たちが、上野駅などの地下の通路に集まって寝泊りをしていた。そういう話は何度も聞いていましたが、「駅の子」というNHKの番組は、当時のそういう浮浪児たちの体験を赤裸々に取材した番組でした。
私の父も母も東京出身でしたから、当時はいろいろそういう話を聞いて育ちましたし、池袋や上野という繁華街に連れて行ってもらうたびに「ここがそうだったんだ。」などという話は聞いていましたが、NHKの番組で久しぶりにそういう話を聞いて、自分の親たちが体験したことを聞かされて育った身としては、あらためて事実であることを教えられたようで、正直申し上げてなかなかショックな番組でした。
同級生のお父さんで戦災孤児だった人もいて、「うちのお父さんは焼け跡で孤児だったんだ。」なんて話は、私たちの時代はそれほど珍しいことではありませんでしたが、当時30~40代だったおじさんは多くを語ろうとしなかったことを覚えています。そして、みんな子供たちには優しい人たちでした。
今日の上野駅です。
この建物は当時から変わらないはずです。
上野駅前の交差点。
この電車のガードも、おそらく当時と同じ場所にあると思います。
そして地下道へのスロープ。
当時、親を失った子供たちがここで寝泊まりをしていた場所だとNHKの番組で言っていました。
こういう場所が、当時とほとんど変わらぬ姿で、今の東京のど真ん中にある。
突然親を失って、行き場を失って、ここへやってきて、たくさんの子供たちが苦しんだ。
生きたくても生きることができなかった子供たちがたくさんいた。
これは事実です。
だから、せめて、1年のうち、今の季節だけでも、そういうことを思い起こしてみることが必要なのではないか。
そんなことを思って、今日は上野駅を歩いてみました。
明日は8月15日。終戦記念日ですね。
これからは私たちが語り継がなければならない番です。
そういう時代になったということなのです。
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