国鉄からJRになって31年が経過しました。
31年が経過するってことは、当時の小学生が40歳になるということですから、世の中の主流は国鉄時代を知らない人たちばかりになっているわけで、そういう人たちが今のJRのやり方を見て、「鉄道会社って、そういうものなんだ。」と思われるのが、私はちょっと心配になるんです。
儲かるところしかやらない。
ローカル線は廃止する。
駅ナカや不動産を中心にビジネス展開する。
「JRは民間会社なんだから、そんなのあたりまえでしょ。」
そう思う人たちがたくさん出てくる時代になると、本当にそれが当たり前になって来てしまうわけで、でも、それってあたりまえじゃないんですよ。と私の世代が声を大にして言わないと、とんでもない世の中になってしまうわけですから、時々私は声を大にして申し上げることにしているのが31年前の国民とのお約束。
はい、これです。
国民の大多数が忘れているのに、こういうのを出されちゃうと、私のことを快く思わない人たちもたくさん出てくると思いますが、でも、私のことを快く思わないということは、そういう人たちにとって、こういうものを出されてしまうと都合が悪いからであって、そういう人たちが都合が悪くなるということは、地元の利用者や国民にとっては、都合が良いということになります。
そうなれば、ひいてはお国のためになることですから、私は思い出したように、31年前の国民とのお約束をこうやってUPするのであります。
でも、誤解しないでいただきたいのは、「自民党は国民に対して嘘をついている。」ということではありません。
国鉄からJRになって、すでに政治がJRに介入できない仕組みが存在しているのでありますから、当時の政治が国民に対してお約束したことを、きちんと守っていないのは鉄道会社であって、自民党でもどうにもすることはできない時代になってしまったのです。
でも、そういう鉄道会社は、国鉄の借金を棒引きにしてもらっていて、財産や資産をきちんと引き継いていただいて、そのためのお約束が自民党のこの広告なのでありますから、国鉄を引き継いだ鉄道会社としては、やはり、きちんとやっていただかなければならないと私は考えているのです。
さて、昨今の鉄道会社のやり方を見ていると、民間会社になったからサービスが良くなったと誰もが思っているわけではないことは明白だと思いますが、では、国鉄時代はサービスが悪かったのか、ということも最近私は考え直してみたりしているのです。
一部のマスコミ報道を覚えていらっしゃる国民の印象では、国鉄時代のサービスは最低で、到底受け入れられるものではなかった的な意見をおっしゃられる方もいらっしゃると思います。でも、私はなんだか違うような気がしています。あれだけ営業的なセンスに欠けていた現場の職員の人たちでも、思い起こせば皆さん結構親切でしたし、特に小さな子供には一生懸命サービスをしてくれていたことを思い出します。
つまり、現場の職員の皆様方は、自分たちができることで、お客様が喜ぶことであれば、けっこう一生懸命やっていたのが国鉄時代だったわけで、そう考えると、今の現場のサービスに比べたら、国鉄時代はサービスが悪かったと一概に言うべきではないのかもしれないと感じるのです。
現場の人たちが、できることを一生懸命やるサービスって、どんなものがあるかなと思って、昔を思い出してみたら、寝台急行列車「新星」のことを思い出しました。
この「新星」という列車は、上野ー仙台間を結ぶ寝台専用列車で、つまり、指定席とか自由席とかを連結せず、寝台車だけで編成された急行列車でした。
これが当時の時刻表(昭和51年)巻末の列車編成表。
左上に載っているのが「新星」です。
A寝台とB寝台だけで編成されている寝台専用列車であることがわかります。
右側にある急行「津軽」や急行「おが」はA・B寝台の他にグリーン車や指定席、自由席が連結されているのとは対照的に、この「新星」は寝台専用列車だということは、東北新幹線開業以前の東京ー仙台間には寝台列車の需要があったということで、誰が利用していたのかというと、おそらく出張のビジネスマンが、それだけたくさんいたのだろうということが推測できます。
つまり、国鉄としては、路線特性に応じて、寝台専用であったり、寝台と座席、それもグリーン車から指定席、自由席といろいろな需要に対応できるような列車を走らせていたということになりますから、つまりは、そういうきめ細やかなサービスを行っていたということなのです。
今はやっていませんよね。新幹線があるのだから、新幹線に乗ってください。
それで終わりです。
でも、新幹線は特急料金が高いですから、そういう列車に乗りたくない人たちもいるわけで、そういう人たちは、ではどうしているかというと、皆さん夜行バスに流れている。今の世の中、夜行列車がなくなって、実は昔の夜行列車があったころ以上に夜行バスが走っていて、つまりはそれだけの需要があるにもかかわらず、一晩中列車を走らせるようなことは面倒くさいし、手間がかかる割には儲からないのでやりたくない。だから、なんだかんだと理由を付けて、みんなやめてしまったわけですが、バスよりも列車の方が体には楽なのは当たり前ですから、夜行列車があって、それなりのお値段で乗れれば、皆さんにとってはありがたい存在になるのです。
でも、それをやろうとはしない。
国鉄時代はやっていたのに。
ということは、今に比べても、国鉄時代はサービスが良かったと言えるわけで、民営化して、選択肢がなくなったことは、サービスの低下だともいえるのであります。
さて、当時の東北本線の時刻表。
うまくつながっていませんが、「新星」は仙台発23:20で、上野到着が5:36。
そりゃあ仙台と上野の間ですから、所要時間としては6時間程度でしょう。
でも、出張のビジネスマンにとっては、仙台で仕事が終わって23:20の発車まで、どうして時間を潰したものか。
一杯飲むにしても小遣いがかかるし、だったら早く寝たいなあ。
そう思うのが人情だと思いませんか。
で、この時刻表をよく見ると。
注意書きで(仙台では寝台を21時55分から使用できます。)
と書いてあるじゃないですか。
発車まで1時間半も時間があるというのに、この時刻には列車がホームに入線して来ていて、お客様に「どうぞ、お乗りになって、お休みください。」って言って、乗せていたんですね。
これって、すごいサービスだと思いませんか?
発車後の車内検札なら順番に客車内をまわれば一度で済むと思いますが、これだとお客様はパラパラと、三々五々やってくるわけで、そのお客様の寝台券の確認などはどうしていたのか、私は乗ったことがないのでわかりませんが、発車してすぐに眠りに入る中、検札などできませんから、手間がかかるのを承知で、当時の国鉄は発車の1時間半も前からお客様を寝台車にご案内して、少しでも早くお休みいただけるようなサービスを展開していたことになります。
私は、これって、今の時代でも使える素晴らしいサービス姿勢だと思いますよ。
始発駅なのに発車の3分前まで寒いホームでお客様をお待たせして、車内に入ったとたんに、「この列車では車内販売は行っておりません。どうぞご了承ください。」なんてことを平気でやっている今と比べたら、国鉄時代の方がはるかに優れたサービスをしていたと、古い時刻表を見ていて思いました。
あながち、国鉄イコールサービスが悪い、というものでもなかったなあと、今思い起こしてもそう感じるわけで、私のように国鉄時代にさんざん旅をしてきた人間としては、そういうこともきちんと伝えていくことも、ひとつの使命なのではないかと考えるのであります。
また、何か思い出したことがありましたら、書かせていただこうと考えております。
(つづく)
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