今日から3月ですね。
いすみ鉄道もいよいよピークシーズンを迎えます。
いや、すでに勝浦ビッグひな祭りのお客さま方の団体予約が先週から入って来ていて、結構混み合ってきています。
さて、そんなうれしい春ですが、実は春というのは別れの季節でもありまして、今までお世話になった方々とさよならしなければならないのも春の宿命です。
昨日、最後の乗務を終えたいすみ鉄道運転士の吉野信雪さんです。
吉野さんは昭和43年国鉄入社。44年に機関助士を拝命して乗務員になられました。
昭和44年といえば両国駅から出る「さよなら蒸気機関車」で千葉県内の蒸気機関車が全廃した年。
最新鋭のディーゼル機関車の機関助士になられたところから鉄道人生のスタートで、昨日まで、永きにわたり乗務員としての勤務を全うされました。
その間約50年ですが、乗務員というのは身体的条件が満たされなければ続けることができませんから、次々と登場する新型車両などの勉強はもちろん、健康面でも一言では語ることができないような努力の積み重ねの人生だったと思います。
千葉から蒸気機関車が無くなった時に乗務員になられた吉野さんが退職されるわけですが、私がいすみ鉄道社長に就任した9年前には、吉野さんよりも先輩の方々が多数いらして、C57やD51の罐焚きをやっていた人もいらっしゃいましたし、機関士としてハンドルを握って、土気の坂を難儀して登っていた経験を持つ方々もいらっしゃいました。
つまり、いすみ鉄道って人材の宝庫だったのです。
だから、私は、そういう素晴らしい経験と技術の蓄積を持った人たちがたくさんいすみ鉄道にいらしたので、「皆さんの技術と経験をこの会社に置いて行ってください。」とお願いして、教官となっていただいて、後輩の育成をしていただきました。そして、そういう技術をしっかりと受け継いだ人たちが、今、いすみ鉄道で列車の乗務員として安全運行とお客様へのサービスを支えてくれているのです。
とても面白いのは、吉野さんの時代の乗務員の人たちには養成課程で「電車組」と「機関車組」と別れていて、それぞれ運転のコツがあるようで、例えば発車していく時などの加速でも、見ていて違いがはっきりと分かります。
そして、それぞれ違う教官について勉強した自社養成の運転士は、しっかりその教官の特徴を受け継いでいるのです。
どういうことかというと、1両のディーゼルカーなのに、まるで後ろに客車や貨車をつないでいるようにゆっくりと発車して行く運転士がいるかと思えば、電車のようにサッと加速して行く運転士もいるわけで、不思議なのはどちらの運転操作でも、同じ時刻表で遅れも早着もなく、きっちり列車を走らせるのですから、これがプロというものなのだと感心させられます。彼らはそこまできっちりと教え込んでくれたということなのです。
私が就任した9年前は、いすみ鉄道の運転士さんのほとんどは吉野さんと同じ国鉄入社で、JRから出向に来ていただいているみなさん方でした。外部の人間は、そういう出向乗務員のことをいろいろ言う人がいますが、私は、彼らJRからの出向運転士さんにどれだけ助けてもらったか、その御恩は計り知れません。
彼らは鉄道を愛し、仕事を愛し、職場を愛していらっしゃる方々で、若輩者の私を可愛がってくれて、支えてくれたのは、他ならぬ彼らJRからの運転士さんたちだったのです。
前職の航空会社時代にも指導的な立場に就かせていただいて、いろいろ貴重な経験をさせていただきました。
そして、いすみ鉄道でもJRからの運転士の皆様方にいろいろと教えていただきました。
そういう経験をさせていただいて、私が今考えていること。
それは、「経営というのは人だ。」ということです。
もちろん会社ですから、お金は大切です。
でも、社会資本としての役割があるインフラ会社としては、やっぱり経営というのは人が大切だとあらためて思います。
個人商店のような家族経営であれば、そんなことは考えないかもしれません。
でも、チームでひとつのゴールに向かって行く仕事では、やはり中心となる重要なファクターは、人です。
大きな会社など、数年ごとに人事異動があるような内容の仕事だと、そんなことは考えないかもしれません。
でも、お金ばかりを追いかけて、人をないがしろにする会社は、やはり社会的意義から見ると疑問が残りますね。
「そんなこと言ってるから、お前はいつまでたっても経営者として失格なんだ。」
そう言われるかもしれませんが、私はやっぱり、人を大切にすることを基本として、これからもやって行きたいと思います。
なぜなら、社員も、地域住民も、お客様も、皆様「人」だからです。
それを忘れるようなところに繁栄はありませんからね。
でもね、だからと言って全員が人財になれるというわけではありません。
人にだってピンからキリまでありますから。
勉強ができたとか、良い学校を出ているからとか、そういうことではありません。
自分で気づいて、自分で研鑽して、どういう世の中になっても、何があっても、「いざ鎌倉」の準備ができていることが大切であり、人材ならぬ「人財」というのは、そういう基本ができている人を育てて初めて出来上がるのですからね。
ということは、吉野さんたちに運転を習ったいすみ鉄道の運転士さんたちは、皆、人財だということなのです。
吉野さん、長い間の乗務員生活、お疲れ様でした。
そして、いすみ鉄道に多大なる貢献をしていただいたこと、心より感謝申し上げます。
ありがとうございました。
そして、これからもどうぞお元気でご活躍ください。
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