鉄は国家なり。
と言っても鉄道マニアの話ではありません。
産業革命以来、鉄を生産することが国家を強くすると言われてきたことです。
日本でも官営八幡製鉄所から始まって、富国強兵の名のもとに、鉄の生産が国家の礎を作るとされてきました。
戦後の荒廃した世の中で日本を復興させるために、私たちの先輩たちは、一生懸命頑張ってきましたが、その中でも鉄の生産は特に力を入れてきていました。今からわずか70年から60年ぐらい前の話ですが、製鉄は花形産業であり、サービス業などは足元に及ばなかったのです。
当時は優秀な学生たちは皆こぞって製鉄業に入り、「鉄は国家なり」の名のもとに、日本を復興させ、これだけの国にしてきたのです。
ところが、その後輩たちは何をやっているか。
国家を作るべき鉄の生産に従事している人たちは、きちんとした仕事をしないで適当に仕事をしている。
その証拠に今回の神戸製鋼の不祥事。
つまり、わかり易く言うと、鉄は国家なりで頑張ってきた先人たちが築いた「ブランド会社」を、そのブランドゆえに入社した後輩たちが、適当な仕事をして、国家を失墜させる危機を招いたということなのです。
いい加減な製造工程で生産された鉄が、新幹線にも飛行機にも使われている。
それが定められた強度を持っていないということは、国家の根幹を揺るがす問題です。
他の国を批判できる立場にないということなのです。
自動車会社の検査の不正も同じこと。
会社の説明によれば、「人手が足りないからパートがやっていた。」とか「子会社のやったこと。」だそうで、別に責任逃れをしているのではないでしょうが、エリートの組織の中では、最上部にあるは本社であって、実際に現場で作業をしているのは期間従業員や子会社のスタッフであるということが暴露されたと私は考えます。
つまり、看板を背負っている会社は、実は何もしていない。
こういう構造が、もしかしたら日本のあらゆるところにあるのではないか。
「ホールディングカンパニー」などともっともらしく言ってるけど、ブランドにあぐらをかいて、実際には管理業務以外は何もしていない。商品を生産しているのはシモベたちであるということがこの国ではまかり通っている。
今回の事件では、そういうことを強く感じます。
何が「モノづくりの日本」ですか。
実に情けない話。
たかだか70年ぐらいで、国家の威信が揺らいでしまう。
いつのころからかこの国はその程度の国になってしまった。
そう考えると怖くておちおち寝てなどいられませんね。
大きな会社には、安心してものごとを任せられない時代であると、私は考えます。
国家を支える仕事をしているという自覚や、職業に対する誇りというものがまるで感じられない。
就職の面接では、「御社の将来性を・・・」とか言ってるんだろうね。
バカだねえ。
将来というのは自分で切り開いて作るものなのです。
こういう大企業こそ、そろそろ「リセット」した方がよろしいと思います。
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