今日は長野へ出張でしたが、せっかく来たのだからと廃止された長野電鉄屋代線の松代駅跡へ行ってみました。
長野電鉄は、何とか残せないものかと私もずいぶん応援したのですが、残念ながら力及ばず廃止になった路線で、実に悔しい思いが込み上げてくるところのなので、今までなかなか足が向かなかったのですが、2012年4月の廃止から早いものでかれこれ5年半が経過し、心に引っかかっている思いから逃げずに何とか向かい合ってみようと思い、今日、訪ねてみました。
屋代線の旧松代駅駅舎です。
内部はほぼ当時そのまま。
ホームにはこんな表示が残されています。
駅を中心とした街の観光案内図も当時のまま。
でも、線路は撤去され、反対側のホームもきれいさっぱりなくなって、駐車場になっていました。
活きているものといえば小松姫の自動販売機が1台だけ。
真田の小松姫といえば、何を隠そう本多忠勝の娘ですから、大多喜と大変ご縁がある場所なんですね。
長野電鉄は私鉄ですから実に厳しい経営状態で、屋代線を廃止にしたのは大変な決断だったと思います。
ひと言でいえば自分の身を切るわけですからね。
決して努力が足りなかったわけでもなんでもないと思います。
その証拠に廃止が決定する直前まで、いろいろなイベントを開催して努力を重ねていました。
これは2011年1月のしなの鉄道との合同イベント。
でも、この直後に東日本大震災が発生し、日本全国が自粛ムードになってしまって、日本人皆が希望を持てなくなってしまったんです。
いすみ鉄道だって同じでしたからよくわかるんですよ。
そして廃止が決定してしまい、翌2012年4月に廃止されてしまったという経緯があります。
だから、とても残念なんです。
歴史にもしもは禁物ですが、もし、もう少し早くいすみ鉄道が観光鉄道の効果を示すことができていれば、廃止にならなかった可能性がとても強いと私は考えていますから、悔しい思いでいっぱいなんです。
だって、もし、今なら、地域の偉い人たちだって別の考え方になったと思いますからね。
今や世を挙げての観光ブームだし、去年は大河ドラマで真田丸も取り上げられているわけですから。
でも、せっかくこういう駅舎が残っているというのに全く活用できていない。
このままで行ったら単なる廃墟になってしまいます。
高速道路のインターチェンジから5分のところなのに何も活用できていないんです。
地域の批判ではありませんよ。でも、活性化できるところとできないところってやっぱりあると思います。
そういうところだから、せっかくの宝物を捨ててしまったのかもしれません。
廃止になって5年。
このガランとした姿を見ると、そろそろボディーブローのように効いてくるような気がしてちょっと怖い気がしました。
本多忠勝と小松姫。
お父さんの方は地域を挙げて頑張っていますからね。
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