昨日はお墓参りへ出かけました。
日本には春と秋にお彼岸があって、夏にはお盆があります。
日本人は季節の節目節目ごとに先祖について考えて、祖先を敬う気持ちになれることは素晴らしいことだと思います。
自分たちがこの世に生を受けて、今こうして生きていられるのはご先祖様あってのことで、命というものが過去から脈々と続いているからこそ、この人生を送ることができるということですから、大変ありがたいことであり、自分が今幸せであるとかいう以前の問題として、祖先を敬うことは、自分たちの務めのような気がします。
日本は面白いことに政治と宗教の話がタブーになっているようなところがありますから、SNSで私がこういう話をすると、いや、私に限らずとも、誰が話題に上げたとしても、宗教の勧誘だとか、あるいは政治の話では右だとか左だとか言い出す人も少なからずいるわけですが、そういうある種の近視眼的な短絡的話ではなくて、やはり、季節の節目節目ごとに、先祖の皆様方に感謝する気持ちになれる状況は、実にありがたいのではないかと思います。
なぜなら、昨今、例えば鉄道の列車に身を投げて自らの命を絶つ人たちも多くいると報じられておりますが、もし、私たちの先祖の誰か一人でも、子孫を残すことなく自ら命を絶つ人間がいたとしたら私たちはこの世に生を受けていないわけであり、自分の意志にかかわらず、戦争で命を失ってしまった人が祖先にいるとしたら、やはり私たちは今ここにいないのですから、先の戦争で不本意ながら命を失ってしまった方々が何十万人、何百万人いる中で、何はともあれ、生き延びて、子孫を残してくれた御先祖様には感謝してもしきれないわけです。
さて、私の家のお墓は、父方は池袋の雑司ヶ谷、母方は板橋の不動尊にありますが、父も母も跡取ではありませんから、自分の家としての墓はありませんでした。私は一人娘をもらった関係で、妻の実家の墓も何とか守らなければならない立場にあるわけですが、妻の父も母も跡取ではありませんでしたから先祖からの墓はありません。もうかなり以前になりますが、二人とも元気だったころに、「墓を何とかしなければならない。」という話になりました。
つまり、自分たちの入る墓をつくらなければならないということで、ある時、じいさん(妻の父)が、「墓地が売りに出されているから見に行きたい、一緒に行ってくれないか。」ということで市内の売出し中の霊園を訪ねました。
私も家内も墓地など買う気はありません。まして妻は「自分が死んだら骨を海にでも撒いてくれればそれで良い。」という人ですから、墓など見に言ってどうするのよ、という感じだったのですが、自分の父親が言い出したことだし、反対もできず、私が「おじいちゃんがそう言うんだから見に行こうかね。」ということで、売出し中の霊園を見に行ったわけです。
もちろん、買うつもりなどないですよ。
そして、霊園に着いて、売り出していた墓地の区画を見たら、驚いたわけです。
何と、その売出し区画が、C区5列7番とC区5列8番。
私はそれを見た瞬間に目が輝きました。
これこそ、ご先祖様のお告げに違いありません。
その場で、「おじいちゃん、この区画買いましょうよ。」と言いました。
そして、「2つ連続して買いましょう。うちの墓もここにします。」と決めてしまったのです。
だってそうでしょう。
たまたま見に行った佐倉の霊園でC-57とC-58ですよ。
買うっきゃないじゃないですか。
私の場合は釧網本線の茅沼駅の敷地を購入した時もそうですが、人生の大きな決断というのは何の前触れもなく突然やってきて、5分も悩むことなく、その場で決めてしまうことが多いのですが、これも何かの巡り会わせではないでしょうか。
ちなみに、鉄道ファンじゃない方々のために、なぜ私がこの番号で墓を決めたかというと、佐倉というところはかつては鉄道の街としてにぎわったところで、C57とC58という機関車が主として配属されていて、千葉県中の線路で大活躍していた機関車の基地だったのです。
▲佐倉機関区の転車台に乗るC57。
▲総武本線と分岐して南酒々井へ向かうC58。
▲総武本線佐倉ー酒々井間を走るC57牽引列車。
この写真を撮影した場所からほど近いところにお墓を買ったわけです。
と、まあ、このブログを読んでいらっしゃる皆様方も、区画の番号が気に入ってその場で何百万円もの買い物を、それも当面不要なものを決めてしまう私の決断力を尊敬するか、「阿呆だなあ」と思うかどちらかだと思いますが、喜んだのはじいさんで、その喜んだ理由というのは、娘夫婦の墓が隣にあれば、自分の墓もずっとずっと墓参りをしてもらえるから、ということでした。
そして、その時に買った区画に、じいさんはいろいろ試行錯誤の上、自分でデザインした気に入った墓石を立てて、今、そこに眠っているわけですから、私も年に3回、欠かさずお墓参りに行くのです。
ということで、お墓参りへ行ってきたのでありますが、実は、私は墓参りが趣味のようなところがありまして、雑司ケ谷にある父方の墓へも、思い立った時に、あるいは都内へ出かけたついでに時々立ち寄ってはお線香をあげてくるのでありますが、その理由は、実は私にとってお墓はパワースポットのような場所で、オカルト的な話ではありませんが、お墓へ行って、ご先祖様に手を合わせると、いろいろ気づきを与えてもらえると考えているからで、生きているうちにはあまりいろいろ教えてもらえなかった自分の父親からも、何かメッセージがもらえるような気がするから、不思議な場所なんです。
このように、私のような人間であれば、まあ、お墓参りも定期的に行くわけですが、では、うちの息子たちが将来私やじいさんの墓参りをしてくれるかといえば、はなはだ疑問なわけで、その理由はみな卒業して佐倉の地元を離れていますし、育った家に仏壇があったわけでもなく、特別な教育をしてきたわけでもありませんから、墓参りや祖先を敬うなんてことは、いわゆる今風の若者としてはどうなのかなあと思うのでありまして、墓参りが趣味という私のような人間でもない限りは、墓というものをある場所に固定してしまうことで、彼らにとって大きな負担になるのではないか、と、そのように考えるようになってきたのであります。
(つづく)
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