先日の話です。
サンシャインの駐車場に車を停めて、用件を済ませて車に戻りました。
エレベーターのところで事前精算を済ませて車のある方向へ歩きましたが、自分の車が見つかりません。
サンシャインの駐車場はだだっ広いのですが、私にとっては昔から慣れ親しんだところですし、ホテルの下やワールドインポートマートの下など場所ごとに色分けされていて、自分が停めた色もわかっていたのですが、そこにあるはずの車がないのです。
おかしいなあ?
そう思いながらぐるぐる歩き回りました。
スタート地点を起点に四角く回って、最初の地点に戻っても見つかりません。
今度は反対の方に回ってみましたがやはりありません。
延々20分探して、結局、とんでもないところにありました。
おかしいなあ?
こんなところに停めた記憶ないんだけど。
車に乗って、出口に来るとゲートのバーが開きません。
「時間を超過しました。料金は300円です。」
そりゃそうだわ。
事前精算の15分の余裕時間を過ぎてしまいましたから。
羽田空港の駐車場。
私はたいてい第1ターミナルに停めますから、P1かP2。
飛行機で戻ってきて駐車場に戻り、通路を渡ったところで事前精算機に駐車券を差し込みました。
すると、機械が
「このカードは無効です!」
というではありませんか?
そう、その時停めたのはP2だったのに、向かった駐車場はP1。
P2の駐車券をP1に入れれば、そりゃあ「無効」ですよね。
あれあれ。
これは思い込みですね。
もう一度ターミナルへ戻って、反対側の駐車場へ行きましたが、頭がパニックになっているせいか、今度は停めた階がわかりません。
う~ん。
記憶をたどって、「そうだ、昨日は混んでたから屋上に停めたんだった。」
そう思ってエレベーターで屋上へ。
屋上へ上がって、その状況になって初めて、屋上のどこに停めたのかを思い出す始末です。
なんだか最近こんなことがしょっちゅう。
疲れているのか、それともボケてきたのか。
今までと違うのは、最初からわからないのではなくて、ある程度確信を持っているにもかかわらず、思い違いだったりすることで、その確信自体の根拠が怪しいのです。
これはお年寄りの皆様方がたいていおっしゃることで、だとすると自分もその年齢になってきたんだなあ、ということだと思います。
きっと、だんだんこういうことが多くなってくるのでしょうね。
以前、友人から聞いた話。
夕方お父さんから電話がありました。
会社の帰り道に、「どうやって家に帰ってよいかわからなくなってしまった。」という電話だったそうです。
その友人によると、お父さんはそれが発端で、その後徐々にいろいろなことがわからなくなっていったそうですが、だとすると私も今のうちかもしれませんから、いろいろ記憶の断片をつなぎ合わせて整理しておかなければなりませんね。
この間、友人の弁護士の先生と話をしていた時のこと。
「日本には、実は個人の家庭にお宝がたくさん眠っていて、それは価値がわかる人にとって見たらお宝だけど、価値がわからない人にしたら単なるガラクタ。だから、写真のネガとか、ご本人がお亡くなりになると、ご家族がみんな処分しちゃったりするんですよ。」
私がそう申し上げたら、先生は、うんうん、そうなんですよと全く御同意。
おそらくご自身のことも、いろいろご心配なのかもしれません。
皆さんそういう年齢になって来てるんですよね。
そこで問題なのは、いくらご本人がご存命でいらっしゃってもご記憶が定かでなければ、お宝がお宝の意味を成しません。
だから、できるだけ早い時期に、例えば写真のネガにしろ、古い乗車券にしろ、記憶や記録を頼りに、しっかりと解説を付けて、誰でもご理解いただけるように価値を付けて後世に伝えないと、せっかくのお宝が、ガラクタになってしまうのです。
だとすると、そこには何らかのビジネス需要がありそうだ。
駐車場で迷子になって、そんなビジネスのアイデアがわいてきたのであります。
▲昭和51年。
宮古のラサ工業で機関車に登ってナンバープレートの拓本を取るボクちゃんです。
この時の拓本、現在行方不明ですが、どこかにあるんだけどなあ。
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