私は熊本電鉄が好きです。
熊本には縁もゆかりもない私が、どうして熊本電鉄を好きかというと、その理由は私のふるさとの思い出の電車を今でも走らせてくれているからです。
私のふるさとといっても、残念ながら田舎の町ではありません。
東京生まれで東京育ちの私にとって、自分に田舎があったらどんなに素敵だろうかと子供のころから思っていましたが、おじさんからおじいさんに移行する年齢になってみると、たとえ東京のコンクリートジャングルがふるさとの景色であっても、地下鉄の駅がふるさとの駅であっても、そういう思い出があるだけでやっぱり幸せだなあと思いますし、そのふるさとの思い出の電車がまだ走っているのはこの上もない幸せなのであります。
▲昭和40年代の私のふるさとの駅
▲熊本電鉄で走る同じ電車。
ワンマン化改造、冷房改造されているとはいえ、車内もほぼ当時のまま。
この電車は1963年に地下鉄ができてから1999年に引退するまで、実に36年間私のふるさとの電車だったのです。
それが、今でも大切にされている。
うれしいじゃありませんか。
▲そして今では「くまもん電車」になっているのです。
そして、このくまもん電車をお目当てに、去年1年間で1万人の外国人が熊本電鉄に乗ったのです。
主として中国、台湾、東南アジアからの旅行者のようですが、私のふるさとの思い出の電車が、外国人の思い出の電車にもなっていくのですから、これは実に愉快であります。
でも、別の考え方もあります。
熊本電鉄は始発駅の藤崎宮前から終点の御代志まで、全区間乗っても運賃は370円です。
外国人が1万人来たと言っても、1年間の売り上げは370万円です。
一生懸命くまもん電車を走らせて、1年間に370万円にしかならないのであれば、「そんなことやってどうするの?」という考え方です。
鉄道会社が株式会社としての運営に徹するとしたら、そんな儲からないことをあえてやっているのは、一種の背任行為であり、株主から訴えられる危険性があります。
こういう考え方が主流を占めるようになってきたら、鉄道なんてやっていられなくなるのです。
でも、熊本電鉄は、あえて2編成目のくまもん電車を投入して走らせ始めています。
どうしてか?
それは熊本電鉄の企業理念が、「地域とともに、地域住民のために」であるからです。
熊本電鉄に1万人の外国人が来たということは、1万人の外国人が熊本に来たということです。
くまもん電車の写真を見て、「熊本に行ってみよう」と思った外国人のうち、一部が実際に熊本電鉄に乗ったと考えると、くまもん電車が熊本に数万人の外国人を連れてきたことになります。
熊本電鉄の運賃収入だけを考えると小さな金額かもしれませんが、熊本全体で考えるととても大きな効果があるということを、熊本電鉄の幹部の方々は十分に理解しているから、地域のためになると思って、やっているのです。
これが鉄道会社の力であり、情報発信力なのです。
2編成目のくまもん電車は、おちゃめでやんちゃなくまもんの図柄。
電車は旧銀座線の01形です。
こうしてインフラとしての鉄道の役割をよく理解して、地域に人を呼ぶツールになっているのが熊本電鉄です。
決して自社の儲けにこだわらず、もちろん利益を出すことは大切だけど、地域全体の利益のために、今日もくまもん電車は走っているのです。
こういう使い方がきちんとできれば、ローカル鉄道は生きて行かれるのです。
そう考えると、北の大地の人たちは、実にもったいない使い方をしていますね。
宝物の存在に気づかないか、気づいても磨き方がわからないのか。
北の大地は私たち日本人だけじゃなくて、中国、台湾、東南アジアの人たちのあこがれの土地であるにもかかわらず、それをダメにしてしまおうとしているのですから。
国鉄の赤字の言い訳に、鉄道会社単体に利益を求めすぎた結果だということぐらいは、まず皆さんで理解しましょうよ。
30年やってうまくいかなかったのに、まだ同じ考えで延長戦をやるのですか?
やり方、考え方を変えないと、本当になくなりますよ。
そして地域にも誰も来なくなるのです。
今回は熊本電鉄には乗りませんが、九州に来て、そんなことを考えた次第です。
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