長いこと鉄道趣味をやってきていると思うことがあります。
それは、すべてのものがいつかは消えてなくなるということです。
昭和40年代に「SLブーム」が起きて、世の中は蒸気機関車一色になりました。
全国津々浦々のローカル線にたくさんの鉄道ファンが押しかけて、消えゆく蒸気機関車の写真を撮っていました。
私は中学生でしたが、「どうしてこんなに人気があるのに、国鉄や地元の人たちは廃止にするのだろうか?」と不思議に思いました。
大人たちは「国鉄は赤字だから2人の運転士が必要な蒸気機関車じゃなくて、1人で運転できる列車にするんだよ。」
などともっともらしいことを言っていましたが、今思えば、そうやって親の仇のように蒸気機関車を廃止して、結局線路そのものがなくなってしまったところがいっぱいあるわけで、線路がなくなるということは駅がなくなるわけですから、町だってなくなってしまうわけです。日本全国そういうところがいっぱいできてしまって、どうしてよいかわからなくなった人たちが、今になって「地方創生」だとか言っているわけです。
もう遅いんですよね。
だから、私は、線路を廃止にしないで、大切に守ってきた地域には、まだ未来があると思っているし、鉄路を守ってくれてきた地域の人たちに、「鉄道を廃止にしなくてよかったね。」と思ってもらえるように、鉄道としての役割があると考えています。
さて、中学生だった当時は、あと1年で蒸気機関車が廃止になるとわかっていても、そう簡単に九州や北海道へ行かれるわけはありません。昨日のブログに書いた通りで、時刻表を見ながら、「ああ、今頃、C57が引く列車が走っているなあ。」と思うしかなかったんですね。
そういう悶々とした中学生に、当時近所に住んでいた高校生が声をかけてくれました。
友達の兄貴だったんですが、彼は、全国のSL写真を撮りに行っていて、休みの時には近場ですが、私も時々連れて行ってもらったりしていたのですが、その兄貴がこう言いました。
「鳥塚、次になくなるのは何だと思うか?」
蒸気機関車のことしか頭の中になかった私は、「?????」と思いましたが、彼はこう言うのです。
「そりゃあ、旧型国電に決まってるだろう。その次は103系だぞ。」
「どうして?」
「だって、古い順番に無くなっていくんだから、あたりまえだろう。だから、旧型国電を写しておくんだ。103系も忘れるなよ。」
きっと、遠出ができない私を慰めてくれたんだと思います。
私が時々FACEBOOKで昭和の鉄道写真をUPしているのは、実は、この兄貴のアドバイスを受けて、身近な鉄道を写すようになったことがきっかけで、そのころに撮影した写真なんですね。
「ヨンパーゴのボンネットもいつかなくなるだろう。」
「165系だって、そういつまでも走っているわけはないな。」
中学生の頃に身についたこの考え方は、実は今でもしっかりと残っているわけです。
だから、ブルートレインだって10年以上前から全廃するのが分かっていましたし、いよいよ廃止となって、大騒ぎする烏合の衆と一緒にされるのはうれしいことではないですから、騒がれ始める前には、私の活動はすでに終了しているということなのです。
考えてみれば、ここ10年の鉄道シーンだって、みんな過去になっている。
時系列的な話をすれば、過去というのは、どんどん増えていくものであり、今、この瞬間だって、すぐに過去になっていくものなのです。
▲黄色い車両にタラコ色の国鉄形。
でも、いすみ鉄道ではありません。
廃止してしまったんですよ。
▲もったいないことしましたね。
鉄道というのは、その価値が計り知れないということは、廃止して初めてわかるのです。
▲ここも
▲ここも
▲ここも
▲ここも
▲ここも
▲そして、ここも、今はもうありません。
私は、今やっておくべきことは何かを考えて、常に数年先を見て行動する習性を小学生の時に身に着けたのです。
だから、大騒ぎになる前の、ふだん着姿の鉄道シーンを記録しているのです。
で、そういう私から、若い皆様方へ申し上げたいことがあります。
「今、やっておくべきことは何でしょうか。乗っておくべき列車は何でしょうか。記録しておくべき鉄道はどこでしょうか。」
答えがわかった皆さんは、この夏は、いすみ鉄道へいらしてくださいね。
そうしないと、10年後にきっと後悔しますよ。
いや、5年後かな?
3年後かもね。
後になって、「なんでもっと早く言ってくれなかったの?」と言われないために申し上げておきます。
今、この瞬間は過去になっていくのです。
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