むかしの切符

年末だからというわけではありませんが、本棚を整理していたら昔の切符が出てきました。
昔の切符というのは基本的には硬券乗車券で、昭和45年過ぎぐらいから少しずつ自動券売機が登場してきましたが、それまでは窓口で手売りで硬券乗車券をさばいていました。

例えばこの切符。
昭和44年の新小岩駅発行の30円区間の切符です。
上から44-5-17、44-6-17、44-10-23と読めますね。
44年と言えばまだ両国からC57やC58がけん引するSLの客車列車が発着していた時代ですから、機関区があった新小岩の駅もかなり煙かったのではないかと想像できますが、同じ30円の切符でも3種類あることがわかります。
一番下は亀戸―小岩の矢印がありますから、亀戸、平井、小岩の駅で降りる時に、ここまでの切符だということがわかりますが、上の2つは30円区間とだけ書いてありますから、例えば亀戸駅の駅員さんは、この切符をお客さんから受け取るときには、新小岩から亀戸までは30円であるということを知っていなければなりません。お隣の錦糸町でこの切符を出したら、本当は10円不足しているんだけど、新小岩から錦糸町までは30円じゃなくて40円だよということを、切符を受け取る駅員さんが知らなければならないのです。
プロならそのぐらいの知識を持っているのは当たり前だろう、と思われるかもしれませんが、それじゃあいったい首都圏に国鉄の駅がいくつあるのか、運賃区分がどれだけあるかを考えると、自動改札もコンピューターもない時代ですから、駅員さんの仕事というのがどれだけ大変だったかというのがわかるというものです。
大変なのは改札口で到着したお客さんから切符を集めるだけではありません。
切符を手売りする出札窓口の駅員さんもそりゃあ大変な仕事でした。
何しろ次から次へ来るお客さんへ切符を手さばきで売るわけですが、例えば新宿駅の窓口では、池袋、原宿、国分寺、浦和、小机、横浜、東十条、新検見川、荻窪、板橋、信濃町、綾瀬と次から次へ来るお客さんがそれぞれの目的地を言うと、即座にその金額の切符を出してくるわけです。
昭和44年は私は小学3年生でしたが、「え~と、ちょっと待ってください。」などと言う駅員さんは皆無で、お客さんがどこの駅名を言おうと、即座にその金額の切符を発券するのはどこの駅でも同じでしたから、窓口の横でじっと見ていたことを記憶しています。
働くおじさんのそういう姿を見ていると、そりゃあ国鉄職員にあこがれるわけですね。
ところで、新小岩駅の30円区間の切符ですが、上の2つは同じように見えますが、実は上は自動券売機のもので、下は窓口発券のもの。上には〇の中に「自」と書かれているのがわかります。
新小岩に限らず、この当時の自動券売機は単能式と呼ばれるものがほとんどで、つまり、30円区間の切符しか買えない券売機なので、その券売機には硬券乗車券が収納されていて、30円入れると1枚ずつ切符が出てきていました。
日付の刻印はどうしていたのか疑問が残りますが、日付の刻印を手作業で押したものを機械の後ろにストックしておいたのかもしれませんね。

▲一番下の切符の裏面ですが、表面矢印の1駅ゆきとなっていますから、小岩、平井、亀戸までと言うことになります。

当時小学生だった私がお気に入りだったのは、このような地図式と呼ばれる切符です。
これは横浜線の鴨居駅発行の160円区間。
鴨居から160円で高尾、逗子、日野―豊田、中野島―宿河原、目黒―原宿、新橋―秋葉原まで行かれましたが、ということは、鴨居からそれぞれの区間の距離が同じだということがわかります。

その切符の裏面には「表面太線区間内の1駅ゆき」と書かれています。
こんな地図式の切符は、見ただけでワクワクするというものです。

こんな切符もあります。
ちょっとかすれていますが、巣鴨から40円区間の地図式。
昭和42年4月18日発行です。
この切符の最大の特徴は「2等」と書かれていること。
当時は1等(グリーン車)、2等(普通車)と別れていたんです。
この時の初乗りは20円でしたから、40円だとかなり遠くへ行けましたね。

最後はこんな切符。
これは国鉄から私鉄への連絡乗車券です。
池袋から山手線で日暮里へ出て、日暮里から京成電車に乗り換えて70円区間への乗車券。
池袋から日暮里までは50円だったことがわかります。
聞いた話では、当時の連絡乗車券は1枚ごとの清算ができないので、売りさばいた側の収入になったようで、この切符の場合、池袋で120円の切符を売ると、京成にはお金が入らず、全部国鉄の収入になったようです。もちろん、逆は京成に入るわけですから、当時の私鉄各線、各駅では、国鉄への連絡切符を売る窓口や自動券売機がたくさんあって、一生懸命国鉄連絡の切符を売っていたことを思い出します。
こうやって見ると、1枚の切符にもずいぶんとストーリーがあることがわかるというもの。
これだから切符趣味はやめられないんですよね。
ということで、次回はもう少し遠くへ行ってみることにしましょう。