先日、朝日新聞の千葉版で掲載していただきましたが、昨日、高師規芳さんの追悼列車を運転しました。
高師さんは、掛須団長の同級生で、いすみ鉄道応援団の一員として、草刈りやポップコーン販売、イベントの企画、実行など、たくさんの活動をしてくれた方ですが、今年、1月29日に心臓病のため53歳で急逝されました。
あまりにも突然の出来事で、私も掛須団長をはじめとする応援団の方々も、当初は驚きとショックとで戸惑いましたが、彼の葬儀が済んで心が落ち着いてきたときに、「高師さんは、いすみ鉄道のための骨身を惜しまず、精一杯自分ができることをしてくれたのだから、私も、いすみ鉄道として、できることをしなければならない。」と思い、掛須団長に、「49日の前後に高師さんに感謝するために追悼列車を走らせよう。」と提案をしました。
そうしたら高師さんと親交があった応援団の皆さんが賛成してくれて、お彼岸の昨日、キハの急行列車が終了した夕方から夜の時間帯にかけて、たくさんの皆様方にご乗車いただき、「ありがとう高師さん号」が走ることになったのです。
[:up:] 車両に特別のヘッドマークを取り付けて皆で記念撮影。
この写真を私が撮っていたら、「社長も入れ!」と言われて、
[:up:] でももう入る隙間がなかったので、手前に横になって写したのがこの1枚です。
追悼列車なのにみんな笑顔で大爆笑。
この列車のポリシーは「湿っぽくなく、明るく」ですから、皆さん笑顔なんです。
[:up:] 高師さんがいつも活動してくれていた国吉駅のホームもこんなにお花がいっぱいで見送ってくれました。
国吉を出て、高師さんの家にいちばん近い踏切のところで、運転士さんがお別れの長~い汽笛を鳴らしてくれて、みんなで高師さんの家に向かって手を振りました。
[:up:] 車内は和やかな雰囲気でしたが、ギター片手にお兄さんが歌いだすとだんだん盛り上がってきて、
[:down:] 次第に単なる酔っ払いも出る始末で、最後はごった返しとなりました。
[:up:] ヘッドマークは2種類用意して、行きと帰りで両方取り付けました。
これが昨日の「追悼列車」。
高師さんの思い出を乗せて、みんなでワイワイガヤガヤ大騒ぎ。
これがいすみ鉄道スタイルです。
ところが、これだけで収まるはずがありません。
その後、掛須団長の松屋旅館に移動して、ヘッドマークと写真を飾って宴会が夜も更けるまで行われました。
ローカル線というのは、地域密着型の鉄道です。
だから、いすみ鉄道のような、こういうローカル線があっても、私は良いのではないかと思います。
高師さん、本当にありがとうございました。
これが、私たちの送る気持ちです。
いつまでもいすみ鉄道と沿線地域を見守ってください。
ご冥福をお祈りいたします。
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