近頃の若いもんは・・・

いつだったか、私が「団塊の世代はお客さんとしてあまり重要視していません。」と言ったことが、今でも独り歩きしているようで、「いすみ鉄道の社長は団塊の世代が嫌いだ。」などとネットでグルグル回っているようですが、確かにお客様として考えた場合、団塊の世代の人たちはたいてい一家言持っていて、講釈をたれたがる一言居士がたくさんいます。だから、そういう人たちを「ここには何もないがあります。」のいすみ鉄道としてはいちいち相手にしてられないというのが本音ではありますが、だからと言って私は団塊の世代が嫌いというわけではありません。
いつも申し上げているように、団塊の世代の人たちがSLブームを盛り上げてくれて、私の世代はそれを見て育って、子供の頃の原風景になっているわけですし、社会人になった後も、先輩として、直接指導してくれたのも団塊の世代の人たちですから、自分が今いるのは、こういう先輩方のおかげであることは間違いないんです。
ただ、人間というのは年齢と共に変わりゆく傾向というのがあって、年を取ると誰でも口うるさくなるし、ああでもない、こうでもないと薀蓄をたれたくなるもので、別に団塊の世代の人たちがそうだというのではなく、たまたま、団塊の世代の人たちが、今、そういう年齢になっているということなのです。
つまり、60代には60代の特徴があって、そういう特徴というのは当然50代にもあるし、40代にも30代にもあるわけで、それはその人個人がどうだということではなくて、誰もがその年齢になると、そのようになるということなのだと私は考えることにしています。
私は今50代半ばに差し掛かっていますが、自分がこの年齢になるというのは、私にとっては生まれて初めてのことなんですが、いつの時代にも50代のおじさんたちという人類はいて、その人たちは、50代のおじさんとしての行動的な特徴を持っていて、でも、それって、自分がなってみて初めてわかる部分もあるけど、基本的には昔の50代も今の50代もあまり変わらないような気がします。
ということは、今の団塊の世代の人たちの行動や思考を見ていると、私の場合は15年後の自分も、ああなるだろうなあ、ということがあらかじめ予測できるんですね。
30代のころ、私は一つの仮説を立てたことがあります。
それは、女の人というというのは、年齢を重ねるにしたがって、だんだと怒りっぽくなって、怖くなるのではないかということで、自分の業界の先輩たちを見て、皆さんだいたい怖くなっていくのがわかりましたから、そういう仮説を立てたのです。
そのころ、私よりずっと年下の女性スタッフが、
「鳥さん、あの先輩最近ずいぶん怖くなってきたと思うんですけど。」と私に聞いてきたので、私は、
「年齢的にあの位になると、皆さんそういう傾向があるみたいですよ。」と答えました。
すると彼女は、
「もし、私が、何年かして、あの先輩のような傾向が見えてきたら、鳥さん、私に注意してくれますか?」と、瀟洒なことを言うものですから、
「そうだね、覚えてたら、そうしよう。」と答えました。
それからかなりの年月が流れて、私も40代の管理職になりましたが、その頃になると、「私が、もし怖い女になったら注意してね。」と言っていた彼女もそれなりの年齢になりました。
そして、やっぱりというか、当然というか、誰もが陥るそういう傾向がみられるようになりましたので、私はそれとなく、
「どうした、最近? すこし怖くなったね。」と、できるだけ柔らかく、相手に伝えようと思って口に出したんです。
すると、彼女は
「何言ってんのよ、鳥さん、年取ったんじゃないの?」
と、かなりな口調で答えてきましたから、私は、その時はある種の驚きとともに、
「そうだね、そうかもしれないな。」と答えるのがやっとでした。
これは、別に彼女に過失があるわけでもなんでもなく、人間というのは、ある年齢になると、同じような傾向になるということであって、その原因というのは、日々、人生経験を積んでいく過程においての蓄積からくる世渡りのためのスキルアップのようなもので、もし、これができなければ、そういう人は、悩んで病気になったりするかもしれないことを考えると、人間としての自己保存の本能のようなものなんだということを、私は彼女から教えてもらったわけです。
ということで、今、50代の私には、私が気付かないうちに、傍から見たら「やっぱり50オヤジだよ。」という行動傾向があるでしょうし、それは、自分が若い頃、「50オヤジはヤダなあ。」と思って見ていた、そのヤナ親爺になっていることは間違いないだろうから、そこのところを、白ばっくれるか、反省するか、そして改善するかなどということを、どのようにして乗り切るかという事が課題なわけで、少なくとも、JRの特急列車で車掌さんに料金のことで食って掛かるようなことはしたくないなあと思うわけです。
さて、そう考えると、そのような人間の行動や思考の傾向というのは、何も年上のオヤジに対してみるものだけではなくて、オヤジ側から見ると、どうも年下の若僧は何かにつけて気に食わない対象でもあるようで、「近頃の若いもんは」という枕詞で始まる会話というのは、いつの時代もあるわけです。
私が「若者」だった時代には、もちろんその時代のオヤジたちから、「近頃の若いもんは」とさんざん言われてきましたし、私に向かって「近頃の若いもんは」と文句を言っていたオヤジたちも、若いころはそう言われてきたわけですが、そう考えると、今、もし私が年齢の若い人たちに向かって「近頃の若いもんは」と言うとしたら、それって怖くなってしまった女性と同じように、見事に、年齢の罠にはまってしまうことであって、私としては、何も学習していないことになりますから、私は、50オヤジとして一つだけ気を付けていることは、この、「近頃の若いもんは」という否定的な言葉を自分では使わないようにしているんです。
そして、そう決めて素直な気持ちで若い人たちを見てみると、先日お話ししたグリーン車の中の子供連れ夫婦じゃありませんが、若い人の中でも、「人が見ていなくたってちゃんとしている人たち」がたくさんいますし、公共意識が高い人がたくさんいることにも気づきます。
年上の人って、それが自分が通ってきた道ですから、自分を振り返って見たら、そういうことが良くわかるはずなんですね。
だから、私は、中にはどうしょうもないようなあんちゃんもいるけど、そういう人は私たちの時代にもいましたから、それから比べると、今の若い人たちは、きちんとしているし、物事もわかっているし、頑張っているなあ、といつも感心して、ある種の尊敬の念を持ってみているわけなのです。
グリーン車には子供連れは乗るな的な議論がありましたが、そういうあなたは誰にも迷惑をかけることなく大人になったんですか? これから生きていくにあたって、誰にも迷惑を掛けないお年寄りになる自信はあるんですか?
どうせ議論をするのなら、私は、この辺りから始めるべきだと思うのですが、
「俺がグリーン料金払ったのは、静かな快適空間のためだ。」と言う人もいれば、
「大人の自分が乗れないのに、子供をグリーン車に乗せるなんて贅沢だ。」と言う人もいて、そういう炎上を見ていると、年齢だけではなくて、お金のあるなしによっても人間の言動にはある種の傾向が生まれるし、どこかの村長さんがパワハラだとかいう話を聞くと、地位や立場によっても、陥りやすい罠や、はまりやすい落とし穴というのもが、いつの時代にも存在するんだなあと思うのであります。
昨今では世の中は経済の話ばかりですが、私は、おじさんたちも、おばさんたちも、若者たちも、こういう人生訓というものを、もう少し考える必要があるような気がしますね。
久しぶりに宇野千代さんでも読んでみたくなりました。
※ 私の前職の同僚のN父さん、このブログの話を職場でしてはだめですよ。誰のことかわかっちゃいますからね。また怒られますから。