偏差値世代の成れの果て

1960年(昭和35年)生まれの私は、国立大学の共通一次試験の第1期生。受験戦争まっただ中で育った偏差値世代です。
国立大学の入学試験は、それまでは一期校、二期校と大学が二つのグループに分かれていて、それぞれの大学が入学試験を行っていましたが、共通一次試験は、全国統一の問題で試験をすることで受験生を選別する、言葉を変えれば、大学をランキングする序列のための物差しを統一するということで、いうなればこれが偏差値教育というものでありますから、少しでも良い大学へ行きたければ、少しでも良い高校へ行かなければなりませんし、そのためには中学校生活で国数英理社を一生懸命に勉強することが求められていましたし、人によっては小学校3年生ぐらいから塾通いが始まっていました。
小中高とそういう時代に育った私の世代は、絵が上手だとか、歌がうまいとか、走るのが速いとか、そういうことはその人の能力として評価されませんでしたし、ましてや、思いやりがあるとか、人に親切だとか、そんなことは学校では全く評価されず、どうでもよかった時代を過ごしてきました。
とにかく学校でも、親でも、親戚でも、大人たちが口を酸っぱくして言ってたことは、「一生懸命勉強して立派な大人になりなさい。」ということで、勉強して良い高校へ行くことが、良い大学へ行くことに繋がり、それが良い会社へ入ったり、医者や弁護士になれるということで、立派な大人になるということは、そういうことだと言われていました。
どうして先生や親たちがそういうことを言っていたかというと、当時30代以上の大人たちは、皆さん戦争経験者で、戦後の苦しい時代を生き抜いてきた人たちで、田舎では食べられないから都会へ出てきて、理不尽な思いをしたり、さんざん苦労したりして何とか生きている人が多かったので、日本の国が良くなってきたのを見て、そういう大人たちは、皆、自分の子供たちには同じような苦労をさせたくないという気持ちで、自分たちができなかった上級学校へ行くということの夢を、社会全体が子供たちに託したのだと思います。
それまでの日本にはびこっていた階級意識、例えば小作農と自作農であるとか、勤め人と職人であるとか、大家と店子であるとか、そういう社会の構造に影響されることなく、子供たちにはできるだけ苦労をさせない生き方をすることを求めたわけで、それが、簡単に言えば、「一生懸命勉強して、良い大学へ行って、良い会社へ入ること。」だったわけで、大学入試はもちろんですが、会社にもランキングのようなものがあって、勉強ができる優秀な学生たちは、皆、ランキング上位の会社に入って行きました。
どんな所へ就職したのかというと、民間企業でいえば、当時の大学生の就職ランキングは日本航空と東京海上が常に一位二位を争っていましたし、公務員の就職ということでいえば、国家公務員の上級試験を受けて役人になるというのが、一番優秀な学生が進む道でした。
30数年前になりますが、当時を思い出すと、私たちの時代もやはり就職は厳しかったと思います。それでも経済のパイが膨らんでいく時代でしたから、だいたいどの学生も収まるところに収まっていきましたが、一流企業、有名企業と言われるところは、T・W・Kといった大学の学生の独壇場で、偏差値が劣る二流、三流の大学の学生は、縁故でもなければ希望する会社へ入ることは至難の技でした。
これが、昭和30年代生まれの、だいたい私の前後5~8年ぐらいの世代、今の年でいうと40代後半から60ちょっとぐらいの人たちじゃないかと思います。
では、その前の昭和20年代前半生まれかそれ以前の人たちはどうなのでしょうか。
私よりも10歳~20歳ぐらい年上の人たちのことで、団塊の世代の人たちもこの範疇に含まれますが、人数が多かった分だけ競争は大変だったと思いますが、世の中がまだ混とんとしていて、偏差値のような物差しが完成する前の世代ですから、勉強だけじゃなくても、いろいろなところにチャンスがあったのではないかと思います。
私の上司で、私のことをたいへんかわいがってくれた人は、実は学生運動をさんざんやって、棒切れを持ってK察に立ち向かっていくような集団のボスをやっていたような人ですが、そういう人は日本の会社にはなかなか入れませんでしたが、オリンピック後の高度経済成長の好景気に支えられて、拡大する日本経済の中で、外資系の会社にうまく潜り込んで、そこで持ち前のリーダーシップを発揮して上まで登りつめた人でした。
私より一回り以上上の世代の皆様方は、学力というものさし以外でも、「生きていく力」があれば、いろいろとチャレンジできた時代だったと思います。
それでは、私よりの下の世代、今の40代半ばぐらいから30代半ばぐらいの人たちはどうかというと、ちょうど社会人になるころにバブル崩壊後の厳しい世の中にさらされて、偏差値主義の先輩たちがせっかく頑張って入った会社が、その人たちには何の罪もないのに傾いたり倒産する姿を見て、「一流企業へ入ることがイコール良い人生である」などとは思ってもいないでしょうし、それよりも下の世代、今30代前半以下の皆さんは、大変厳しい就職戦争に巻き込まれて、偏差値世代である親の世代の価値観などまったく通じない世の中を渡り歩かなければならなくなりましたから、当然物事の考え方や人生観そのものも、偏差値世代の考え方とは違っていて、いうなれば人生観や幸せの尺度を測る物差しをいくつも持っている世代だというのが私の分析です。
私が30代になったころにはバブル経済が崩壊し、今までの価値観が全くひっくり返されましたし、一流企業の入社試験でも、履歴書に出身大学名を記入させないなんていうところも出てきたのを、当時は新鮮な驚きで見ていたことを思い出します。
では、年代別にそれぞれどういう人生を歩んできたかというお話をしますと、これはあくまでも学校である程度優秀な成績を取ってきた人の話ですが、まず私よりも上の、今60代以上の人たちの時代は、日本がまだ発展途上国で、国民が食べていくことがままならない時代が残っていました。
つまり、どんなに優秀な成績でも、家が貧しいから大学はおろか高校へも行くことができないという人がたくさんいましたし、長男だから家を継がなければならないという理由で、優秀な成績でも東京の大学へ行くことができない人が、田舎にはたくさんいました。
私の父の同級生で鴨川の漁協や農協に勤めていたおじさんたちがいましたが、故郷に帰って同級生に会うとき、父はいつも、「このおじさんは、とても優秀だったんだ。国語の教科書なんか全部暗記していたんだぞ。」などと、私に紹介してくれましたし、そのおじさんも、「お前のお父さんは次男坊だから東京へ行かれて良かったよなあ。」などと、半分からかいながら話していたのを記憶しています。
そういう家庭の事情でどんなに優秀でも東京の大学へ行くことができなかった人たちの中には、弟たちがどんどん都会へ出て行って、会社に入って月給取りになっていくのを見て、心の中は穏やかではない人たちがたくさんいましたし、東京で就職した弟が、マイカーでこれ見よがしに帰省する姿を見て、兄弟げんかが始まるなど、長男だから貧乏くじを引いたと思っていたり、貧乏な家に生まれた自分の境遇をあきらめなければならなかった人たちが多かったのが、今の60代以上の世代です。
それが昭和30年代生まれの私たちの世代になると、交通も発達し、田舎と都会の行き来も容易になりましたし、農業に凋落の兆しが見え始める時代でもあり、反面工業化などで田舎の経済も良くなりましたから、長男と言えども優秀な人間は東京の大学へ行く人が増えてきましたし、一旦東京へ出て就職し、社会勉強を積んでから実家に戻って稼業の後を継ぐなどというのも普通の光景になりました。
これが私よりも下の40代半ば以下の若い人たちになるとどうかと言えば、都会へ行ったところで所詮大した仕事にありつけるわけでもなく、物価高や住宅ローンなどに追われることを考えたら、田舎に残っていた方が有利だし、いくら田舎と言っても生活のレベルは都会と同じか、かえって都会よりも良い生活ができる時代になりましたから、「東京はときどき遊びに行くところ。」と考えて、毎日の生活は田舎でのんびりとする方が幸せであるという考えの人が増えてきましたし、東京育ちの人間でも、あえて都会では就職せずに、Iターンと呼ばれるような、わざわざ都会から田舎に来て生活をする人も増えてきたんですね。
だから、偏差値世代の私から見たら、最近の若い人たちは面白いし、とても可能性があると考えるわけです。
(つづく)