信楽高原鉄道

少し前になりますが、今月の初めに信楽(しがらき)高原鉄道へ出かけてきました。
信楽高原鉄道は、いすみ鉄道と同じ旧国鉄のローカル線を引き継いだ第3セクター鉄道で、全長14km余りの小さな鉄道です。
国鉄時代のローカル線で第3セクター化されたところは、昭和の時代にC11やC12などの比較的小型の蒸気機関車が走っていたような路線が多いのですが、その中で信楽高原鉄道の前身の国鉄信楽線は、C58という急行列車も引いていたようなテンダー機関車が使われていたほど輸送量が多かったのが特徴で、焼き物の町信楽は、昭和の時代にはそれだけ繁栄していたことが走っていた機関車の形式からもわかるというものです。
さて、その信楽高原鉄道ですが、2013年9月15日の大雨て鉄橋が流されたり路盤が崩れたりと大きな被害を受けて、列車が走れなくなりました。
一時は廃線の危機にありましたが、地元自治体や国交省が前例にないような大きな支援をしてくれたおかげで、昨年11月29日に運転再開することができたのです。
宮崎県の高千穂鉄道のように水害や災害で、昨日まで走っていたローカル線が突然走れなくなって、そのまま廃止されてしまうのがローカル線としては一番切ないところで、会社に体力がありませんから如何ともしがたいのですが、信楽高原鉄道は見事復活することができましたので、とてもうれしく思うのです。
私は運休中の昨年1月初旬に信楽高原鉄道を訪ねまして、地元の皆様といろいろお話をさせていただきましたが、その時に見た錆びた線路にとても悲しい思いをしました。でも、信楽高原鉄道の幹部の皆様は、その時点で「何とか年内には復活させたい。」という強い意志を持っていらっしゃいましたし、それがその通りに実現したのですから、「おめでとうございます。」の挨拶を兼ねて、今回お邪魔させていただきました。

[:up:] 昨年の1月。線路が被害を受けて走れなくなった車両が始発駅の貴生川構内に取り残されていました。


[:up:] 終点の信楽駅。線路は錆びて列車はいません。駅前には代行バスがたくさん停まっていました。

[:up:] 橋げたが流された鉄橋です。
こういう状態だったんですが、橋は懸けなおされて、線路もきちんと治っていました。[:down:]

嬉しかったですよ。
去年、線路が赤錆びていた同じ場所に列車が走っているのですから。


[:up:] 上が去年1月の錆びた線路。下は今回列車で通った同じ場所。


駅には地元の皆様方への感謝の言葉が掲げられていました。




この日乗車した車両は地元の陶芸の森で開催される「リサ・ラーソン展」とタイアップした車両。外観も車内も楽しい飾りでいっぱいでした。


ところで、信楽といえばタヌキの焼き物で有名ですが、駅にもたくさんタヌキがいますよ。
何でこんなにタヌキの置物で有名になったのかというと、昔、昭和天皇がお召列車で信楽にいらした時に、町の人たちは人口が少なくてはさみしいからと、タヌキの置物を沿線にたくさん置いて日の丸を持たせて天皇陛下をお迎えしたことがきっかけだということです。
なかなか面白い気質の皆様が住んでいる町じゃないでしょうか。
ちなみに、信楽焼きのタヌキの置物が一杯飲み屋の前にたいてい置かれていますが、どうしてかお分かりでしょうか。
タヌキの置物をよくご覧ください。
「当店はツケはできませんよ」という意味ですよ。
つまり、「前金でお願いします。」ということなのです。
おあとがよろしいようで。
今夜はこのへんで。