新幹線開業50周年

今日10月1日は昭和39年(1964年)に東京-新大阪間で東海道新幹線が開業してから50年です。
50年と言えば半世紀。おぎゃ~と生まれた赤ん坊が50歳ですから、東海道新幹線はもはや「新」幹線と呼べるかどうかというと、???が付きますが、幹線である東海道本線に対して新しい幹線ですよという意味での新幹線ではなくて、すでに「しんかんせん」という呼び名が固有名詞になっているほど国民に定着していますし、国民ばかりでなく、外国人にも「Shinkansen」はすでに日本を代表する看板列車として定着していますから、50年を経過しても「新」が付いていていいのだと思います。
新幹線が開業した昭和39年に私は4歳でしたが、おぼろげに当時の状況を記憶しています。
当時は新幹線という呼び名よりも「夢の超特急」と呼ばれていて、世の中はオリンピックと新幹線で話題が沸騰していたようです。
私のところにも新幹線のブリキのおもちゃが2つに、プラレールの新幹線のセットがありましたが、電車好きの私に、親戚の人たちが来る度におもちゃを買ってきてくれたんです。
当時はまだ物が行き渡る前でしたので、4歳の子供が新幹線のブリキのおもちゃを2つも持っているなど考えられないことだと思いますが、それだけ、世の中が新幹線一色だったんですね。
家の中を探してみたら、1984年に新幹線が20周年を迎えた時の東京駅の記念入場券が出てきました。

当時の私は24歳ですでに子持ち。
まだ言葉もわからないような息子を連れて、東京駅に新幹線を見に行ったときに買ったものです。
お金がないので子供が「乗りたいよ~」と言っても「今日は見るだけ。」とホームで電車を見せてあげるだけでしたが、当時は0系が幅を利かせる中、時おり100系のグランドひかりが堂々とした風格で発着していました。食堂車も健在でしたが、生活に追われていたため、食堂車どころか、新幹線に乗せてあげることもできなかったわけです。ただ、当時の国鉄が増収に躍起になっていて、クルクル回転する入場券を作って販売していたので、300円出して買ったものです。
(中段右側の「東京駅」と書かれているところが窓になっていて、裏に当ててある台紙を回転させると数種類の絵柄が出るタイプです。)
10月1日の記念入場券ですが、10月20日までの有効期間とは何とも短いものですが、入場券などはサービスを提供するためにコストはかからないわけですから、半年や1年有効期間を設定したって損はないのに、短めに設定してあるところが今思えば国鉄商法ですね。きっと、全部売り切れる前に有効期限が来てしまい、大量に在庫が残ることなど想定していなかったのでしょう。必死になって売っていた記憶があります。

さて、こちらはさらにさかのぼること10年。開業10周年時の1974年10月のポケット時刻表です。
当時は駅の窓口付近に「ご自由にお持ちください。」と折り畳み式時刻表が置いてあって、中学2年生だった私は毎月新しいのが出ると、塾の帰りにいただいてきていたのですが、1974年のこの時は開業10周年を祝う文言など一切書かれていません。今思えば不思議ですが、高度経済成長で日本全体がイケイケだった頃は、後ろを振り返る余裕などなかったのかもしれません。
列車は「ひかり」と「こだま」だけで、終点は岡山でしたが、岡山から接続する特急列車がその下の段に記載されています。九州方面へ向かう「しおじ」「なは」「日向」「玄海」「安芸」「つくし」などの列車名も懐かしいですね。
東京から新大阪までの所要時間は「ひかり」で3時間10分。名古屋までは2時間1分かかっています。
今、「のぞみ」に乗れば名古屋までは品川と新横浜に停まっても最速列車で1時間36分ですから、ずいぶん時間短縮していることがわかります。
先日も名古屋に出張しましたが、1時間40分はそれほど長く感じませんが、新大阪までの2時間半はどうも長く感じますから、東京―大阪間の移動には私はついつい飛行機を選択してしまいます。そう考えると、リニアが必要なのは東京―名古屋間ではなくて、東京―大阪間であることは誰もが理解できると思うのですが、名古屋を中心にものを考えている会社は、とにかく、何が何でも、とりあえず名古屋なんでしょうね。
今年もこの会社だけはクルービズをやらず、電力を使い放題の感がありましたが、その唯我独尊性が何とも名古屋の会社らしいと言えなくもないような気がします。
新幹線開業60周年、70周年の時には世の中がどのように変わっているか、その時私は見ることができるかわかりませんが、東京生まれ、東京育ちの東京少年のなれの果てとしては、とにかく楽しみなのであります。
東海道新幹線開業50周年。おめでとうございました。