代々木公園でデング熱の感染が広まって、最初の報道では70年ぶりに1人だった感染者が、次から次へと現われて20名近くになったということです。
デング熱は、薬を飲んで安静にしていればほとんどの人が快方に向かう病気のようですから、もしかしたらただの風邪と診断されて、普通に薬を飲んで治ってしまっている人が過去にもたくさんいたのかもしれませんし、今回も最初の患者が報告されてから、各医療機関で、どうも怪しいという目で診察するようになったことで、芋づる式に患者数が増えていったような気がします。
命にかかわる病気だったり、明らかに伝染病とわかるような症状でない限り、意外なものが蔓延している可能性があるのではないでしょうか。
このニュースで、私が危険だと思ったのは、代々木公園のような東京の中心地で、誰もが入れる場所で、たまたまある病気に感染している人が知ってか知らずか訪れて、それが動物や微生物が媒介する病気だとしたら、意外に簡単に首都を混乱に陥れる可能性があるのではないかということで、成田空港に勤務していた時代の検疫所の友人が、水際作戦の重要さをしきりに力説していたことを思い出しますが、だとしたら、今のように交通が発達している時代には、いつどこでどんな病気が飛び火するかということは、解らないということです。
例えば、アフリカで流行っている病気は決して対岸の火事などではなくて、アフリカには多数の中国人労働者が出稼ぎに行っていますから、お隣の国の問題として考えなければいけないこと。つまり、国家の危機管理に直結するのではないでしょうか。
私が、代々木公園と聞いて思い出すのは、実は他の病気のことなんです。
私たち東京生まれ、東京育ちの人間にとっては、代々木公園はとても身近な存在で、中学生や高校生の時など、友達同士でボールを持ってよく遊びに行きました。なかなか都内であれほどの開放的な空間があるのは40年近く前の当時でも珍しかったんですが、私たちが代々木公園に遊びに行くというと、近所の年寄りたちは口をそろえて、気を付けなさいと言うのです。
なぜだろうと思って聞いてみると、代々木公園は以前は陸軍の練兵場で、馬がたくさんいたところだから、地中に破傷風菌が潜んでいる可能性がある。だから、裸足になったり、転んで怪我をするようなことはやってはいけないというのです。
俄かには信じられませんでしたが、周りの大人たちが口をそろえて言うことですから、私たちも用心しようと思ったものです。
確か、誰か作家の先生が、そのことを題材に小説を書いて、その小説を読んだような気もするのですが、今回、代々木公園から病気が広がったニュースを聞いて、東京出身のおじさんとしては、「そんなこともあったなあ。」と思い出した次第です。
もっとも、最近では土壌改良の技術も進んでますから、東京都だってきちんと地質管理をしているということは間違いないと思います。
余計なことを言うと、社会を混乱させるなどと言われてはかないませんから、誤解のないようにお願いしたいのですが、40年も前は、代々木公園と言うところはそういうところだと、まことしやかに東京の大人たちは話をしていて、そういう話をしていた当時の大人たちは、皆、戦前派や大正生まれの人たちばかりで、戦前の事情をよく知っていた人たちだったということは事実なのであります。
そのときから40年も経過すると、明治生まれはもとより、大正生まれの皆さんも活動期を終えてひっそりとしてしまいましたが、そう考えると「昭和は遠くなりにけり。」と言われる時ももうすぐやってくるんですね。
両国から出ていたC57の列車の話など知っている人も少数派になってきましたから、今のうちに、話を聞ける人にいろいろな話を聞いておきたいと思っております。
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