昨日は午前中、白子町役場で講演をさせていただきました。
その後、京成電鉄の宗吾参道に行きました。
実は、台湾唯一の鉄道高等学校である桃園県の清華高級中学校の先生方が、友好校である東京の岩倉高校の先生方と一緒に京成電鉄の車両基地と研修所を見学されるということで、同じ千葉県の鉄道会社の社長で、台湾の鉄道とも関係が深く、京成沿線に住んでいる私にも声がかかり、ご一緒させていただいたのです。
[:up:] 京成電鉄研修所での記念撮影。
理事長の范姜文政先生(左)と陳光増校長先生。
なぜこんなところで記念写真かと言うと、
[:up:] 京成電鉄の皆さんが、こんな歓迎の表示を入口に出していてくれたからです。
こういうことって、とても喜ばれるんですね。
[:up:] 車両工場では田中工場長さんから説明を受けます。
[:up:] スカイライナーの前で皆で記念写真。
[:up:] 最年長の范姜文政理事長先生。
御年81歳です。
「先生、昭和9年ですか?」とお聞きしたら、「そうです。私は小学校4年生まで日本の学校教育を受けました。」と流ちょうな日本語でお答えになられました。
「最近の日本語は外来語が多くて、よくわからない言葉だらけです。」ともおっしゃられました。
車で宗吾参道の駅までお送りするときに、「シートベルトを締めてください。」と申し上げたところ、反応がありません。
あっ、そうか、外来語だ。
そう思って、「先生、安全帯をお願いします。」と言いましたら、「はい、わかりました。」とお答えいただきました。
台湾の鉄道は日本が作ったもので、今でもとても勉強になると、今回の見学をたいへんお喜びになられました。
[:up:] 構内に並ぶ3500系2態。
個人的には未更新の顔が好きですね。
「社長、お帰りにならないでください。この後、良いですよね。」
とお声をかけていただき、見学会終了後、台湾の皆様をお送りしてから、勝田台まで出てきて京成電鉄の皆様方と懇親会です。
京成電鉄の皆様方は、すでに2回、いすみ鉄道のキハ52を貸切運転していただいていますが、皆さん電車がお好きな方ばかり。
私も、京成沿線に住んで30年以上経ちますが、千葉県と京成電車大好き人間ですので、お互いに会話が弾み、終電近くまで盛り上がりました。
昨日のブログで、とても楽しいことで疲労困憊。でも、たくさんの友達ができましたとは、このことでございます。
京成電鉄は、むかしからとても意欲的な会社で、日本で初めてテレビカーを走らせて、日本で初めて通勤ライナーを走らせて、日本で初めてビール列車を走らせたのを皆さんご存知ですか?
いつのことかって?
昭和29年ですよ。
日本でテレビ放送が始まった年にテレビカーを走らせたんです。
並走する国鉄では蒸気機関車がモクモク煙を吐いて走っているときに、京成沿線の通勤客は、ビールを飲みながら、テレビでナイターやプロレスを見て、着席しながら家に帰っていたんです。
すごい話ですよね。
運輸省に反対されながらも、自力で成田空港まで線路を伸ばし、現在の東成田駅までしか乗入れさせてもらえずに、苦い思いをしながら、それでもがんばって今では成田空港まで38分ですから、そのあたりの経緯を全部みてきた私としてはとても痛快で、そういうところが大好きなんです。
彼らが、これからその社風を引き継いで、千葉の交通に貢献してくれることを期待したいと思います。
京成電鉄の皆さん、ありがとうございました。
と、この文章を書いている私の頭の中では京成電鉄のテーマソング、「ぐんぐん京成」が流れています。
ぐんぐん京成?
皆さん、知らないでしょう?
昭和40年代にテレビやラジオで流れていた京成電車のテーマソングです。
2006年に私が制作したパシナ倶楽部のDVDに収録されている動画がありますので、ご覧ください。
「ぐんぐん京成」
今度、この「ぐんぐん京成」を歌える人だけで飲み会をやりましょうか?
カラオケに入らないかなあ。
私の映像を使ってもかまいませんので、カラオケの会社のご担当の方、ぜひお願いいたします。
ちなみに、歌詞は
ぐんぐんけいせい、ずんずんけいせい・・・ ですのでお間違いのないように。
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