日中は列車が走らない「日中線」

昭和の時刻表の話は皆様方に大好評をいただいておりますが、今日は日中時間帯に列車が走らない「日中線」のお話です。
すでに廃止されて30年もの年月が流れていますので、日中線という路線は名前さえも忘れ去られてしまったと思いますが、私が中学生のころは、東京から一番近いSL路線として、小海線と共にとても人気があるのが会津若松を中心とした只見線、会津線(現会津鉄道)、日中線でした。
その中でも日中線は全部の列車が蒸気機関車が引く列車で、会津線、只見線は貨物列車でしたが、日中線は旅客列車が走る、つまりSLの引く列車に乗れるということで、東京の鉄道少年には憧れの路線でした。

1973年(昭和48年)5月号のJTB時刻表から(画面をクリックすると拡大します。)
日中線の時刻表です。(上は赤谷線)
この時刻表をご覧いただくと、日中線は1日に3往復しか列車がないことがわかります。
朝1本、夕方から夜にかけて2本のわずか3往復で、これが「日中に列車が走らない日中線」と悪口を言われた理由ですが、列車番号を見ればお分かりいただけるように、Dがなくて数字だけですから、機関車が引く列車ということになります。
東京の中学生だった私には、1日3本しか列車がなくて、それも全部C11が引く列車という日中線は、ちょっと想像できないようなローカル線で、憧れの対象だったわけです。
もう少しよくこの時刻表を見てみましょう。
早朝5:14に会津若松を出た621列車は喜多方までは磐越西線を走り、喜多方から日中線に入ります。
2つ目の上三宮を6:26に出て、次の会津加納は6:40発。この区間で14分を要しています。夕方の623列車も同様に上三宮を出てから会津加納を出るまでに14分かかりますが、最終の625列車は9分しかかかっていません。
これはなぜかと言うと、この会津加納駅では貨物扱いが行われていて、会津加納に着いた列車は5分間停車して貨物の積み下ろしを行っていたようです。日中線の列車は客車と貨車が1つになった混合列車というタイプの列車で、だからディーゼルカーじゃなくて、機関車が引く列車だったということなんです。
同様に、上りの3つの列車も会津加納でたっぷり時間を取っていることから貨物の取り扱いや入換をしていたことがわかりますが、それにしてもわずか3キロちょっとの区間で下り列車は9分もかかっていたんですから、のんびりとしていたものです。

会津若松を朝5:14に出る日中線の621列車に乗るためには、会津若松の駅前に泊まるのではなく、実際には上野からの夜行列車に乗っていくのが便利で、上野を23:50に出る急行「ばんだい5号」に乗ると翌朝5:10に会津若松着。4分の接続でこの日中線の621列車に間に合います。
「ばんたい5号」は季節運転の列車ですが、ふだんはどうするかと言うと、定期列車の「ばんだい6号」で23:54に上野を出て5:27に会津若松着。621列車はその13分前に会津若松を出てしまってますが、5分の接続で新潟行の磐越西線221Dに乗ると、喜多方で日中線の621列車に余裕で接続していたということです。

上野から会津若松まで夜行列車が出ていたというのも驚きですが、この「ばんだい6号」は仙台行の「あづま2号」と郡山まで連結されて走っていましたから、上野―仙台間でも夜行列車の需要があったことがわかります。交直両用電車の座席夜行ですが、編成にビュッフェマークがあるところを見ると、東北本線でも昼間の急行列車ではビュッフェの営業が行われていたということがわかりますね。
今なら新幹線やマイカーですが、東北新幹線開業前で、高速バス、飛行機が一般化される前の、在来線全盛期の古き良き時代ということですね。
日中線はこの時刻表の翌年、1974年にSLが廃止されディーゼル機関車の牽引になりましたが、1984年に線路そのものが廃止されるまで、客車での運行が続きました。
1973年当時は、日中線と同じように、1日に蒸気機関車が引く列車しか走らないという路線が他にもありましたので、明日はそのお話をしたいと思います。
(つづく)