米坂線 今泉駅

先日、台風の大雨で被害が出た山形鉄道を視察に行ったときに、今泉の駅に立ち寄ってみました。
今泉駅は米坂線と山形鉄道が合流する駅で、旧国鉄のローカル線の駅の雰囲気を今に伝えるとても良い感じの駅ですが、この大雨で米坂線にも大きな被害が出て、山形鉄道も米坂線も列車が走ってなく、さみしい感じがしました。
そんな昼下がりの今泉駅です。





誰もいない駅。大雨で線路に被害を受けた米坂線の運休を伝える掲示板。
ホームにも人影はありません。
駅前には代行バスがひっそりと停車していました。

この今泉駅で思い出すのは、宮脇俊三さんが書かれた「時刻表昭和史」だったと思いますが、昭和20年8月15日の玉音放送を、宮脇さんはこの今泉の駅前広場で聞いたということです。
今から69年も前の暑い夏の日に、宮脇さんはここ今泉駅のこの場所に立っていたんですね。
おそらくこの駅は、今も当時とほとんど変わらない姿で、昔に比べると利用者は減ったとはいうものの、今でもしっかり町の玄関口になっているのだと思います。
台風一過で一気に気温が上がった今泉駅に立ってみて、なんとなくそんなことを思い出しました。
そしてもう一つ、米坂線と言えば、私以上の世代の方々は、すぐに思い浮かべるのは9600(キューロク)ですね。
米坂線は山形県の米沢と新潟県の坂町を結ぶ路線で、長い峠越えがあり、冬は豪雪地帯であることから、力持ちのキューロクが活躍していて、私が小学校6年生のころですが、大正生まれのこの機関車が、時速40キロぐらいのスピードで、「ナンダサカ、コンナサカ」と、貨物列車や旅客列車の先頭に立って、力強い姿を見せていました。



交換駅で貨物の取り扱いも行われていたころの手ノ子駅(1972年)
その米坂線の再現とも入れるのが、今のいすみ鉄道の2両編成のキハであることは、皆様ならご理解いただけると思いますが、私にとっての米坂線は思い出のある大切な路線だということです。
1日も早い復旧を望んでいます。