100年前の鉄道ブーム


先週は内房線100周年記念で千葉にSLが走り、大賑わいでした。
1912年に内房線が開通してから100年。
明治45年(大正元年)から100年です。
久留里線の開業も同じ年。
そして何を隠そういすみ鉄道の前身である国鉄木原線のそのまた前身の「夷隅人車軌道」が大原から大多喜まで開業したのも1912年12月のことですから、今年で100年なのです。
日本の鉄道は1872年(明治5年)に新橋―横浜間が開業してから今年で140年ですが、ということは、日本で初めて鉄道が走ってからわずか40年の間に房総半島の山の中にまで鉄道が敷かれたということになります。
総武本線や成田線はその10年以上前に開業していますから、100年前には次々と鉄道が建設される「大鉄道ブーム」があったことになりますね。
1899年(明治32年)には外房線はすでに大原まで開通し、1913年(大正2年)に勝浦まで延伸開業していますので、大原駅は14年もの間、終着駅だったことがわかります。その間に大多喜まで人車軌道としていすみ鉄道の先祖が走り始めたのですから、大原は鉄道の街としてかなり栄えていたことになります。
私が子供のころ、勝浦のおばあちゃんが「大原までは汽車が通っていたけれど、大原から勝浦や鴨川方面へは汽船が各港に寄って人や荷物を運んでいた。」と話してくれたことを覚えていますから、大原は物資の集散地としてもにぎわっていたことでしょう。
夷隅人車軌道は千葉県営の人車軌道として建設されました。当時の夷隅地方の行政の中心地は大多喜でしたから、その大多喜へ向かう人車軌道は千葉県も力を入れていたのです。
人車軌道ですから動力は人力。線路の上のトロッコを人夫が押す(おっぺす:いすみの方言)人力鉄道でしたが、県営鉄道ですから人夫は千葉県の職員でした。
面白いですね。
千葉県以外に目を向けると、東京都の都電は去年100年を迎えましたし、四国の琴電も100年。京都から出る山陰本線も100年。九州の日豊本線が大分まで開業してからも100年です。
そういう状況を見ると、100年前は千葉県はもとより全国各地で鉄道ブームだったことがわかります。
今回、内房線100周年号が運転されたということは、それだけ深~い意味があると思っているのは、私だけでしょうかね。
大原も大多喜も、地元は相変わらずし~んとしていますから。
こんなことを言うと、また「あいつはけしからん!」って言われるかもしれないけど、し~んとしているのは事実ですから。そうじゃないというのなら、よそ者に言われる前に、自分たちで何かやってみたらいいんですよ。と私は思います。さあて、何ができるかなあ。
こうやってけしかけることも地域活性化には必要なのです。(笑)
参考資料はこちらをご確認ください。
私の「お友達」の佐藤信之先生もこの人車軌道について研究されています。
ちなみに人車軌道はその後ガソリンカーに動力を変更しました。
当時、蒸気機関車が当たり前の時代に客車に動力を積んだガソリンカーを走らせたのは日本でも1~2を争う早さです。
(当時の)千葉の人たちは、最新技術をどんどん取り入れて自分たちのものにしていく気鋭に満ちていたのです。

いつもはいすみ鉄道の列車に向かって手を振ってくれる応援団の皆様方が、汽車の窓から顔を出すと、沿線の皆さんが手を振ってくれる。
ほんの些細なことですが、汽車に手を振る、手を振られるということが、「とても良いこと」であると実感していただけたことだと思います。
団長、フェースブックから写真借りたよ!