時代が後からついてくる。

あるとき、小湊鉄道の石川社長さんがこうおっしゃいました。
「今、時代がやっと小湊鉄道に追い着いてきたと思います。」
小湊鉄道は古い車両、古い鉄道設備で営業しています。
これは、昭和40年代から変わることなく、一貫して地道に列車を走らせているということです。
時代だけがどんどん先に進んでいるように見えて、「小湊鉄道は古いなあ。」とみんなから言われてきていたようですが、最近になって、ローカル線が見直されるようになって、小湊鉄道は首都圏で「行ってみたい、乗ってみたいローカル線」のNO.1として取り上げられるようになって、みなさんから注目を集めるようになってきましたが、実は、小湊鉄道自身は何も変わってないんです。
昔からのポリシーで、一生懸命鉄道を走らせて維持している。
変わったのは時代の方なんですね。
近代化云々と、一見すると世の中の方がどんどん先に進んでいくように見えるかもしれないけれど、実はそうではなくて、小湊鉄道の経営ポリシーは不変なんですね。そして、時代がやっとそれに気づいてきた。
だから、社長さんは、「時代がやっと小湊鉄道に追い着いてきた。」とおっしゃったのです。
私は名言だと思います。
この間、いすみ鉄道ファンで都内からいつもいすみ鉄道を応援してくれているH君が、Nゲージの鉄道模型で72・73系のチョコレート色した旧型国電を買ったと教えてくれました。
まだ20代前半のH君は旧型国電どころか、国鉄時代すら知らないと思いますが、そういう彼にも昭和の旧型国電の味わい深さがわかるんだ。
私はそう思ってうれしくなりましたが、このチョコレート色の電車は昭和20年代から製造されて、東京や大阪を中心とした大都市圏で通勤、通学輸送に使われましたので、50歳以上の人たちでしたら記憶にあるかもしれません。
東京の今のJR線のほとんどがチョコレート電車でしたから、私は子供のころからこの電車が大好きで、写真を撮ったり本を読んだりしていました。
中学生ぐらいの時に確か「鉄道ピクトリアル」だったかで読んだ記憶ですからはっきりしませんが、昭和20年代当時は輸送需要が旺盛で、とにかく車両が足らない。でも、予算がなくてなかなか増備できないという時代だったようで、国鉄では車両のやりくりが大変だったらしいのですが、そんなあるとき、車両の設計者が、新製する電車の車内に蛍光灯を取り付けたらしいんです。

[:up:] 初めて車内に蛍光灯が付けられたチョコレート電車。
電化当初の1972年、上総興津
当時は蛍光灯は高級品で、白熱灯と呼ばれる電球が一般的でしたので、車内は薄暗い感じがしていました。夜の電車は都会でも薄暗いのが当たり前だったんですが、車内は明るい方が良いし、蛍光灯の方が使用電力も小さいし、数も少なくて済むなど、いろいろな理由から設計者が新車に蛍光灯を取り付けたらしいんです。
そうしたら、国鉄の幹部の人が激怒したんです。
「お前、税金で製造した車両に蛍光灯のようなぜいたく品を取り付けるとは何事だ!」と言って。
まあ、当時は国鉄ですから、つまりすべて税金で運営していたわけで、そういう点では今の役所と同じですね。
だから、蛍光灯は無駄遣いだという考え方が幹部にあったようです。
だから設計者は上司からコンコンとお説教されたらしい。
でも、その電車がデビューして、実際に走り始めると、車内は明るいし清潔感があって、利用者から大人気になって、そのことがきっかけになって、それ以降製造される国鉄電車は、どの車両も蛍光灯が標準的に設備されるようになったんです。
若い設計者の「良い物をつくろう。」という考えに時代が後からついてきたんですね。
私の義父は大蔵省(今の財務省)を勤め上げた人なんですが、そういう勤務ではやたら転勤があったようで、私の家内も幼稚園のころから4~5回引っ越しを軽軽していますが、行った先ではだいたい官舎に入るのがふつうのようです。
あるとき、それまで木造だった官舎が鉄筋の建物に建て替えられることになりました。
今から50年ぐらい前の日本は団地ブームというのがあって、4~5階建ての公営住宅がたくさん作られていたんですが、公務員の官舎も木造から鉄筋の団地にしようとなったわけです。
完成して大蔵省の担当の人が完成検査に訪れたときのことですが、お風呂場を見て、その検査官は激怒したそうです。
なぜならば、お風呂場には当時ガスのバランス型という風呂釜が標準設備だったのですが、新しく建てたの官舎の風呂釜にはシャワーがついていたんです。
大蔵省の検査官は、そのシャワーに激怒したんですね。
「シャワーなんて贅沢なものを何で付けるんだ。」
ということで。
昔の人なら経験がおありでしょうが、当時のお風呂は浴槽からお湯を桶で汲んでそれで体や頭を洗っていましたし、上がり湯はお釜の脇の方にためてあって、出るときはそれを使っていました。
今は蛇口をひねるとお湯が出るのが当たり前ですが、瞬間湯沸かし器など一般的でない時代は、大型ボイラー設備があるところ以外では蛇口からお湯が出るなんてあり得なかったんです。
そんな時ですから、シャワーなんて贅沢品なんですね。
設計者がなぜ新築の官舎にシャワー付きの風呂釜を設置したのかはわかりませんが、おそらくメーカーから「新製品をお試しください。」なんて言われてキャンペーン価格で提供を受けて、同じ予算内ならばこちらの方が良いだろうとでも思ったのかもしれませんが、それが大蔵省の担当検査官の激怒につながったのです。
「お前、税金で作っているのに、なぜシャワーなんて贅沢なものをつけるんだ!」と。
ところが、これが入居者には大好評だったらしく、官舎ですからいろいろな立場の人が住むわけで、上の立場の人が「なかなか好いじゃないか。」と高い評価をくれたんです。
そして、そういう官舎を建てたのは大蔵省ですから、予算の元締めである大蔵省がシャワー付きのお風呂場がある官舎を建てたということになれば、ほかの省庁だって「うちもそうしよう。」となるわけで、日本中の公務員住宅にシャワー付き風呂場という「最低限度の文化的生活」が普及していったんですね。
ここでも時代が後からついてきているんです。
国の担当官などと言う人たちは、自分に与えられた仕事だけきっちりやってさえいれば、担当以外のことは「私の管轄ではありませんから。」と平気で言うような人たちで、そういう人たちは将来を見据えて物事をトータルに考えることができない人たちなんですから、彼らでは世の中を変えることはできないんですね。
世の中がどんどん変化している時代に、偉そうな顔をしている割には何も新しいことができない。
新しい時代というのは彼らには作り出すことができないというのは、今も昔も同じなんじゃないでしょうか。
さて、いすみ鉄道の話ですが、私が5年前に就任した時に、沿線地域に十分な人口が存在しないいすみ鉄道では、地域の人たちに鉄道乗車を呼びかけて利用促進を図る方法では、いすみ鉄道は再建できないと考えていました。
そこで、私は、地域鉄道を守るためには、土休日に観光客に乗りに来ていただくことで収入アップを図り、そのキャッシュフローで平日の地域輸送を存続させようという方針を立てました。
いわゆる「観光鉄道化」です。
ところが、この話を地元の実力者の皆様方にお話しすると、驚いたことに、こう言われたのです。
「観光? 観光なんて遊びだろう! 税金を使って、遊びのために鉄道を走らせるとは、いったいどういうことなんだ!」
こう、地元の実力者のおじいさんやおじさんたちは異口同音に言うのです。
「観光なんて遊びだろう!」
その言葉に私は開いた口がふさがりませんでした。
今の時代、観光は産業であり、観光客の誘致にいろいろな自治体が必死になっているというのに、わずか5年前の段階で、いすみ鉄道沿線の実力者の皆さんにはこの程度の認識しかなかったんですね。
「観光なんて遊びだろう。」
そういう考え方だから、房総半島は観光資源がたくさんあるにもかかわらず、すべて中途半端で、その中途半端の最たるものが海水浴場の海の家であり「民宿」だと私は思っているのですが、では、房総半島の人たちだけがダメなのかというと実はそうでもなくて、5年前に私が就任した時点でいすみ鉄道沿線の人たちはそういう常識だったんですが、日本の国が、観光政策が重要な産業であり、不景気の時代でも収入を得る道だと気付いたのがわずかこの10年ほどですから、国の方針として「観光を産業化する」ことや「外国人観光客を積極的に誘致する」ことなどは、つい最近始まったばかりなんですね。
だから、いすみ鉄道でキハ52を走らせよう、そうすれば観光客がたくさん来て、観光資源としてのローカル線という使い方を証明できます。と私が申し上げたときに、国交省で賛成してくれたのは上の方の幹部の方々だけで、現場の、鉄道の管理をしている人たちは皆さん渋い顔をして、現行の規則を無理やりあてはめてきて「できないようなハードル」を次から次に投げかけてきたんです。
「キハ52は昭和40年に製造された車両ですが、いすみ鉄道さんにとって見たら「新車」ですよね。だから「新車」に適用される規定(例えばバリアフリー化)をクリアしなければいけないんじゃないでしょうか」、などと一つ一つしらみつぶしのように今の規則に適応するかどうかの確認を求められたのです。
わざわざボロいキハを走らせるということは、国の方針である「近代化」に逆行するわけですから、彼らとしては「こいつ、何言ってるんだ?」となったのでしょうが、これがわずか4年前のことなんです。
電車に蛍光灯を付けた人間に激怒し、風呂釜にシャワーを取り付けた人間を叱り飛ばし、古いディーゼルカーを走らせようというローカル線に難癖をつけてハードルを課す。
50年経ってもこの国の管理者たちにはそういう体質があるわけですが、そういう人たちは自分たちには新しい時代を作ることはできないんだということを認識していただき、ハードルを課すのではなく、本来の業務である「サポートをする。」ということをしっかりとやっていただきたいと思うわけです。
公務員の立場にある人たちは、監督官庁であると同時にサポート業務を行うサービス業なんです。「あいつらはけしからん。」と目を光らせていることが本業ではないんですから。
今、小湊鉄道やいすみ鉄道が地域の観光資源として「何もない」房総半島の中房総地域の観光をリードしています。銚子電鉄も合わせると3つのローカル線が千葉県の観光をリードしているのです。
つまり、小湊鉄道やいすみ鉄道、銚子電鉄の後から時代がついてきているのは、今や誰の目にも明らかなんですね。
そして、国がやることは、その時代を追いかけることでしかないわけですから、少なくとも、私たちの行く道を、イバラの道から歩きやすい道にしていただくことが、この国の発展につながるということだけでもご理解いただけませんでしょうかねえ。
ゴールデンウィークにたくさんのお客様にいらしていただいて、どのローカル線もたくさんの笑顔を運びました。
こういうことも地域鉄道の新しい側面であって、ローカル線というものが完全に新しい時代をリードしている。
私はそう考えていますし、だからこそ今日も明日も頑張れるのです。
(つづく)