親が恥ずかしい年頃

ひと月ほど前のこと。
春休みで友達の家で夜更かしをしていた高校3年になる娘が、家に帰ってくるなり言いました。
「まったく、顔から火が出るほど恥ずかしかったわ。」
娘は近所の友達の家で、SMAPのテレビを見ていたそうです。
その番組が終わったすぐ後の「ハピネス」という番組に、いきなり自分の父親が登場しました。
「いすみ鉄道社長 鳥塚」とテロップが出て、あまりの突然の出来事で、娘も友達も目がテンになったらしいんです。
娘は私の仕事のことなど学校の友だちには一切話していなかったらしく、その友達の前でテレビに自分の父親がいきなり登場したもんだから、恥ずかしくてたまらなかったらしいんですね。
「鳥塚なんて名字はめったにないから、ごまかせなかった。」
と言ってました。
うちの近くでは、夜遅くなると友達の家や駅から親が車で送り迎えをするのがふつうなんですが、その時も、友達の家からむこうの親に車で送ってもらってきて、開口一番、「全く恥ずかしい。」と言うものですから、私は「親に送ってもらう分際で何を言うか。」とたしなめましたが、その娘の気持ちはわからないでもありません。
私が小学校の低学年だったころの話です。
近所にM君という電車が大好きな同級生がいて、そのM君の弟も電車好きだったので、私によくなついてくれて、一緒に遊んでいました。
M君のお父さんはどこかの証券会社の重役で、M君の家は板橋でも珍しいお屋敷だったんです。
いわゆる金持ちというやつですね。
私は、M君のうちでおやつの時間になるとお手伝いさんが出してくれるお菓子やジュースが、とても高級品で、その時間になるとなんだか居心地が悪い思いをしていました。
高級品といっても、カステラとか武田のプラッシーぐらいでしたから、今思えば大したことないんですが、昭和42~3年頃の話ですから、先日も書きましたが、世間の子供たちは粉のジュースを水に溶いて飲んでいた時代です。
M君の家で、最初にそのおやつをもらった時は「すごいなあ」と思いましたが、何度か遊びに行くうちに、「いつも悪いなあ。」と思うようになって、そのうち、私は自分がおやつ目当てに遊びに来ていると思われてるんじゃないかと感じるようになって、だんだんと居心地が悪くなって行ったんです。
そんな時、家に帰って母に「M君のうちで、おやつをごちそうになった。」という話をしました。
カステラとかジュースとか、M君の家はすごいんだよ。という話をしたんです。
そうしたら、その次にM君の家に遊びに行っていたとき、夕方に母がM君の家を訪ねてきました。
「あきら、迎えに来たわよ。」と突然母が現れたんですが、その手には袋に入ったお菓子がありました。
母は、「いつも子供がお世話になっています。」と言って、その袋に入ったお菓子をM君のお母さんに手渡しました。
M君のお母さんは「そんなにお気を使わくても・・・」と言いながら、お菓子を受け取っていましたが、そのお菓子というのは、商店街のお菓子屋さんで100g単位で量り売りをしていたせんべいやウエハースや飴などで、M君の家で出されるお菓子とは雲泥の差でした。
当時は商店街でガラスケースに入ったお菓子を量り売りしているのがふつうで、庶民の家ではそういう量り売りのお菓子が「お菓子入れの缶」にしまってあるのが当たり前でしたが、M君の家ではそんなお菓子は見たことがありません。
まして、自分の母の姿は町工場で油にまみれて働いる姿そのもので、その機械油が染みついたような上っ張りを着ていて、M君のお母さんとは比べ物にならなかったんです。
だから、私はそんな姿の自分の母親が本当に恥ずかしかったんですね。
油が染みついた上っ張りもそうだし、持ってきたお菓子もそうだし、当時住んでいた自分のボロ家も、すべてがみすぼらしくて、周りのモノがすべてそう見えるということは、M君から見たら自分だって恥ずかしい存在だということですから、本当にどうしてよいかわからなくなりました。
「あんな袋に入った量り売りのせんべいなど、M君の家では絶対に食べない。きっと捨てられる。」
勝手にそう思い込んだ私は、はっきり記憶してはいませんが、たぶん、母親に文句を言ったんだろうと思います。
そして、それ以来、M君の家には遊びに行かなくなりました。
M君もM君のお母さんも、決してそんな嫌味な人ではなかったし、私の母だって一生懸命自分ができることをしてくれていたんです。でも、なんだか恥ずかしくて、許せなかったんですね。
何十年も前のことですが、自分が親のことを恥ずかしく思っていたことを思い出すと、私の家は5人の子供に恵まれましたが、私はその5人の子供それぞれに恥ずかしい思いをさせてきたことに気づきました。
私の家の子供たちは、学校で喧嘩して相手を殴って、夜に私が相手の親に謝りに行くぐらいのことは何度かやりましたが、親に恥ずかしい思いをさせるようなことは今までないんです。
でも、親の私の方が、5人の子供に恥ずかしい思いをさせていると考えると、ずいぶん罪作りなことをしたなあと思ってしまいます。
その分、彼らが親になって子育てをしていくときに、子供に恥ずかしい思いをさせるのでしょうから、長い人生で見たら帳尻が合うようにできているんだとは思いますが、人間というのは、何とも罪深い生き物なんだろうと思います。
あれから40年以上経って、自分がどんどん年を重ねただけなんですが、昭和というのは、ずいぶん遠くなったなあと感じます。
昭和5年生まれで今年84歳になる母ですが、考えてみたら木原線と同じ年生まれなんですね。
というわけで、先日、東京で一人暮らしをしている母を連れてきて、いすみ鉄道に乗せたり、港の朝市やポッポの丘を案内しました。
ちょうどお天気も良く、花がたくさん咲いて緑もきれいな日でしたので、喜んでもらうことができました。
おかげさまで、昔、恥ずかしさから文句を言ってしまった母に対して、少しだけ親孝行させていただきました。
沿線地域の皆様、どうもありがとうございました。

ポッポの丘の村石社長さんと記念撮影。
ちょうど前日に「もしもツアーズ」を見ていたので、昨日テレビで見た村石さんご本人にお会いできて満足そうでした。
私の母に合わせて少し前かがみになってポーズをとってくれた村石さんですが、こういうさりげない気配りが村石さんの優しさなんですね。
ありがとうございました。
たまごがたくさん売れますように。